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「何もしない」という贅沢

旅好き、まちあるき好きな僕は、休日はどこかしらに出かけている。
旅が視野の広がりと心地よい刺激を与えてくれることは間違いなく、この時間は自分にとって、かけがえのない時間だ。

だが、GW後半は珍しく家に籠っていた。
そして、自分としては珍しく、「目一杯だらだらする時間」を取ってみた。
朝ゆっくり起きて、スマホを開き、漫画やSNSを見て、気づいたら昼。
そんな「生産性のない朝」を3日続けて過ごしていた。

インスタを開けば無限に続く友人たちの旅先の写真。
貴重なGW、どこかに出かけたい。出かけなければならない。今しかない。
そんな気持ちもないことはないが、不思議なことに、この一見無駄な「何もしない」「何も生まない」時間が、実は自分にとって必要で、贅沢な時間と感じるのだった。

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社会人になりはや2年、「長期連休」の貴重さは、学生時代とは比にならない。授業の選択次第では週休3日にも4日にもなり、夏と春には約2か月の休暇が与えられる大学生とは異なり、今の会社では「長期休暇」は年末年始と夏季休暇(5日間)、国民の祝日を入れればそれにGWが加わるのみだ。学生時代には容易にできていた、「2週間、どこかの地域に滞在する」ということも、転職前などではない限り非常に難しい。だからこそ、「連休」は貴重であり、その期間に旅に出る人が多いのだろう。

例にもれず、僕もGW前半の3連休は旅に出た。
前から行きたかった修善寺と秩父。修善寺ではゲストハウスの方や飲食店の方によくしていただき、秩父では有名な一面の芝桜に感動を覚えた。遠出ではなかったけれど、どちらも刺激的で、よい気分転換になった。

一方、GW後半は家で過ごすと決めていた。引っ越し荷物の片づけがまだ残っていたため、そして、久々に目一杯だらだらする時間をつくるためだ。

1週間に2日ある休日は、案外だらだらする時間が少ない。自分の性格上、このイベント行きたい、この場所行きたい…と「外」に出ることを意識してしまうし、どうしても「せっかくの休日にもったいない…!」という気持ちが先行してしまう。また、家にいるときは家事をしたり、パートナーと話したり、「眠い!」の気持ちが勝ってしまったり、案外、無為にスマホを見たり、ひたすら漫画を読むなど、「1人」で目一杯だらだらする時間が少ない。パートナーが実家に帰っている、1人で暮らす3日間は貴重だった。

そこでこの3日間は、だらだらする時間、やるべきことをやる時間の両方を作っていた。やるべきことは、引っ越しの片づけ、それと衣替え(最近暑い!)。それ以外の時間は、家事や友人とのおしゃべり時間も一部あったが、基本的にはだらだらする時間だ。

あえて目覚ましをかけず、寝られるだけ寝る朝。起床後はスマホを開き、お気に入りの漫画を読んだりSNSを見たり。そして昼を迎え、やるべきことに着手する―という流れを3日間続けた。もちろん、普段動いているからか、だらだらしている時間が終わった後、「ああ、時間を無駄に過ごしてしまった…」と思う部分もあった。しかし、後悔するというよりは、非常に贅沢な時間を久々に過ごしたように感じた。

おそらく、学生時代には「だらだらする」=「贅沢」とは思わなかっただろう。朝ゆっくり起きて、授業やバイト、課題がなければ、自分の裁量でだらだらできる、そんな毎日だったからだ。「1人でだらだらする」という時間が貴重になったいまだからこそ、贅沢な時間と感じるのだろうか。「何かをしたい」「何かをしなければ」そんな観念から一歩引き、「ベッドに寝転がり、何もしていない」からこそ、感じるものなのだろうか。普段、常に動いているからこそ、「動かない」ということに非日常感を感じるのだろうか。きっと最後のやつが一番近い。

休日は余白だ。余白を埋める方法は無限にある。もちろん、外出することは気分転換になり、明日への活力となる。それはわかっている。けど、こうした連休のうち、何回かに1度は家でだらだらしてみるのも、自分にとって必要な時間なのかもしれない。

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