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武藤 千春/ASAMAYA

法人名/農園名:ASAMAYA
農園所在地:長野県小諸市
就農年数:0年(農ライフ開始からは2年)
生産品目:年間30種類の少量多品目の有機野菜(ナス4種、ピーマン5種、トウガラシ2種、ゴーヤ、オクラ、ケール、枝豆、トマトなど)とスイカ、ワイン用のブドウ、南高梅
HP:https://asamayastore.com/

no.184

音楽や洋服作りと同じ。ゼロからイチを生み出す農業はめちゃめちゃクリエイティブ!

■プロフィール

 東京で生まれ、幼い頃からブラックミュージックに触れて育つ。16歳になった2011年、女性ダンス&ボーカルユニットのオーディションに合格し、ボーカルとして2014年秋までグループに参加。

 卒業後の2015年、ユニセックスのストリートファッションブランド「BLIXZY(ブライジー)」を立ち上げ、プロデューサーとして、企画からデザイン、モデル、プロモーションなどを担当。

 2019年12月からは、祖母と母親が移り住んだ長野県・小諸市の家と、東京との二拠点生活をスタート。家族のルーツを調べるうちに、佐久市に血のつながった親戚がたくさん住んでいることを知り、80代の農家のおじいさんと交流するようになる。

 農業の現状を知るうちに、自分でも何かしたいと、2021年春からは20坪の耕作放棄地を借りて、野菜の栽培に挑戦。その4カ月後には作った野菜を販売するECサイト「MUTO VEGE」を立ち上げ、その後、自分個人の情報発信だけでなく、多くの人に農業への興味を持ってもらおうと、農ライフブランド「ASAMAYA」を設立。

 小諸市内でのマルシェを企画・開催したり、廃棄野菜の販売などを企画。こうした活動が認められ、2022年には、小諸市の「農ライフ アンバサダー」に就任。

 生産する人と食べる人をつなぐ活動を通じて、若い世代にとって新しい“農” との関わり方のモデルとなるべく、小諸の農の魅力発信やイベントの企画などを展開している。

 2022年からは小諸市内の農家を巻き込んで20アールほどの耕作放棄地でワイン用のブドウ栽培を始めたほか、最近では南高梅50本の苗木を定植し、年を追うごとに農ライフが充実している。

■農業を職業にした理由

 20代前半は、アパレルブランドのトータルプロデュースをしながら、歌手活動など多忙な日々を送るなかで、体調を崩すこともあった。

 ちょうどその頃、長野県にゆかりのある祖母の家を探すのに付き添ったことがきっかけで、2019年12月からは、家族が住む小諸と、東京を行ったり来たりする二拠点生活を開始。

 折りからのコロナ禍で、外出がままならなくなったことから、家の中でできることを考えて、家族のルーツを調べることを始めた。その結果、佐久市で遠い親戚が農業をやっていることを突き止め、その一人のおじいさんを訪ねるようになったことで、耕作放棄地や後継者不足、廃棄野菜などの問題を知る。

 86歳のおじいさんの「大変だけれど、目の前の畑で野菜は育って行くから、毎日作業をし続けるしかないんだよ」と言う言葉に突き動かされ、自分にできることがあれば役に立ちたいと望むようになった。

 長野の親戚から、田舎暮らしや農業のつらさを説かれるなか、「他の人には大変かもしれないが、私がやったら楽しいかもしれない。実際に畑に立ってみなければわからない」と、親戚の家の近くの20坪程度の耕作放棄地で家庭菜園に挑戦。

 それまでは外食ばかりの毎日で、トマトや玉ねぎなどほとんどの野菜が苦手だったが、同じように見える野菜にも多くの種類があることを知ったり、隣の畑でできる作物が、自分の畑ではうまく育たないという経験を味わううちに「農業ってめちゃめちゃクリエイティブだ」と気づくようになる。

 現在もファッションの仕事や、地元テレビや東京でのラジオ番組への出演を続けながら、半農半Xの生活を送っているため、自分では新規就農という意識はなく、あくまでも暮らしのなかに “農”をおいて、その時々でやりたいことに挑戦する“農ライフ”を実現していると考えている。

■農業の魅力とは

 生まれも育ちも東京で、農業には縁がありませんでした。土いじりは服が汚れるから嫌いだし、虫も苦手。16歳から芸能界で働いていましたから、毎日外食ばかりで、キャベツは苦いもの、玉ねぎはからくて、トマトは酸っぱいものだと思い込んでいて、野菜の本当の美味しさを知らなかったんです。

 でも、小諸で暮らすようになって一変しました。同じ野菜にもたくさんの種類があるし、自分で育てた野菜をどう料理するかを考えるのも楽しいのです。

 それに、20代前半の頃は、何カ月も発熱が続いたり、リンパ節が腫れたり、体調を崩すことも多かったのですが、小諸で”農ライフ”を始めてから健康になった気がします。自分が作った野菜をその日のうちに食べられる幸せを知ったことで、それまでの人生はもったいなかったな、とすら思います。

 早くから社会人デビューした私にとって、人間の評価は、名刺に書かれた肩書きや経歴で決まるものだと考えていました。そこには、私自身を誰も見てくれないという焦燥感もありました。

  “農”を中心にした今の生活は、ゼロからイチを生み出すクリエイティブなものですし、ありのままの自分でいられることに充実を感じます。

 とはいえ、現時点で事業計画を立てたり、新規就農者になるつもりはありません。アパレルブランドのプロデュースをしたり、ラジオやテレビで情報発信することも暮らしの一部。農業はこうあるべきだという固定概念に縛られず、私にしかできない“農ライフ”を実現することで、自分がやる意味を考えたい。

 小諸の人たちは、最初に畑を貸してくれた人も「若い人が畑をやるなんて可能性を感じる」と新参者の私を応援してくれましたし、耕作放棄地の整備などに手を貸してくれる人たちもいます。

 そういう人たちと新たなつながりを作りたいと、2022年5月には「ASAMAYA MARCHE」を企画し、小諸周辺の25軒と一緒に農作物や加工品、アパレル商品などさまざまなものを販売しました。

 東京からも多くの人が足を運んでくれて、来場者は1,500人にのぼりました。SNSやYouTubeをはじめ、メディアを通じで農ライフを伝えることで、少しでも多くの人にその魅力を広めたいと思っています。

■今後の展望

 小諸市では、地元の農のファンを増やすために、作る人と食べる人の笑顔を繋げる「アグリシフトプロジェクト」を展開しており、2022年には“農ライフアンバサダー”に就任しました。以来、SNSやYouTube、ラジオやテレビ番組への出演を通じて、積極的に小諸の農の魅力を広めています。

 私自身は新規就農者になるつもりはなく、当初からあまり気負うことなく、「やってみて、つまらなかったらやめればいい」と考えていました。ですが、今ではすっかりハマって、当初は栽培面積が20坪の家庭菜園クラスだったのが、その100倍に広がりました。(2023年9月現在)

 2022年には耕作放棄地を借りて、ワイン用のブドウの栽培を始めましたし、最近では南高梅の苗木を50本植えました。どちらも収穫までには数年かかりますが、スパンが長いからこそ飽きずに楽しめるし、収穫に漕ぎつけたら、加工したワインを、小諸の野菜とマリアージュしながら、協力してくれた皆さんと一緒に畑でいただきたいです!

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