今もそこら中に吐き戻されたパイがある

「泣いていないこと」と「悲しんでいないこと」「悲しみが癒えたこと」が一緒じゃないとはっきり気付きだす。

3年位前に「A Ghost story」という映画を見た。
ホラー映画ではない、というのは、パッケージからうかがえた。
シュールなゴーストの外見がどんと中央に据えられいて愛らしさと切なさを感じる。
淡々と進んでいくストーリー。寂しい景色。孤独、愛情、哀切。
オバケになってしまった夫、その存在に気づくことのない妻。

一番強く記憶に残っているのは「パイのシーン」。
映画を見た人にはきっとこれだけで通ずる。
夫を亡くした直後の妻が、キッチンでパイを黙々と詰め込み、そのまま吐瀉する。
鮮烈だった。

そのまた1年ほど後、「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」という映画を見た。
妻を亡くした夫は、身の回りのものを片っ端から解体する。
どことなく、パイをむさぼっていた、あのシーンと重なる。
彼は全然泣かないので、奥さんの両親ににらまれたりしている。
でも最後の最後、思い出したように主人公が泣く。
「解体」によって彼はやっと、泣けるくらいまでに、いろいろなことを消化できたんだろう。

ルーニー・マーラーが演じたあの奥さんは、上手に悲しみを消化できたんだろうか。
黙々と胃に詰め込もうとして吐き戻されてしまったパイは、「消化できなかった悲しみ」の象徴みたいに思える。

「五月のはじめ、日曜日の朝」という児童書の内容も、
急に腑に落ちだしてくる。
愛犬を失くしてしまい走ることをやめてしまった少年のお話だ。
少年は泣かない。
彼が泣いていないせいで夏休みの読書感想文を書くのが難しかった。

あの子もきっと一生懸命、悲しみを消化しようとしていた。
走るのをやめていたのはそれが消化に必要だったからだ。
大好きだった愛犬と走っていた道を少年が一人走るシーンで物語が終わっていた気がする。

いい話だな。

でも、いい話だからこそ、そこら中に消化できていない悲しみがあるということをうまく忘れてしまいそうになる。

まだ、一人で走ることができない少年がこの世にたくさんいて
そこら中に吐き戻されたパイがある。

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