評価に支配された世の中で生きる私たち
日用品や本やコスメを選ぶときには星の数とレビューをチェック。
Instagramで輝くあの子を引き立てる「いいね」の数。
「登録者数」が市場価値とも言えるYouTubeの世界。
歌やダンスやビジュアルで順位付けされるアイドルたち。
人間も食べ物も、本も映画も、ノート一冊でさえも、
「私たち」は常に評価されている。
昔よりも直感で何かを選び取ることが少なくなった。
物を買うときにも、評価やレビューを見てから最終決定を下すようになった。
自分の「いいな」より他人の「いいね」の信憑性が高くなっていることに気づき、自信がなくなったこともあった。
評価を気にする気持ちには、「安心感がほしい」という本音が隠れていて、世に溢れる星やハートのマークはそれを与えてくれる。
一方で、何かのきっかけで「炎上」や「酷評」という公開処刑の対象にならないかビクビクしたりする人もいるだろう。
なんだか、味気ない世の中だなぁ。
このnoteに星5段階の評価やユーザーに対するレビューの機能がなくてよかったとしみじみ思う。
自分の内側から生まれ綴った文章が「星一つ」と評されたら、私はショックで逃げるようにnoteの世界から退場するだろう。
誰もが、他人やモノを簡単に査定する「評価者」になれる世界。
知らず知らずのうちにそんな世界には慣れてしまったけれど、一歩引いてそんな世の中を見るとゾッとしてしまう。
そんな世の中だからだろうか、
なんとなく、「人やモノに厳しい人」が増えた気がする。
優しい世界で暮らす、優しい人でいたいなぁ…。
最近そんなことを考えたりする。
何故だか「優しさ」というものの有り難みを感じることが増えた。
厳しい世の中で時々出会う、
温かいスープのような優しさに私は救われるから、
自分も優しさを与える側でいようと心を強く結び直した。
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