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映画log.「aftersun/アフターサン」

気鋭の若手シャーロット・ウェルズ監督が第76回英国アカデミー賞英国新人賞を受賞し、 主演のカラム役のポール・メスカルが第95回アカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、そのほか数々の賞を受賞していて、A24が北米配給権を獲得したということで大注目していた映画”aftersun/アフターサン”を鑑賞した個人的な感想と考察記録です。
ネタバレを含むため、まだ鑑賞されていない方は鑑賞してから読んでいただくことをお勧めします。

結論を言うと、今年まだ半年過ぎたところだけど今年イチなんじゃないかと思ったくらい、ぎゅっと抱きしめたくなるような愛おしい作品でした・・・。公開中にあと2回くらい劇場に足を運びたい。

”多くを語らない”余白の残し方が絶妙なバランスの回想劇

何だこの最高に好きでしかない映画は!観たらすぐにnoteに文章を起こすぞ!と意気込んでいたのに、
一つ一つのシーンを思い返せば思い返すほど、次の日にはまた違った解釈ができてしまうことに驚いています。
それほど表現の解像度(抽象度)が絶妙な塩梅で、噛めば噛むほど考察が深まり、味わい深くなるような作品です。というのも、娘であるソフィ視点での回想劇であり、当時の記憶の父と同じ年齢に追いついた大人のソフィが当時の父がどんな気持ちでいたのか、当時カラムが撮影したホームビデオの実際の映像から記憶を頼りに”おとなソフィの想像”のシーンを交えて再編していくような構造になっています。そのため実際にその出来事が起こったかどうかは観客側の解釈に委ねられる点も多いです。そして当時11歳のソフィの記憶の中の父のカラムについては多くは語られておらず、情報が曖昧なところが肝でもあります。(この余白がいい意味でずるいくらいに心地良いったら・・・この余白こそが観る側の考察の幅を与えてくれています。)

名作映画のリファレンスも

旅行先のトルコのホテルに到着してすぐのシーン。
ホテル側の手違いで、ベッドがシングルの部屋になってしまっているところからも伺える、決して良いサービスが受けられそうとは言えない、年季の入ったホテル。

長旅でくたびれたソフィをベッドで寝かせてあげた後、カラムが外で黄昏る長回しのシーン。
このシーン、無音でソフィの寝息だけが聞こえる長い”間”がとられており、”生と死”を暗示しているかのようでした。
シャーロット・ウェルズ監督のインタビュー記事によると、このシーンは私が前回の映画log.で記事にしたシャンタル・アケルマン監督の映画「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」のジャンヌが家事をしている時の無音で足音だけがただ淡々と聞こえるシーンにインスピレーションを受けたのだとか。痺れます。

生と死を象徴する二人

貧乏旅行とはいえど、見てるこちらからするとこの上ないくらい、お父さんとの最高の夏休みの思い出として映るソフィの記憶の回想。
リゾート休暇での贅沢な雰囲気を感じる場面。実際はもっとチンケなものだったのかもしれないが、ソフィの記憶の中で美化されているのかもしれない。

しかしどこか違和感や緊張感を常に感じさせるような映像が続く。

ネタバレになりますが、はっきりとは描かれているわけではありませんが、カラムはこの旅行以来ソフィと再会することはなく、自死したと考えられます。

カラムはこの旅行の初めから既になぜか腕を骨折していて、”明らかに傷を負っている人”を意味しているのです。
車に轢かれそうになっても気にしていなかったり、資格を持っていないのにダイビングのアクティビティに申し込んでいたり、生きることに対して明らかに消極的な危うさが伺える。
「40歳まで生きていると思えない、30歳まで生きていることにすら驚いている」と漏らしていることから、これまでの30年で疲弊してしまい、生きる気力が枯渇してしまっています。

その一方で11歳のソフィは、まだ子供ではあるけれど、そろそろ思春期に足を踏み入れるお年頃。自分より年下の子どもと遊ぶなんて嫌だと拒み、同じリゾートに滞在している年上の男女の若者たちに混じって一緒に遊んでもらいます。「大人になること」に対する憧れが現れているのです。この先の大人になっていく人生が楽しみで仕方なく、生への欲望を象徴しています。

この親子の、生に対するベクトルの違いが当時のカラムと同じ年齢になったソフィの視点で強いコントラストで描かれていて、胸が張り裂けそうになりました。

ソフィと対極の精神状態でありながらも、カラムは自分の苦しみを抱えながらも、娘の記憶には”最高のお父さん”として焼き付けらるように振る舞う姿には涙せずにはいられませんでした。
幼いソフィが勘付くほど、金銭に余裕のないはずのカラム。だが娘が遊んでいる隙に密かに購入を決めた高級なペルシャ絨毯は、形見。それと同時に、自分がいなくなった後の娘の人生で、時折自分の存在を思い出してくれたら・・・というカラムの一人間としての存在欲のある意志をも感じました。

通じ合うマイノリティとしての葛藤か

大人になった現在のソフィが映されるシーンで赤ちゃんの泣き声がすることから、今は子育てに奮闘するお母さんになっているようです。
また、31歳を迎えた時にパートナーらしき女性がソフィを抱きしめます。
この流れからソフィは同性愛者だと解釈できるのですが、当時の父と同じ年齢になった時、自分も誰かの親になっていて、そしてマイノリティだという点でも、当時の父の苦しみに寄り添うことができたのだろうと思いました。

さらに突き詰めた解釈をすることもできます。
ソフィとカラムがプチ喧嘩をして別れた後、カラムがレイブ後(?)ソフィがホテルの部屋に入れなくなるシーンで、部屋のドアの外で途方に暮れていると、男性同士と思しきキスシーンが映されます。(それがカラムなのかはどうかは分かりませんし、違うかもしれません。)
ここでも事実を断定させないようなあやふやな描写になっているので、大人のソフィの視点での回想であり想像という点から憶測すると、もしかするとカラムも性的マイノリティだったのかもしれません。(あくまで私の憶測です!)
ソフィの母親と別れた理由や、彼女を大切に思ってはいるが、籍を入れていない理由もはっきりさせられてはいないので、そのように捉えることもできます。
この考察も受け取り方によって見方も様々なので、見る側の想像の自由を与えてくれる表現の塩梅が実に面白いなと思いました。

”aftersun”というタイトルの秀逸さ

この映画で個人的に印象に残ったシーンであり好きなシーンでもある、カラムとソフィが日焼け止めを塗り合うシーン。
相手のことを労わり、日焼けを心配してクリームを塗り合う何気ないスキンシップだが、”生身の肌にふれる”ということが生きている人と通じあっていることを実感する、シンプルだが人間であることの象徴的な所作ですよね。
今はそばにいなくても、肌が触れ合っていた、確かに存在した父カラムの記憶は、この日焼け止めを塗り合う時に感じた肌の感覚から辿っているのかもしれません。

そして何年もの月日が経ち、当時の父と同じ年齢に追いついたソフィは曖昧な父とのトルコ旅行の記憶を再編する過程で、父が抱えていた痛みの輪郭が徐々にはっきりとした形になって顕になります。まるで後になってくっきり現れる日焼けのように。
この描写は旅の最後の方で撮ったポラロイド写真も同じ意味を持つシンボルとして登場したと思われます。

ソフィには父と過ごして幸せだった夏の思い出がはっきりと記憶として残っている。
その日焼けの痛みを癒すように、少女だった頃の記憶の断片から、そして大人になった自分の観点から、父の苦しみに寄り添い、大人の視点で父との思い出を再編集した物語なのです。

肌に触れ合うシーンは日焼け止めの他に、仲直りの後ツアーで訪れた泥温泉にて、泥を体に塗ってあげる場面があります。カラムが昨晩の出来事をソフィに申し訳なく思っている姿や、それに対してソフィは気にしてないよと、周りの観光客を巻き込んでカラムの誕生日を祝ってあげる姿は本当に愛が溢れていて涙した。11歳の女の子、という年齢はまだまだ子供であるようで、精神的には段々と大人の階段を登っている過程なのです。

Under Pressureで抱きしめて

イギリスのレジェンド的ロックバンドであるクイーンと同じくシンボル的アーティストのデヴィッド・ボウイの共作”Under Pressure”がここまでハマるシーンがあるだろうか。旅の最後の日、二人が最高のダンスを踊るシーンだ。これまでの人生の苦しみやしがらみの何もかもから解放されたように踊るカラム。それはまるで人生の讃歌のようだ。そしてそんな父を抱きしめるソフィ。このシーンは事実に基づく回想とも取れるし、ソフィの解釈とも取れるのかなと思いました。おそらく31歳そこそこでこの世を去ったのであろう父・カラムの人生そのものを娘のソフィが優しく抱きしめてあげるという演出に涙せずにはいられないシーンでした。

くっきりと日焼けのように残るひと夏の思い出
私は個人的に一年の季節で一番夏が好きです。日が長くて明るい時間が多いということもあるけれど、些細な出来事でも、日焼けのように鮮明にくっきりと記憶されるから。
幼少期の親との思い出も含めて、夏の思い出がきらきらした宝物のように鮮明に心に残っているという感覚、すごくよく分かる。
また、人間とは不思議なもので、自分が残したいと思う記憶をうまく切り抜きしてコラージュする能力があると思うんです。
”記憶に残す”って過去に起こった事実だけではなく、現在の視点から自分の都合で解釈できるからこそ、きらきらの宝物として残せるんだと思うんですよね。
この映画はまさに”思い出”を主題にした実に作り込まれた作品でした・・・!

親だって完璧じゃない

そして自分自身も、親の年齢になって初めて分かってくる感覚があります。
お父さんだって、”お父さん未経験者”なんだなぁって。
私自身も親に対して、自分の幼少期にあの時こうして欲しかったとか、自分が親ならこうする、とか思うところは山ほどあってモヤモヤしていた時期がありました。
とはいえ自分とは違う社会の価値観の中で生まれ育ち、親子であれど別のバックグラウンドを持ち、子からみる親も自分が年を重ねて大人になって初めて、今まで拾えていなかった感覚が冴え渡り、親の見えなかった一面に気づく。子にとっての親は完璧な存在でも何でもない、一人の人間なんですよね。
そう思うと、過去苦しんでいた自分をも抱きしめたくなるような、そういう気持ちにさせてくれた優しくて大好きになった作品でした。
先述しましたが、この作品は本当に余白の残し方がとても魅力的で、感じ方は人それぞれだと思います。まだ今年折り返したところではありますが、間違いなく今年のマイベストに入る作品として推せるので、まだ観られていない方は夏のうちにぜひ鑑賞してみてください!

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