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『穴の中の君に贈る』(毎週ショートショートnote)

「お願い、早くここから出して、、、」
昨日よりもさらに弱さを増した彼女の声が
わんわんと反響して穴を覗き込む僕を包み込む。
「もう少しの辛抱だ。
さぁ君のために作ったスープを降ろすから受け取って」
僕は湯気の立つスープ皿とパンを載せた紐付きのトレーを
ゆっくりと降ろしていった。

僕たちは2人で冬山登山に来ていた。
吹雪に遭い逃げ込んだ洞穴で彼女が
ぽっかりと開いた穴に足を踏み外してしまった。
穴は思った以上に深く
お互いが手を差し出しても指先さえ届かない。
彼女に怪我がないのが不幸中の幸いだった。
「仕方がないな。吹雪がおさまるまでの辛抱だ」

今朝も僕は彼女のために温かいスープを作った。
「昨夜は寒かったけど毛布はもう一枚必要かい?」
穴の中は暗く、見上げる彼女の表情は掴めないが
きっと僕に感謝しているに違いない。
僕は洞穴の外を見た。
吹雪はすでにおさまっている。
食事を降ろす紐は細いけれど
人を引き上げるには十分な強度があることを
彼女は知らない。

(410文字)


<あとがき>
書き始めたときは、
冬山の洞穴で自らも身動きが取れずにいる男性が
彼女を生かすために少ない食料で温かいスープを作り
自分の分のスープや毛布を彼女に贈るという
話だったはずなんですけどねぇ、、、。

『本作品はamazon kindleで出版される410字の毎週ショートショート~一周年記念~ へ掲載される事についてたらはかにさんと合意済です』

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