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世界双極症デーによせて


先にお伝えしておきます。
めっちゃ長いです。6千文字超えてます。
なので無理して読まないでくださいね。
無料なので。

今の職場で働き始めてあっという間に1年が経った。
最後に働いていたのが2021年の1月だったから2年以上ブランクがあり、
物怖じしなくなったとは言え最初は少し不安だった。
幸い、あいりきとハマッチャの2本柱で活動しつつ単発の以来もちらほらと受けていたので社会性を保ち続けていたから浦島太郎になっていたわけじゃないことと、寛解を維持できていたので杞憂に近かったけれど、
やはり働くことで感じるストレスやストレスとかストレスが今までトリガーになっていたので楽観的に考えることはせずに前回も綴ったとおり対策…
というか防衛ラインを幾重にも張り巡らせておいたりしつつ、
採用面接では事細かに双極症と線維筋痛症で起こる症状と対処法、必要な配慮を伝えてお互いに齟齬が起きないようにしていた。
生まれて始めて「無理をしないで休んでね」が本音という職場でもあり、
わしの場合は主に身体面での不調が起こるので本当に無理ができないからとても助かっているし、精神的なストレスがほぼないことでしっかりリカバリーできている。
もちろん安定していることが望ましい。
とはいえ、低気圧や気温湿度に左右されるため打つ手なしってなことも多々ある。
そんな時に無理をすると綱渡りが始まってしまうけれど皆さんの配慮と受容のおかげで頑強な石橋を今は歩くことができている。
今までは働くと何かしらトリガーを引いてしまい暴発していたけど色々と経験して学んできたことを総動員したことで精神的に上がることも下がることもなく、ピアサポートと並行したまま今に至っている。

そんな時に「双極はたらくラボ」の松浦秀俊さんから
XでDMがありYouTubeに出てみませんか?とオファーをいただいた。
以前から活動を知っていたし今のわしは断る理由がまったくないので2つ返事で引き受けた。
今回はそのYouTubeで伝えきれなかったことや主治医との話など補足的なことを残しておきます。
そんな動画はこちらから(前後編ですが前編だけ貼っておきます)

…見ての通りサムネのわしはなかなかにインチキ臭い風貌をしている。
周りからも山師みたいだの詐欺師みたいだのと辛辣でして…
ま、つまるところ口ひげがよろしくない。
いや我ながらジゴロ感が半端ねぇなと思ったのでちょっとマズったなと思っている…
理由はね、あるんです、ちゃんと。
実はこの時期、カミソリ負けが酷かったので剃る面積を減らすために伸ばしていたんです。
線維筋痛症とひげ剃りは相性激悪でして…。
それがまさかこんな見た目になってるとは…
(現在はすでに剃り落としてます)
見た目が気になって話が入ってこない方はポッドキャストのように音声のみでどうぞ。
トホホ…。

はい、前説はこの辺にしてと(相変わらず長い…)
1時間という限られた中でどこに焦点を置くかというのは松浦さんとの打ち合わせで決めたので、
基本的に松浦さんのリードに身を委ねていたような感じでリラックスして話ができた。
この日のために話すことを整理していたわけではなくて日常的に取り組んだり考えていることの中からテーマに沿った部分を松浦さんが掘り下げてくれたので、普段通りというかいつも通りのスタンスでいられた。

そんな中で伝えることができなかったことの一つに主治医との関係があると思う。
精神科は他の科よりも圧倒的に付き合いが長くなるのでヤバい医者と出会ってしまうとお先真っ暗。
かといって良い医者と出会ったから治るというわけじゃないからややこしい…
さらに何度かここにも綴った思うけど、わしにとっての名医が他の人にとっても名医とは限らないという難しさもある(だから紹介しない)

で、わしは今の主治医と出会って10年ちょっとになる。
主治医と力を合わせてここまできた。
励ますことはもちろんだけど時にたしなめてくれることもあったし叱られることもあった。
治療方針については基本シンプル。
「躁転を自分の意志で徹底的に防ぐ」
それだけです。
冬のうつがひどくて抜けないときにリーマス(炭酸リチウム)をカットしてラミクタール(ラモトリギン)のみにしたのも躁転しないという信用があったからできた方法と言われている。

主治医はわしがピアサポートに飛び込んだ頃からずっと応援してくれていて本の出版やリカバリーフォーラムの登壇などのマイルストーン的なことを
とても喜んでくれているし、
必要な時はゆっくり話を聞いたり精神科医療や製薬会社のことなども教えてくれたりするので関係性はとても良好で全幅の信頼を置いている。
いわゆる二人三脚なのでわし自身にできることはしっかりやることをメインに服薬で下支えしてもらうような形で今に至る。
少なくとも服薬だけで安定したわけじゃなくて、
自分自身の思考のクセを1つずつ確認したり視点を増やす習慣をつけるところも大切だと思っている。
自分自身の把握+服薬+主治医のアドバイスという感じです。
主治医いわく双極症の人は何かに熱中したり真剣に取り組み過ぎてキャパオーバーになっているからペースダウンするように注意すると怒ることが多いらしい。
この辺の使命感と現状のバランスというのも治療ではとても大事になる。
まぁ…躁転してると人の意見は聞かないからな…。
なんせ「誰よりも賢くて偉い神を超えた存在」と思ってますので…。
んなわけねーよって!

さて、もう一つ重要だったのは家族。
たぶん精神疾患や精神障害があると少なからず家族関係は悪くなったりすると思う。
もともと良くないって方もいると思うしピアサポートでもよく話題になる。
わしの場合はとにかく「働いてるか否か」で判断されている時期があったのでうつに陥ると関係がすこぶる悪くなる。
動画の中でも話したとおりバリバリ働いていたのに突然、仕事に行かなくなってしまうのでサボってるようにしか見えない。
わしは行けなくなってるんだけど…ね。
なまじ「できる時期」を見てるので持続力がなくて辞め癖がついてると思ってしまう気持ちは分かる。
分かるけどもこっちはこっちで急激な無気力で混乱していたりするのでイラっとすることも多い。
往々にして親は「んなこと分かってらい!」的なことを延々と指摘してくるのでついつい衝突してしまうんだろう。
これはわしに限った話じゃないと思うけどね。
だからといって簡単に距離を置けるわけではないからシェルター的に入院を選ぶ人がいるのも分かる。
というより、わしも一度そういう選択を取ろうとした。
ただ紹介された病院のDrが
「もっと状態が悪くなって確実にしんどくなりますよ」と率直に言ってくれたので違う形を取ることになった。
それが生活費の面倒を見るから出ていけだったわけです。
ま…この辺も以前綴ったので端折ろう。

関係が修復されたのは2019年くらいなのでわりと最近だったりする。
「精神障害者が語る恋愛と結婚とセックス」の編著をすることになったので専念するために頭を下げてひたすら出版に向けて執筆して仲間の原稿を読んで無事に出版できた辺りから風向きが変わってきた。
さらにあいりきの研究に参加したりハマッチャを立ち上げて全力でピアサポートを始めたことが大きいと思う。
わしは昔から自分でやりたいと言い出したことをやりきることがほとんどなかった。
そういう人間がお金にならないことを必死こいて仲間と続け、
人とつながっていく姿を見ているうちに安心できるようになったのかもしれない。
なので今はわしが出演したラジオやYouTubeを必ず見て感想を送ってくれるようになっていて、わしとしても親孝行につながったような気がしている。
当事者のために始めたピアサポートが回りまわって親との関係を修復することになるとは思わなかったので何だか不思議だ。
別に親の期待に応えているわけではないし、そのためにやっているわけでもない。
ただ結果としてそういうことにつながったというだけで、
親からすれば社会的な接点を持ちながらカミさんへの負担を減らすだけで十分なのかもしれない。
もちろん金銭的な状況がもっと良くなることを願ってはいるけど、
そこにウエイトを置くと危険ということは把握しているので
安定してやりがいのある今の職場で働きながら今まで通りピアサポートを続けていればこれからも安心できるだろうし関係性も良好だと思う。

そして実際に動画を見た方や仲間から一番、聞かれたのが
「どうしてそこまで自己分析ができたのか」だった。
これは非常にシンプルで頼れる人がいなかっただけ。
わしは既婚ゆえに就労支援系の福祉サービスを利用すると毎月9300円支払わないといけない。
これはかなり負担が大きいし事業所によってサービスの質にムラがあるので使う気になれない。
というか使ったら負債を抱えるような状態になったことさえある。
さらにうつに陥ると引きこもり状態になるのでアウトリーチしてくれないと相談自体が難しくなるわけです。

うつになると漠然と時間だけがあって他にできることが激減する。
本を読んでも頭に入らないし映画を見ても中身を忘れるような状態だったので明日どころか1時間後を考えることすら難しくなる。
しかも躁転時のやらかしがメリーゴーランドのように頭を駆け巡るので自責感に苛まれる。
こういう状況で未来もへったくれもない。
だから自分でひたすら考えるしかなかった。
ときどきピアサポート仲間と話をしたり双極症の先輩の講演を聞きにいくこともあれば、嫌われている人がなぜ嫌われているのか分析してみることもあったし、
自分にとって何が強みで何が弱点なのかをゆっくり見つめてみたり。
はっきり言って苦痛を伴うしネガティブな感情に囚われて逆に落ち込むこともあったけど、要はそれもバランスが悪いだけで「落ち込まない程度に」というさじ加減を把握してほどほどに自分を甘やかすくらいでいいと思うようになってからは自分について考えることがルーティン化した。
これをわしは「脳内会議」と呼んでいて客観的な視点や多面的に物事を捉えるために
「イヤな性格の自分」「ド正論の自分」「中立的な自分」というようなキャラクターに振り分けて脳内で議論を交わしていた。
よくマンガで頭の上に天使と悪魔が出てきて誘惑と戦っているアレに近いかな。
その中で「べき!ねば!」の考え方を捨てたり苦手なことは放棄するとか、
完璧主義をやめるとか自分の思考に幅を持たせるような熱い議論が交わされて今に至るというわけです。
というか今でも続けています。
わしのnoteはある意味、議事録なのかもしれないです。
後々、このことを主治医に伝えたところセルフ認知行動療法みたいなものでリスクを伴う反面、そこの管理ができていたから良い方向に進んだんだろうという話になったのでマネはしないほうが良いでしょうね。はい。
実際、キツいことも多いし脳内がいっせいに批判してくるようなこともあったので…。
けれど生来の無精者ゆえに生活リズム表をつけるとかワーク系のものが全く続かないので自分に合ったやり方を生み出せたのは大きいと思う。
だって楽しい日々を送りたいんだもん。
ある程度は稼いでカミさんと外食したりライヴに行ったりしたい。
講師などの依頼を二つ返事で引き受けたりもしたい。
四季の変化を部屋の中以外でも感じたい
(部屋にいると陽の長さでしか感じられない)
そのためには自分を知ることと変えることがどうしても必要だった。
誰にも頼れないなら自分でやるしかないし、自分の言うことは素直に聞き入れる歪んでるんだか真っすぐなのか分からん性格というのもあったから
自分でどうにかできることは自分でやりつつ、主治医に相談してアドバイスをもらい、カミさんの言葉を大事にした(実行するかは別!)
そしてピアサポート仲間がかけてくれるポジティブな言葉をそのまんま受け入れることで自己肯定感を高めていった。
どうしても日本人は謙虚さを大事にするので褒められると謙遜する。
「いつもおしゃれですね」
「いえいえ安物です」ではなく素直にお礼を言うようにした。
(これが一番、難しくて今でもたまに謙遜してしまう)
そういうことを何年も積み重ねていくことが今の自分につながっている。
結果として今の職場で採用された際も自分の症状や状態について詳細に説明できたし、必要な配慮を明確にしているので同僚の皆さんも困惑せずに済んでいると思う…というか言われた。
「深刻な話を深刻な顔で深刻に考えない」という自分のスローガンが生まれたのも脳内会議でたどり着いたもので、どこか楽観的に考えるだけでずいぶん変わるもんだなぁと自分で驚いている。
…たまに楽観的過ぎて叱られるけど。
…たまに周りに厳しすぎて苦情を受けるけど。

自己流というのが良いかどうかは分からない。
いや好ましくはないですね。
ただ双極症はステレオタイプな治療で寛解するものではないし、
それこそ環境因子にも大きく左右されるから医療モデルだけでは不十分だと感じている。
なので服薬しているだけでは寛解まで持っていけないと思うし、持っていけても維持することはかなり難しいと思う。
だからある程度は人それぞれのやり方が必要だとも思う。
それを100%自己流でやるのではなくて主治医と相談しながら取り組めばブレーキをかけてくれたり補正してくれるので有効になると感じている。
なので医師との関係性は大きい。そして難易度が高い。
こればかりは人と人の相性もあるから何とも言えませんが…。
まぁ…精神科ってつまるところそこに集約される気もしますが…。
共同意思決定(SDM)というワードが重要になるくらいなので。

改めて自分の動画を見て感じたことは
「果たして本当に誰かの役に立つだろうか?」ということだった。
(見た目については猛省中)
もちろん参考になったという声はいただいているけど、
寛解に至って維持している経緯がちょっと特殊だよなと思う。
他の方の動画も見ていたけど、自分にもできそうなことを切り取りまくってパッチワークするのが良いのかもしれない。
寛解したことで楽になるかというと決してそうではないというか、
今度は維持したいというプレッシャーもかかってくるし、うつになる怖さが常にあるので常に気を張っているようなところはある。
ただ「敵を知り己を知れば云々…」の通りで対策をたくさん見つけておけば安心できる要素が増えるので求道者みたいなストイックさは必要ない。
ストレスを感じたら離れたり、しっかりリラックスするとか、
しっかり働いたらしっかり遊ぶ(休む)というバランスを大事にしているだけでけっこう変わると思う。
つまるところはそれだけなのかもしれない。
「遊ぶ時間なんかねぇし」
いやいや、だったら働き方を変えたらいいじゃないと思う。
社会に対して合理的配慮を求めるんだから自分に対しても合理的配慮をしたらいいんじゃないかなと日々、思う。
わし個人の感覚として双極症はバランスがぶっ壊れる疾患なので
「ほどほど」を知ることからだと思うし、
人の意見にきちんと耳を傾けることが重要だと思う(採用するかは別)
「なんか躁転してない?」と言われて
「は?うるせぇし」と思ったら黄色信号。
「ん?ヤバいかも」と思えたら大丈夫みたいな細かい兆しを拾っておくことで躁転を防げるし、躁転しなければうつのダメージも低いという実感があるので家族など身近にいる人が双極症について学んでおくことも大事になるかもしれない。

本当に息苦しいし厄介な疾患だと思う。
けど全く希望がないわけじゃないから諦めないでほしい。
茨の道かもしれないし、もっと厳しい道かもしれない。
けれど1mmでもいいから進むことを目指してほしい。1ミクロンだって立派な前進だと思う。
ある日、突然に全力疾走したくなったらぐっと我慢して。
人生、たぶんそれなりに長いからずっと走り続けることは不可能でしょ?
ゆっくり、ほどほどを大切にしながら自分のペースを見つけてもらえたらと思う。
わしも色々あったけれど今は家族や仲間、職場の同僚などたくさんの人が支えてくれている。
諦めなかったから。
なんか悔しかったから。
だからわしはこれからも双極人っぽくない双極人として生きていく。

というわけで久しぶりにむちゃんこ長くなってしまったけれど
「双極はたらくラボ」の振り返りでした。
改めて双極はたらくラボの松浦さんをはじめとしたスタッフの皆さんに心からお礼を申し上げます。
そして視聴してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

それではまた近いうちに。
アディオース!

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