心のかゆみに勝ちたくて

毎日体中がかゆい。私は決して不潔ではないと思うし、虫に刺されたわけでもない。発疹もないのだが、とにかくかゆい。

どうやら、ヒスタミンというかゆみを引き起こす神経物質が過剰に分泌され起こっているらしい。過剰分泌のわけは、心理的な原因が大きいという。

心理的な原因ねぇ…

心理的原因なんて、今の私のいる環境ではないはずなのに、もっと外で戦っている人が持つはずのものなのに、私なんかが心理的原因なんて抱く資格もないのに。

きっとこう診断されたということは、まだ私の中の摂食障害は消え失せていないということで、私もそれを自覚している。

今、1番恐れていた局面に来ている。過食でどんどん太ること。私の心理的原因は、やっぱりいつまでたっても体型と食が中心にいて、それがすべてを阻害する。たったそれだけのこと、そう、それだけのことと捉えられるのが目に見えているから、摂食障害になってしまう人はそれをひた隠し、見つけられたときにはもう末期なのだ。

私は、人生で二回目の過食期を今すごしてしまっている。高校生の時に、これを経験してしまっていて、行き着く先の闇が長いことを知っているからならないようにと避けてきたつもりだった。

しかし、摂食障害にとって拒食を経験すれば、克服のためには過食の道を通らなくてはいけないことも事実で、この日々繰り返される自己嫌悪と対峙しなければならない。一種の諦めが必要なのだ。

過食になると、痩せているという今までのアイデンティティが無くなり、なんの為に生きているのか、自分の価値はどこにあるのか、そんな話ばかり自分としていて馬鹿みたい。

辞めたくても辞められないのが、また理解されないところで、食べている最中と後の感情の高低差に自分でも引いてしまう。

主治医に話しても、通り一辺倒な言葉で頑張れと励まされて終わり。やっぱり耐えるしかない通るべき道なんだよなぁ、結局繰り返しなのかなぁと虚しさが増すだけ。

どんどん太って醜くなって、やっぱり醜い姿が私の真の姿であって、アイデンティティだと思っていた痩せている自分の方が偽の姿なのかなと、受け入れ反面、自暴自棄になる。

ここまで書いたのは別に同情してほしいとかでなくて、自分がいかに同じ苦しみを繰り返しているのか、また、摂食障害の人が同じような共通する気持ちを持っていることが多いことを可視化するためである。

最近、少しずつ、メンタルヘルスの勉強を始めた。参考書に書かれたカウンセリングの仕方似、あぁ、こういう聞き方してくれたらたしかに安心するなと思いつつも、このマニュアル化されたものを頭に入れて、患者の話を聴くという機械的なことは本当に寄り添えているのかなとも感じた。

たしかに、このマニュアル化を知識として入れた上で臨機応変に対応すれば害はないのだろうが、私は以前あまりにマニュアル化されたカウンセリングに嫌気が差したことがあったので危惧している。やっぱり、当事者にしか分からないことがある。聞き方があるし、察する空気がある。

だけど病気を自身が克服しないことには、他人の病気を克服させる手助けはできない。

今日もかゆい…。このかゆみを消す薬は処方されるものではなくて、自分で配合して塗り込まなくてはいけないの。

読んで頂きありがとうございました! まだまだ初心者ですが、色んなことを書いていきたいと 思います! ぜひあなたのnoteも勉強にさせて頂きたいです〜🌹