DOUBLE FANTASY- John & Yoko

私が「ジョン・レノン」という名前を最初に耳にしたのはいつだっただろう?90年代初めに生まれた私だけれど、小学校に入る前にはもう「ビートルズ」の名を知っていたように記憶している。4人全員の名前を覚えたのはもっと後のことだったけれど、最初に覚えたのは「ジョン・レノン」だった。

当時はビートルズが怖かった。ベスト盤『1』の裏ジャケットに載せられた4人のサイケデリック・アート写真は、幼い私に強烈な印象を残した。トラウマと言っていいほどに。特にジョンの写真は異常に感じられて、その印象がもとでビートルズそのものを「あぶなくて、こわいなにか」とずっと思っていた。そのせいか思春期にもビートルズの洗礼を受けることはなかった。まともに聴くようになったのはほんのここ数年だ。

そんな私がなぜ、この展覧会に足を運んだかという理由は自分でもよくわからない。去年の冬、仕事の車内ラジオから聞こえてきた"Woman" 、"Happy Xmas (War Is Over)"そして”(Just Like) Starting Over” が何故か胸に響いて、運転しながら奇妙な感傷にとらわれて以来、なぜかずっとジョンとヨーコに私は惹きつけられているようなのだ。幼い頃にすでに知っていた、殺されてしまった「ジョン・レノン」について、そして後年に知った彼のパートナー「ヨーコ・オノ」についてのすべてが私の頭の中を漂い続けた。この展覧会の情報を目にしたとき、不思議と出かける気になった。

東京に住んではいるものの、六本木には馴染みがない。きらびやかで、どこか金の匂いがして、安心できないところ――私にとってはそんな印象のある場所。美術館に出かけることは何度かあったけれど、やっぱり好きになれないところ。けれど、私にとってそんなはず場所で行われている展覧会は、思いの外ひっそりしていた。12月11日金曜日の15時少し過ぎ。曇りのような晴れのような寒空の下で、二人のポートレートを大写しにした看板が目に入った。なんだかいい雰囲気でここを出てこられそうだと思った。

展示は"WAR IS OVER"のキャンペーンのように、白をベースとし、黒の太いゴシック体が年代やその時期の代表曲を各セクションの冒頭で目次のように示す。直筆のメモや当時の品、数々の写真や映像が簡潔な解説とともに展示され、ヨーコの作品も実際に取り入れられていた。

背景の無機質な白に対して、品々は黄ばみ、茶色くなった姿を私に晒していた。知っていること、知らなかったこと、そして様々な思いが私の中をめぐる。当時の混乱に囲まれる二人の喜び、行動、作品。映像や音楽、展示品を見ているうちに、私の中にジョンとヨーコの姿が生き生きと現れてくるのがわかった。自分が今その時代に生きていて、新聞記事や白黒のブラウン管でニュースを眺めているような気にさえなった。もちろんそれがリアルでないこともわかっているのに、どうしようもなく二人の姿を追いかけたい。時に困惑し、笑い、真剣な表情で語り、生きる姿をいつまでも見ていられるような気がした。

"Double Fantasy"制作期の展示に入り、解説文には「最後の」という文字も並び始めた。こんなにも暖かくまぶしい二人に待ち受ける出来事を、この先の悲しみを知っている私は戸惑う。あの瞬間をどう伝えるのか。これまでどこにもなかった「一方通行です。」というミュージアム側の案内看板があって、私は悲しさを無理に抑えようとした。それを通り抜けていくと、

"Imagine"

それだけがあった。

この場所はきっとこれまでの展示を見てこなければわからない。時系列を無視して、ここにこれがあること。この映像と音楽にどんなに心奪われることか。私は少しだけ誇らしいような嬉しいような不思議な感情にとらわれた。悲しみがないわけではない。けれど、ここにこうして「ある」こと、「私がここにいる」ということが急に意味を持つ。ジョンの、そしてヨーコの私生活や葛藤、困難に直接向き合ったわけではない。けれども、私は二人を知り、そして伝えられるのだ。愛する人に、私ではないあなたに、そして誰かに。

思い出にポストカードを買った。私のためにではなく、大切な人たちに送るために。

ミュージアムショップを抜けると、最後に作品があった。わたしたちひとりひとりが作る"Wish Tree"と、そしてジョン・レノンへの思いをかたちにする場所。立ち寄った人は思いを綴り、短冊を吊るし、あるいは壁に貼り付けていく。私は少し立ち止まって、今の願いと思いを書いてそこに残してきた。

こんなふうに、たとえ小さくても大切な思いが積み重なっていけばいい。小さな種からしなやかで大きな木が世界中に育てばいい。その木々がいつか絡まり合ってひとつになり、地球全体を覆うほどに、宇宙に届くほどになればいいな、と思った。世界中のひとりひとりがこんなふうに思うなら、きっと世界は、この地球の人々は、美しく裸で微笑むようになるだろう。

きっと、できるのだ。

そう望むなら。