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記憶にこびりついた言葉との付き合い方

ここ数日間、会社で耳したある言葉が離れない。

「氏ね」

2ch(現在は5ch)から派生したこの言葉は、いとも簡単に発せられる世の中になって久しく、おそらくこちらの漢字を用いているだろう彼女の言葉が頭から離れない。

テキストとして見るにも見苦しいこの言葉を、まさか音声として聞く機会があることや、言い放った理由がなんとも小さい。(大きければいいわけでもない)

理由は、クライアントからの原稿入稿が少し遅くなったことに対しての発言。

唖然とした。
呆然としすぎて軽く口を開けてしまったように思うがすかさず、その言葉禁止なーーー!絶対だ!と冗談とも真面目とも取れる態度で釘を差した。

自分が心地よいと思わない言葉を発する人に対し、果てしない距離を取ることに決めているので、何故そのような言葉を安易に口にすることができるのか、など自分の正義と戦わせることなどしない。

ただ、その言葉だけが脳の中にべっとり張り付きいつまで経っても剥がれないし、しかも剥がれないついでに別の剥がれない言葉を思い出されるという負のスパイラルに陥る。

「にわか氏ね」

好きな歌手の引退コンサートのチケットの当選発表の日、Twitterで流れてきた言葉で、フォローしていたわけではなく誰かのRTによるものだった。
(※発言に意図は、死ぬほど好きなファンの人たちに(というか本人だろうと予想)チケットが当たらず、引退だから行きたいなぁ〜ぐらいの奴らが当選すんだよゴラァァアア!!!)

しかも、そのアカウントのアイコンは好きな歌手の顔を使用していた。

それ以来、たまに見かけるその写真を見る度に「にわか氏ね」という言葉も浮上してくる。ふざけんなぁあああああ!と同じ言葉を発したくなるほどにイライラすることもあったが、久しぶりに今日思い出されたものの当時のような憎悪はなく、こうやって文章にできるぐらいになったので、これにて私のお気持ちは無事に埋葬された。

そんなことを考えながら、銀座ロフトを散策していたらカラフルなペンたちが目に入ってきた。

下段の左から2番目のカラーパレットが好きだなぁ。

そんなことをふと浮かんだら、昔一緒に働いていたデザイナーの友人の言葉を思い出した。

「さっちゃんは、日本の色が好きだよね。」

バナーを幾度か依頼したときに彼女が言った言葉で、それまで自分では気づいていないことを教えてもらえたようですごく嬉しかったのを覚えている。それ以来、この色好きだなぁって思う度に彼女の顔と言葉が思い出される。

こびりついて離れない不快極まりない言葉が頭の中を巡っているときに訪れた、宝石とも言える大切な言葉が舞い降り、頭の中にある記憶群の素晴らしさを再実感。

記憶の中には今までの私がすべて詰まっている。
それはただ瞬間的に思い出せないだけで、なにかのトリガーさえあれば昨日のことのように思い描くことができる。

そして、こびりついて離れない記憶は、すべて大切なもののように思う。
嬉しい楽しい思い出は今の私を楽しくさせてくれるし、辛い悲しい思い出はそれらに対し如何に想いを寄せて歩んできたかの証明でもある。腹立つ記憶は、できればあまり残らないよう、いつか昇華できるように鎮静の方向へ進ませる努力をしていきたい。


最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。