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恩田陸『祝祭と予感』が文庫化!『蜜蜂と遠雷』をもう一度

2022年4月7日(木)に、恩田陸『祝祭と予感』文庫版が幻冬舎文庫から発売されました。今回はネタバレなしを意識して書きましたが、作品をまっさらな状態で楽しみたいという方はご注意ください。また、本編『蜜蜂と遠雷』については一部作品の冒頭部分を引用しています。

まずは『蜜蜂と遠雷』について

本稿で取り上げる『祝祭と予感』は、『蜜蜂と遠雷』の主人公たちのスピンオフ短編集。風間塵に、亜夜に、マサルに、「彼らに、また会える」!!という煽りで出版されました。

この『蜜蜂と遠雷』、私が読んだのはちょうど二年前、2020年の3月ごろ。ブクログと読書メーターで確認したところ、小説というものがいかなるものなのか、書店にどんな作品が流通しているのか、必死でキャッチアップしようとしていた時期だったみたいです。(まあ、今でもそうなんですけどね…)

『蜜蜂と遠雷』は、2017年本屋大賞・第156回直木賞をそれぞれ受賞。いずれも広告宣伝効果の比較的高い賞だと思いますが、私が購入したときも、書店で平積みにされているものを何度も見かけ手にとりました。単行本が発売されたのが2016年9月、その後文庫化されたのが2019年4月ですから、"売れるスパイラルにはまる本"というのはすごいのだなと思います。

もちろん『蜜蜂と遠雷』が"マーケティングうまくいったよね"というだけの作品だ、というわけではありません。しかし、いわゆる"売れ線"、かつ高い経済効果を見込める作品だったことも確かだと思います。

少女漫画的、淡い色の世界観とシンデレラ的サクセスストーリー

主人公の一人、唯一の女性である"栄伝亜夜(えいでん あや)"は、幼い頃から母親の指導のもと、天才ピアニストとして成長します。しかし、不幸なことに13歳にその母親が逝去。以後、ピアニストとしての第一線を退き、誰もが羨むような才能を秘めながらも、20歳の現在までくすぶり続けています。

栄伝亜夜がピアニストとして歩む人生をもう一度再発見し、成長していく…というのが、『蜜蜂と遠雷』の主要なストーリーのひとつです。

はい、「シンデレラ」ですね、と。

シンデレラのストーリーは、少女漫画でも王道です。ちょっと斜に構えてしまうと、シンデレラ的サクセスストーリーと聞いただけで「え゛~」などと思って敬遠されるかもしれませんが、それは勿体ない!王道のストーリーというのは、あちこちで使われてきているからこそ、調理のしかたに作者の手腕というか、色が出るものだと思うのです。

そこで、『蜜蜂と遠雷』の冒頭です。

いつの記憶なのかは分からない。

恩田陸『蜜蜂と遠雷』本文より

物語の、最初の一文です。ここの一文でまず、読者はいつか遠い過去に思いを馳せます。そこで、

光が降り注いでいた。

恩田陸『蜜蜂と遠雷』本文より

と続き、

かすかに甘い香りがした。

恩田陸『蜜蜂と遠雷』本文より

さらに、

風が吹いていた。

恩田陸『蜜蜂と遠雷』本文より

と、たたみかけます。手触りの朧げな、しかしそこには明るくあたたかい光、甘い香りと、さわさわと吹く優しい風が。遠い昔、どんな心配ごとも不安なこともなく、まるで天国のような幸せな"どこか"を想起させながら、心地よい旋律に誘われるようにして物語がはじまります。

王道ストーリーというのは、ただでさえ情動を刺激しやすいのです。そこをさらにこの冒頭です。もう、私の五感を感じる部分は大解放キャンペーン。無防備になった状態で読んでいかなければならない。そもそも、作品のタイトルが『蜜蜂と遠雷』ですよ?耳元で唸る蜂の羽音と、遠くからゆっくりと忍び寄るようにちかづいてくる雷の音、聞こえてきません?

また、栄伝亜夜ちゃんで真っ先に思い出すのは、そう、くらもちふさこ『糸のきらめき』。

『糸のきらめき』、子どもの頃に何度読み返したかわからない。そして読み返すたびに、もう心臓ぎゅうぎゅうに締め付けられながら読みました。どこか儚げで、しかし少しずつ弱さを克服し、文字通り"きらめいて"いく主人公にどれだけ憧れたことか。ちなみに、『糸のきらめき』の主人公の名も「あや(橘綾子)ちゃん」なんですよね。

くらもちふさこさんもまた、あらゆる"ときめき"を漫画として巧みに表現する作家さんだと思うのですが、恩田陸さんはそれを小説でやってのけているように思います(いや、こんな陳腐な言葉で表現していいんでしょうか…ほんとうはもっと、丁寧に研究して表現すべきでしょうね…)。

本作は映画にもなりましたし、また作品中で取り上げられた曲をまとめたCDも出ました。本作はこうしたメディアミックスと相性のよい作品でもあると思います。私も、作品の映画化で「あーあ」と思うことがないわけではないですが、本作に関しては"作品の世界観を何度も・あらゆる角度から楽しむことができる"という、メディアミックスの良いところがフル活用されている例だと思います。

創作活動への勇気を

『祝祭と予感』はスピンオフ短編ということで、本編『蜜蜂と遠雷』から引き続き、ピアニストを初めとする音楽家たちの内面というテーマは貫かれています。

自分がやろうと思っている演奏が見えてこない。演奏したいイメージはあるのにうまく表現できない。自信に満ちた演奏をする誰かに、焦りを感じるときもあれば、逆に勇気をもらえるときもある。悩みなど抱えていないように見えるライバルが、思いもしないことを深刻に悩んでいることがある。

これら、ピアニストたちを通して描かれる悩みは、小説づくり、ひいてはあらゆる創作活動に通じることがあるように思います。こうした悩みを乗り越えて、何度も輝くキャラクターたちに、私も勇気をもらいました。

『祝祭と予感』で書かれている6作の短編のうち、3つめの「袈裟と鞦韆(ブランコ)」では、『蜜蜂と遠雷』で課題曲となった「春と修羅」が作曲されるまでのお話が読めます。

宮沢賢治の詩をモチーフとしたこの曲を、主人公たちがどのように受け止め、表現するのかという点は、本編でも見どころのひとつでした。作曲家・菱沼忠明がどのように曲づくりと向き合ってきたのか、スピンオフを読んだあとに本編をもう一度味わってみるのもいいかもしれません。

この記事で紹介した作品

祝祭と予感

蜜蜂と遠雷(上巻)

蜜蜂と遠雷(下巻)

映画 蜜蜂と遠雷

CD  『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集

糸のきらめき(くらもちふさこ)

春と修羅(宮沢賢治)


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