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構築できなかった話

「チョコレートが食べたくなるのよね、秋になると」
と言っていた同僚がいた。
夏バテで失われたミネラルを補うってことなんだろうか?
と考えたりもしたが。
秋になると、その何でもない言葉を思い出す。
放課後、机の引き出しに入っているチョコレートを貰ったりした。
新年には、夫とこの結婚を今年も続けるかを話し合うのだと言っていた。
そういう当時としては最先端の男女平等の考え方も尊敬していた。

今はただの「元同僚」である。
あちらが思い出すこともないかもしれないくらい。
「友人」としてつきあう未来もあったかもしれない。
私は筆不精で、文通なんてできなかった。
私にとって「手紙を書く」ということは夏休みの宿題と同じだったのだ。
   ‐―― その心は後回しにしたいもの。

まだ、メールなんてないころだった。
自分から電話をかけたりするのも苦手だった。

その時々関わった人たち。
手紙が苦手で、またはちょっとしたことに腹を立てて
関係を断ち切るような手紙を書いてしまったことも何度かある。

思慮や配慮のある文章を書けなかったのだろう。
思慮もなく、配慮もできなかったのだろう。


何でもない時に気軽にメールやラインをする なんてことも
しない方である。ハードルが高い。
こちらから招き入れることがとことん苦手なんだと思う。

「人が来る家にしたい」と思ったのも一瞬だった。
招くためにしなければいけないタスクに押しつぶされそうだった。
それを簡単にできる人は尊敬する。
誰かを「内」に入れることを私は絶えずためらう。
我が家はなかなか「実家」としては機能できない。



会いたい人とは「外」で会う。
そんなだから
友人知人は少なくなる一方かと思ったが、案外そうでもないのであった。






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