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楽しみだったブラックウィドウ、最近のハリウッドは女性視点すぎてちょっとキツイ

公開延期が続いて、やっとブラック・ウィドウが観れました。
スカヨハ製作総指揮なんですよね、いいなぁ〜!
最近は役者さんが監督やるのも増えていて、監督になる道に俳優というものがあったのかというのは目からウロコな気持ち。

Avengersマラソンで予習

いやぁ、この日のために1ヶ月前からAvengersマラソンしてきてよかった。
楽しみ方が全然違う。今までは「わかっていない方がドキドキするから素で挑む」タイプでしたが、こういうマルチバースシリーズものは仕込みが大量にあるので、いちいちネタを拾えた方が圧倒的に楽しい

これまでは公開ごとに時系列で劇場で観てきたのみ(アイアンマン3部作だけ2周してあった)だったけれど、Disney Plusを見始めて、ワンダヴィジョンのためにウルトロンを復習し、ファルコン&ウィンソルのためにウィンソルとシビルウォーを見ていたので、流れは拾えていた。けれど、ここまできたら最後まで復習しようと、インフィニティウォーとエンドゲームも見たら(ブラックパンサー、ドクター・ストレンジ、トムホSpidyシリーズは大体覚えている)「あ、これがこういうことだったのね」と。
ちなみにTHORはBig3なだけあって本編影響が大変大きく、特にバトロワ〜インフィニティ・ウォーはおもいっきし繋がっていて、何回か見てしまった。だいぶ忘れてるなー、公開当時も復習した気がするんだけど。ダークワールドはダーシー出てくるしな…!(WVで気づかなかったよ…)

今回のブラックウィドウはCWとIWの間の時系列だったから
・KGBレッドルームの過去
・Natの髪がブリーチになった理由
が少なくとも描かれるというのはわかっていて楽しみでした。

※ブルースはこの時点だとサカールに墜落してハルクとして遊び呆けており、アスガルドから戻ってきていないのでNatとブルースのロマンスが見られないことは確定。IWで再開したときにまだ互いに気がある風なので新しい恋人がいる感じもなく、過去のみなのは読み取れてた。

髪はまさかの普通のブリーチだったけどね…!!!(いやお似合いですが)

しかも染めた理由描いてくれなかった…どっかに伏線あったっけ?
他の作品への出演との兼ね合いだったのかな…とか思ったり。

スカーレット・ヨハンソンは美人だし、売り方が決まっているビッチOR清楚系でもなく様々な役が可能そうな人気女優さんなので、続編も難しいのかなぁと思うと寂しいところではある…まぁしかしあの状態で続編作られても改心したタスクマスターが味方になってまたキモいセクハラじじい倒すとかいう流れになりそうだな…

タスクマスターはマヴカプ登場キャラというのはネット情報で理解してたけど、カプコン系やってきてないのでイマイチ共感できず。でもたしかにそれっぽいw
盾の攻撃はCapのコピーなのかな(盾作ったの?タスクマスターさん)。

今回の中身は「うぁ〜ディズニー好きそうなシナリオ!」って感じ。
なんというかMARVELなのだし、そこはストーリーからませずにタスクマスターはVenomみたいな立ち位置にしてもらって、ただの超人とかロボでもよかったな…とちょっと思った。アメコミ見にきてるのにジェンダーロビイング映画見せられた気分だよ…

そしてレイチェルワイズはハムナプトラから変わらずお綺麗ですねぇ。
エンドクレジット後のお楽しみ(MCUの場合はもはや次回予告)はまさかのF&WSとリンクしてきて、あ、これはエレーナでドラマシリーズがくるか、ホークアイ単体映画にぶつけてくる予告ですねハイハイという感じ。

AvengersにおけるNatの存在

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通しで見ると、彼女のその歴史の長さに驚く。NatはずっとAvengersにいて、ロキから情報を抜いてみたり、ハルクのコントロールをしたり、スティーブを支えたり、口論になりがちなTonyを諌めたりと、潤滑油でもあり、まとめ役でもあり、強く戦場で前線で戦い続け、男子のくだらない言い合いも適度に受け流しチームのリーダーとしてありつづけて、CapとNatがいたから本当にAvengersは成立していたんだなと。

いつも最後にTonyが持って行くけど、Tonyはいつも最後に命をかけることで皆にかけている迷惑を帳消しにしているだけという評価で見ているので、個人的にはAvengersの主人公はやはりCapだと思っています。(Steve vs Tonyの描き方は、SupermanとBatmanの構造にやっぱりよく似ているんだよなぁ。望まぬが力をもつ心優しいヒーローと、悲惨に親を亡くしたひねくれ金持ち…DCがまねてるのかMARVELがまねてるのか)

Capはムジュロニアを持つことができますが、Natも持つことができそうな気がする。彼女は、実は根がオッサンなだけとか鈍感力が高いとかそんなことじゃないのが、EGで指パッチン後のチーム会議後、誰も見ていない時に一人で泣くシーンにとてもよく現れていて、しかもこれを見つけてしまうのがちゃんとCapで、それでも二人がズルズルと傷の舐め合いみたいな男女関係に陥らないのが本当に二人の良さを描いてて、うん、いいなぁ。高潔だなぁ。(チューするシーンあるけど、あの時Capの心はシャロン寄りだもんなぁ)

Natが人生に求めたもの

自分への罵詈雑言よりも目的達成のために動けるところ、戦いでも躊躇がなく、はっきりと優先順位が決まっている割に、その全てを見捨てようとせずに最後まで寄り添おうとする。

美しくて、強くて、人徳もあって、なんてできた人なんだろうと感じつつ、この人の幸せはどこにあるのだろう(これはCapにも言えるけれど彼のそれはEGで回収されて、Natは最後孤独死だから酷いよ)とずっと思っていて、今回のBWで出された結論が、MARVELのキャラクターとして描いているというより、最近のDisneyが強くメッセージとして出している「女の幸せはオトコじゃない、自分の幸せは自分が決める」を含んでいるところに、選択肢や価値観を多様に示すことに賛同はしつつ、そんなに自分を過小評価しなくてもいいからもっと幸せになって!と切なくなってしまったし、あとやっぱジェンダーメッセージ色が強すぎたというか、正直もっとフラットな設定でもよかった…(普通に昔の恋人の話を入れても良かったし、せめて実はLGBTだったとか、能力の目覚めとか超人血清の絡みとか、そういうのを期待してた…Natが不妊処理されてる話はウルトロンで出てくるからわかってたけど、そういう事実があるのも見ろというのもわかるけど、結局なんか胸糞設定詰め詰めなんだよね)

てか、ClintとScottはしれっと司法取引してて牢屋出てて妻と子供もおるし、TonyもあんだけPepperに大迷惑をかけた挙句許されてて子供はいるし、お前らばかり寛容な対応をしてもらい報われていい思いしてる割に、Wandaは寡婦孤児みたいなものでNatは孤独死で、メッセージが「女は強く生きろ」はなんかしっくりこないんですよ。Ms.MARVELはもう人間離れしててアレだし。別に普通に誰かと結ばれて子供ができたりするのは誰にとっても幸せな話なんだし、無理やり結ばせる必要もないけど、それで二世シリーズとか作ってもらったほうがよかった…WVキッズみたいに親の能力受け継いでる子供たちとかファイヤーエムブレムちっくでいいじゃん。

あとEGで、ソウルストーン回収をハルクがやってたら丸く収まったりしなかったの?も思った。死なないんでしょ?死なないからストーンは手に入らないってオチ?Nat守って死なないはずの命をかけてみるくらいのことはやってみてほしかったぜブルース〜〜〜

真面目なNatよ…
Buckyだってあんなに人殺してるけど、親殺しといてもTonyへの態度はふてぶてしいし、Samのお姉さん口説いてるよ!チャラく図太く生きてるよ!てかウルヴァリンの奥さん殺したのBuckyだったんだ…知らなかった(Wiki読んだ
そしてNatは原作だとBuckyの教官だった設定もあるんですね。ええやん、あの二人くっついても全然ありだわぁー。

Wanda & Visionは、MCUで描いてこなかった、X-MENとしての「スカーレット・ウィッチ」を表現するためのドラマシリーズと受け止めたので、ワンダはまぁあれでいいのかなという気もしつつ、弟と恋人殺されて何も残らなくてVR /ARしちゃったヤバい女みたいになっており…
いや、泣けたけどさ、普通に強いので、女のやばいところこじらせたメンヘラみたいな描き方せずに出来ればそちらを推してほしい…原作設定もあるのはわかるけど…もう各作品MCU版に改変しているのだしそれこそ現実版アレンジをしてくれてもいいのでは…
ヴィジョンにも君のしていることはおかしいと言われてしまい、正直あれが一番ワンダにとってきついと思うけど。。

BWに話を戻すと。
彼女の死は高潔で、孤独に見えていたとしても彼女の中には2つも家族があって、それで十分幸せだったという回収なのだろう。そもそも「家族がいることが良いことで、孤独死はかわいそうなことである」自体も固定観念であるのでそれを他人が決めるなというメッセージも感じるし、それはそれでいい。こっちが、好きなキャラクターにはもっと全力に幸せになってほしいと勝手に願っているものである…。

いやー、それでも家族も過去もぶっちゃけ全然良くなくて、打ち解けて「家族を許せたことで絆を得て、それで十分だ」というのも「Natあなたもっと報われていいのよ!!!!」とやはり全力で思ってしまった。

ということで、女性平等をしたいんだかしたくないんだか、ヒロインたちを引きずり出してきて、描くのこれですか?というのはちょっと思わんでもない。方向性が違っているし、わぁわぁ全面に平等を出してくる割には細かい配慮が全然行き届いてない感じが、監督による違いはあるのかもしれないけど、なんか納得いかない。

どっちかにしてくれw

自分を支配したがるクズを倒すために強くなれ

正直、ここまで過激には描いていないけれど、まぁ、女性のジェンダーロビイング系で根底に込められたメッセージはこれなんじゃないかと思う。

アメコミでやるのはヤメテとは思いつつ、ここの現実見ろよいい加減にどうにかならんのかは、日々同じ目にあっているし、周りの女性陣も被害うけまくってるので制作者の気持ちはよくわかる。

父親や上司という「その暴力性に畏怖を覚えることはありつつも、理不尽に自分を害する最悪な存在」というのは、女性VS男性の構図において、もう、歴史的に明確に存在してきていて、しかもそのモチベーションは「自分より弱いものを陵辱することで自分の地位を感じ自己承認欲求を満たしたい」という下劣でくだらないものであるのにも関わらず、女性や子供は彼らのそれに逆らえずにきて、それを口に出してはいけないことになっていた。男性は強くて憧れの対象でなくてはならないから「ヒーロー」であること以外を認められなくて、悪役はあくまでヒーローの引き立て役だった。けれどヒーローも人間で、男性で、プライドをどうしていいか悩むうちの一人で、その暴力性が弱いものに向けて自分を保とうとする構図は止まらない。

少なくとも私の中では、こういうことが多すぎて、男性というのはヒーローどころか、基本的に、意図的かどうか関わらず加害者という偶像だし、おかげで、父、上司、夫といった、「上」の男性というものへのイメージはもうかなり悪い。こんなやばい状態はとはいえ現実なんだ、変えられないんだと飲み込んで、だったらオンナを利用しきってやろうとも思えない。気持ち悪さが圧倒的に勝つし、そういう女性になること自体も好きになれない。

恐怖すら乗り越えて、よーしよし、わかったよ、君の弱さも全部愛してあげる、だから一緒に立ち直ろう?な〜んて思えるのは、血縁や家族や恋人や友達、大事な人だからこそである。相手の弱さもその原因まで辿って理解して、自分も一緒に傷つけられてすら、この人を救いたいと願うものであって、たまたま通りすがりの社会的関係を結んでしまった人にそれを求められても「てか誰?なにこの暴力痴漢?きもちわる」くらいの感覚にしかならない。

男性目線の作品で気持ち悪いのは、女性はすべからく男性を憧れるか包んでくれて、いつかは当然俺のことも愛してくれるという甘えがあることである。女性が心から優しくするのは愛する者と仲間たちにだけで、正直それ以外の男性のことは嫌だと思っているのが本音である。それを無理やり振り向かせるために暴力を振りかざしても愛など永遠に手に入らないし、つくづく迷惑というか、いやそりゃ二次元くらい夢見たいのはこっちも一緒だけど、妄想と現実の区別つかなくなっちゃっている人がいるのは正直どうなんという気がする。

まぁだからこそ身内にこのタイプがいると相当きついものがある。父親がトラウマの最初になる人が多いだろうけど、次が恋人・夫で、その次が上司・同僚ってところだろう。伴侶は自分で選べる時代になってるので、もうこれは、「孤独を怖がってないで離婚する勇気持とうね!てか離婚できるように仕事くらいしましょうね」でいいと思うけど、親族と上司は排斥が難しいのでなかなか心が折れる。モラハラクズは絶対どこにでもいるし。というかマウントはオスの本能なんだろうな、もう。隠しているかだけで。

彼らは最初は「俺が守らないといけない、か弱き存在」としてこちらを見ているが、これに該当しなくなった時の手のひらの返しようと言ったらとんでもなくて、あれは別に個体を愛しているわけでもヒーロー性が高いわけでもなんでもなくて、ただただ言うことを聞く便利道具と、自分が誰かを守っていると感じたいだけの踏み台がほしいだけなんだよなぁ、と頭で理解してしまうと、メスの被支配欲が刺激されてキュンキュンくる前に、もうヤベー奴という判断はついてしまって、信頼が生まれてくることはなく、どうやったら縁が切れるだろうということしか、大人になると考えられなっていく。
あとやっぱり男性から見たら「綺麗なおねえさん、女の子」はそりゃあ手元に置いておきたいだろうけど、女性からしたら「気持ち悪くて偉そうで殴ってくるオッサン」とか嫌悪以外わかないので、そもそも両思いが成立していないというか、そりゃまぁ暴力的にいかなきゃ手に入らんわなという気もする(挙句フェロモン・ロックとか何あれ…やり方も何もかも気持ち悪いの集大成)。

全てがこうだとは言わないし、自分や周囲の女性陣に嫌な思いをさせてきた人たちが局所的だったのかもしれないしれないし、もちろん男性の友人たちや先輩たちにそういうのではない人もいるし、そういう思いをしてこなかった女性もいるのだとは思うけれど。こうやって意見が噴出しているということは似たように感じている人も、実際にヤバい人たちがいることも事実としていい加減受け止められるべきではあると思う。

「彼らは、言うと逆上して余計に面倒だしどうせ気分の悪いことからは目を逸らす」とわかっているので言って来なかったことを、Twitterや作品で徐々に女性も口に出すようになってきたけれど、どの世界や関係性においてもこれが拭えないことを少しは目ん玉ひんむいて理解しなさいなほーら、という状況なんでしょうね…

最後は恩赦してしまう

「ワンダーウーマン1984」のほうが圧倒的にコレだった。自分の大事なもの以外はゴミのような世界なので、自分に守れる力があったとしても守る価値は感じないし、こちらから殺しはしないがもう勝手に死んでいただいて結構、というのはわかる。時々思うもん。

ただ、自分に大事な誰かがいるように、自分の嫌いな誰かにもその人を思う人がいるかもしれなくて、だから一人がそれを裁くなんてことは許されなくて、自分は自分の旅に出よう、これはAvengersでもそうだし、全ての作品の結論である。

ただ、なんか、やるならとことんやろうよ、と。
ドレイコフは性的機能を女性から奪うレッドルームを運営していたわけなので、彼を殺すときはきちんとえげつない去勢をして殺してほしいなぁと思いながら観ていたけれど、そこまで残虐な描写をしないのが不思議。女性陣は子宮も卵巣も暴力的に強制排除させられてるのに、なぜそこは平等にしないの?

死んだら清算なんて生ぬるい。需要がなかろうが、どうせやるなら、男性観客が絶対に見たくもない描写をわざわざ酷く見せつけて、本当はこうしてやりたい、反省しやがれお前ら、までやってほしかった。
同じKGBならClintも去勢すればいい。男スパイはレイプが武器になるかもしれないから機能を残すという意味にしか思えない。彼の方は家庭作ってて不平等極まりない。
ここも全然配慮がなってない。興行収入のため?子供も見るから?だったらなぜ女性への残虐措置は描写してよかったの?全然わからない。

そんなにひどいことをしなくてもいいの、私はもう大丈夫だから、ということなのかな。女の戦い方が「耐える、許す」と見せたいこともあんまり共感できない。別にどうせ殺すんだからここまできて聖母ヅラしなくてもいいというか。気に入らないやつは片っ端から殴り飛ばすヴァルキリーのほうがよほどしっくりくる。許すことはなく、途中で耐える必要すらなく、やられた分までその場でやり返すところを描けばいいのではないのかしら。
最後泣けば許してもらえてみんなHAPPYエンドにすることがまず間違ってる。男性女性構わず、「耐えることが美徳ではないのです、気に入らないものは殴れるくらい強くありましょう」でいいと思う。

THOR3でヘラが男兵士ばかり集めて「Kneel!」もなんか女性の表現が歪んでる気がするし…別にそういうことじゃないでしょうよ、女の復讐って…男服従させるとかそんな逆ハーしたい女なんてそんなにいるか?普通にアスガルドの良き王を目指せばいい話で、せっかくソーが王座を放棄してるんだし。そりゃ原作がそうなんだろうけど…。なんで引き合いに出す割にこういうネチネチした描き方ばっかりするんでしょ。(ヘラに関してはまずマレフィセントにしか見えない問題が強すぎて他のことが頭に入ってこないけどw)
研究好きすぎて雷神フっちゃうJaneみたいな描き方のほうがよほどいい。THORがなんだかんだ「Jane〜」ってずるずる引きずって惨めなのをコミカルにきちんと描いているのも良い。男がゴールじゃない、の正しい描き方ってそういうことでは。

女性に敵が多い理由

ロス長官とかゾラなんかは男性からしても悪役なわけで、クズは全方向にクズなわけですが、女性目線の作品が言いたいのは、「ちゃんとしている男性からは見えない、ヤバい男性の言動」と「無自覚部分」かなと。

男性は不当な暴力、罵詈雑言を男性から受けることはあるかもしれないが、彼らの受けない性的侮蔑や精神的陵辱を女性が受けていることに気づかないことは多くて。なんなら、あなたが身近な女性にそれを無意識にしていることもあることに気づいて、というメッセージの作品が増えている。

共闘してくれる人も少ない(女性もきちんと剣を抜かずに、まだまだ文句言ってばかりで泣いてるだけの側に回りがちだし、弱い側として生きようとしている女性が余計なことするなと強くあろうとする女性の敵に回ってくることもしばしば)なので、そもそも強くならなきゃいけないし、味方は探さなきゃいけないし、生理はあるわ妊娠するわ筋肉はつかないわで不利なこと満載である。

まぁそういうことも全部飲み込んで、強くなろうねというのが今回のBWで、自分の敵はとりあえず倒せたから、まぁあとはサッパリやりましょという幕引きなんですかね。

共感するのに後味が悪いのはなぜなのか

スーサイドスクアッドも、ワンダーウーマンも、ブラックウィドウも、なんならアナ雪2も、メッセージに色の違いはあれど「男が女の幸せではない」「自分の幸せは自分で探せ」「もっと冒険していい」「女だからと躊躇するな」というものでほぼ統一されている。「スキャンダル」あたりは飲み込んだ上で上手くやれ、だったけど…

メッセージも理解できるし共感もするんだが、なんというか「もう一度見たい」と毎回、思えないどころか、
鑑賞後の気分がかなり悪い。

前から分からなかったのだけど、多分
・全編通して「男は女の敵」の割に本人が幸せにならないし大体独身ゴール
・気持ちが悪い男の展覧会になってる
・ジメジメしていてスカッとするシーンがない

なのが実は嫌だったのかなと今回思った。(「悪口並べてるけど結局何が言いたいの?ずるずるそいつのものになってるのは自分でしょ?」というところが拭えない。のび太とジャイアンは男の友情作れるけど、男女の場合は倒した男と友達になるという選択肢はないので話に発展性がないのかね?)

そして、まーーーーー気持ち悪くて今まで経験してきた嫌な気持ちが全部描写されているので、胸焼けするんですよね…

なので、残虐だろうが好みの人が延々と見られるウィンターソルジャー見て「あーバッキ〜〜〜かっこいい好き」ってなったり「兄上に怒られてるロキちゃんきゃわ」ってなったり、サノスにエグい目に遭わされつつも珍獣大集合をコミカルに描いているガーディアンズとか、弟に散々刺されて殴られて姉に目潰されて民を半殺しにされても明るく生きてるソーを見ている方が、まぁやっぱり楽しいのである。

つらい現実から目をそらすわけでも蓋をするわけでもなく、もちろん一つの啓蒙作品としても鑑賞はする。けれど、きつくて気持ち悪い現実はどうせ朝になればそこら中に転がっているし、だったらせめて楽しい未来を、好きな人を見ていたい、と思ってしまう。
ということなのかなと思った。
なんとなくだけど、BWが悲惨な話の割にあっさり終わるのは、Natがクソ親父虐殺してもいいような話を引きずらずにいい思い出にしようとするのは、そういうことなのかなと。ただ、ちょっと、いい子に終わりすぎたかな。もっとブチギレて本音だして、ワガママになってもよかった。ソーがサノスの首落とした時みたいに思いっきりやっても良かったんだよ、Nat。(WVが自由すぎたかw)

起こってしまったことは仕方ない。理不尽は存在する。
それでも、前向いて、せめて好きなものを見つけて、そのために生きていこう。これが真のメッセージだといい。

Buckyのことが好きな理由はここかもしれない(突然の告白)
あのひとは年齢性別関わらず等しく殺す。正確に仕事をする。
意識が戻れば、従うのは権力ではない、自分の判断と自分が守りたい相手のためにだけに戦う。自分の罪からも逃げずに、できることを考える。Tonyのように金や権威に逃げず、殴られても、ノートに書き記すくらいの小さい一歩でも、誰も知らなくてもいいから。

自分自身の感情から逃げない。背負い過ぎもしない。
CapやNatのように我慢しすぎもしない。ムカついたら誰であろうと殴る。食べたいものは食べる。住みたいところに住む。寂しくなったら会いに行く。困ったら頼るし甘える。
そういうところが好き。いやもう見た目も設定も格好もツボな推しですが…
役者の方は相当チャラチャラなのであくまでキャラ萌えw

Dr.strengeもこれに近いのでキャラとしてはだいぶ好き(カンバーバッジがそんなに好みでないので追いかけるほどファンにはならないけど…)

てことで、MARVELもMCUも好きなんだけど、今回のBWやWV含め、最近のDisney作品は、キャラクターがどうこうというより、女性が男性や社会に対して抱く不満という特色を引きずりだしすぎてキャラの良さを潰してしまってませんか?というのが総論かも。

セーラームーンもレイアースも女性ヒーローズだけれど、とても面白かった。その中には弱さも恋愛模様も描かれているし、服装も小物も可愛らしくて、だから女子受けするというものではなく幅広く人気があったように思う。内容が面白かったから。子供心にもやれヒロイン、ヒーローを男女差別として考えることはなく、しなやかに強い存在として憧れたし、強くて格好いいヒーローキャラと結ばれたところで「よかったぁ〜」と思いこそすれ、「結局男とくっついたら世の中よりも大事かい、つまらん!」と思ったことも別にないない。筋肉すごくて男性キャラを凌ぐパワー自慢の女性が出てきたらそれになりたいと思うかというと、これも別に違う。みんなそれぞれ別の個性を持ち、憧れの素敵な人がそれで幸せになるのなら十分なのである。

少年漫画でも、普通にDr.stone読んでいてコハクがかっこいいなと思ったりもする。多分物理的に殴り殴られすることで成長を描こうとする少年漫画では、男子が主人公の方が話が早いのである…差別ではなく、女性があまり殴られたり殴り合っているところを見て「やれー!」と感じるより、痛々しく感じてしまうし、女性から見たら結局野蛮なのであまり需要もないんだよね。

恐らくは、女性クリエイターが少ないか、その描き方が恋愛依存に偏っていることで、男性に「男性では気づいていない作中の差別」を許してしまっていて、それが作品を通して世の中に蔓延していることへの静かな怒りがあの様な形で紛糾しているのだろう。

ということで、「次のMARVELは歪んだ配慮のない爽快アメコミでお願いします!」。以上。

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