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自分の行動は、全て自分の為に選択したものだ

ニュージーランド在住で、総合診療科医、ライフコーチ、Havening technique ®️プラクティショナーなどをしています。

私達は、よく「子供のためにxxする」とか「妻のためにxxする」とか「波風立てないためにxxするしかない」とか言いますよね。

まるで、「自分がxxする」のは、
「自分以外の人を満足させるために、やらされている」かのような言い方をする事はよくあります。

そうでしょうか?

ちょっと考えてみて下さい。

いつでも、複数の選択肢はあるのではないでしょうか。

「そう言われても、選択肢がない事もあるよ」という方。

時に私達は、無意識のうちに、それも一瞬で
「何が一番上手くいきそうか評価して、選択」
という作業をしてしまっています。

それで「選択肢が無い」様に思えてしまう。

これは「選択」と聞くと、いつも私が思い出す話なのですが
こんな例を考えてみてください。
(悲しいお話であるので、特にお子さんを亡くされた方などは、注意必要。)

戦争中、赤ちゃんを産んだばかりの女の人が、他の人たちと一緒に
敵から逃げ隠れていました。
みんなが息を潜めて、敵の兵隊に見つからない様に隠れていた時
赤ちゃんが泣き始めて、お母さんが何をしても泣き止まない。

一緒に隠れている周りの人たちは、女の人に
「赤ん坊を殺せ。そうしないと私達全員が見つかって殺されてしまう!」

この女の人には、どんな選択肢があるでしょうか。

「そりゃあ、この状況では、赤ん坊を殺すしかないでしょう」

そうでしょうか。

それは一つの選択肢です。

でも他に、こんな選択肢は考えられませんか。

  • 「隠れている人たちから離れたところに、赤ちゃんを生きたまま放置する」

  • 「女の人がグループから離れて、赤ちゃんと二人で逃げる」

まだ他の選択肢があるかも知れません。
選択肢は、いつでも2つ以上あるのです。

ただこの例の様に「どの選択肢を選んでもしんどいな」と言う事はあり得ます。

それでも最終的には「選択」は自分の為にしています。

例えば
「子供を自分で殺す」選択は、それをした場合子供は死ぬ。女の人は一生罪の意識に苛まれるかも知れない。
でも自分と周りの人は生き延びれる可能性が上がる。
それをしなかった場合は、子供を含めて全員殺される可能性が高い。
もしも捕まって、全員が辛い思いをすれば、女の人はその責任を感じて生きていかないといけない。

「子供をどこかに放置する」選択は、それをする時、自分(女の人)も赤ちゃんと一緒に見つかって殺されるかも知れないし、見つからなくても、赤ちゃんは放置されたら死ぬ可能性大。赤ちゃんはお母さんを求めて泣き続ける。それを想像すると女の人は辛い。

「女の人が赤ちゃんと一緒にグループから離れる」選択は、赤ちゃんが泣き続ければ、二人とも見つかる可能性大。グループのリスクは減る。二人がすぐ敵に見つからなくても、女の人はたった一人で赤ちゃんを連れて生き延びないといけない。そんな自信があるか。

結局どんな難しい選択も、

自分が後悔するか、辛い思いをしそうか、とか
自分が(他の人に迷惑をかけた)と感じて苦しい思いをするか、とか
自分が、他の人からの非難に耐えられるか、とか

自分が内面でどれだけ嬉しく感じるか
自分が、どれだけ他人からの賞賛を得て、幸せに感じたいか
自分が、他人が幸せなのを見て、満足を感じるか、とか

こんなことを全て天秤にかけて
自分にとって一番良いと思う選択肢を選んでいるのです。

場合によっては「…のために」とか「…のせいで」と言って、
自分の行動の責任を他に委ねようとすると
自分が救われた様に感じる事は多いです。

例えば、この例の女の人は
「戦争のせいで」とか「周りの人に、赤ちゃんを殺せと脅されたから」と
考える事で、
自分が下した決断に対して、多分少し救われる気持ちがすると思います。

それが、正しいとか、間違っていると言うことではありません。
もしもそれが、自分が自分の人生を有意義に生きるのに役に立つのであれば、
その考え方を採用すればいいのです。

ただ、私達が毎日しているのは、この例の様な極端な状況や命に関わる様な決断でない事が多いです。

もしも
「xx(自分以外の人や物)の為に、やりたくないけどやらないといけない」とか
「xxのせいで、こんな事をしないといけない」
と思って、いつも腹を立てていたり、ストレスやフラストレーションを溜めていたら
もう一度、「その選択肢を選んだのは誰なのか」を考えてみて下さい。

それが「自分」である事を自覚する事によって
実はもっと選択肢があるのに気がついたり
「被害者」として生きるのをやめることができます。

皆さんが「自分が自分の人生の運転手である」と感じて、
自分の人生を切り開いていくのを応援しています。

今日も長文を読んで頂き、ありがとうございました。

「親も育つ子育て」を広めるために、私の持っている知識、経験、資料をできるだけ無料で皆さんに届けたいと思っています。金銭的サポートが可能な方で、私の活動を応援していただける方は、サポートをしていただけると嬉しいです。