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『カランコエの花』人間がお互いを理解するって難しいよね。

こんばんは。

今日はAmazon primeで

『カランコエの花』

を鑑賞しました。


数ヶ月前にSNSか何かでこの作品を知り
念願の、でした。


◯あらすじ

ある日突然保健の先生が

「LGBTって知ってますか?」
「私は人を好きになるのに性別は関係ないと思う」
(ニュアンス)

のような授業をします。

でもどうやら他のクラスに聞くとその授業が行われたのはうちのクラスだけ。

すると生徒たちの間で

「うちのクラスだけに授業したってことは
うちのクラスにLGBTいるんじゃね?」

と噂が広がります。

キモい、とLGBT探しを始める人
レズビアンの子を知っていてどうすればいいか悩んでいる人
自分の友達はレズビアンなんかじゃないと主張する人

様々なクラスメイトが出てきます。



この作品を観て感じたことは

登場人物の中に悪気があった人は1人もいないのではないか

ということです。

知識がなさすぎてどう対応したらいいかわからなかったり
頭ではLGBTについてわかっていても当人が望まないことをしてしまったり
世の中にLGBTがいることは理解できても実際に身近な人が当事者であるとわかると動揺してしまったり

きっと、誰も傷つけたいなんて思っていないんです。
でもその知識の無さが、向き合う態度が、当事者を傷つけてしまうこともあると
この作品を観て改めて思いました。


性自認や性的指向についての考え方は
みんな違うと思いますが

私個人的には話したくないならもちろん話さなくていい
でも、ゲイなんだよね。って言われたら
あーそうなん?じゃあいい男いたら紹介するわ〜
みたいな会話がいい
というか、私自身もお付き合いしたことはないけど
バイなので
友達に恋愛相談する時とかこんな感じのテンションで聞いてほしい


でも同性を好きになるということが理解できない人や中には気持ち悪いと思う人もいることもわかります。

LGBTに限らず
マイノリティを理解することが「多様性」ならば
理解できない人たちも「多様性」の一部として
認めるべきだと私は思います。

でもそれが傷つけたり傷ついたりということに
つながるんですよね、難しいです


でもでも人間関係において
2人きりの時に話したことを
間接的にでも第三者に伝えることって良くないですよね
そして事実を知らない人たちがあらぬ噂を立て始める
この作品も本人の口から聞けばもしかしたらすんなり
受け止められたことも
第三者を通すことによって悲しい結果になってしまったように感じました

だからLGBTの話題って特別な感じで捉えられがちだけど、
普通に人間関係、人とどう接するかってことだと思うので
LGBTという言葉に囚われすぎずその人自身を見るようにするだけでだいぶ素敵な世界になるんじゃないかなと思うんです。


私はLGBTって言葉がなくても
みんなが「自分」で生きられる世界になったらいいなと思っています。
(でもそれがアイデンティティでコミュニティを大切にしてる方々がいるのも承知しています。私個人の意見と捉えていただけると嬉しいです。)

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