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一日一首を続けています

毎日、続けている短歌との付き合いについて書いています。なぜ始めたのか、なぜ続いているのか、これからどうしたいのか。

短歌を詠んでいます

短歌を一日一首詠んでいます。
(俳句は一句。短歌は一首)

正確には、その日はメモだけ残して、別の日に歌の形式(五七五七七)に整えることもOKとしていますが、一日一首以上、歌を詠むことを続けています。

もう一年半、続いています。

大変と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、五音、七音は、日本語に染み付いています。五七五七七の三十一文字(みそひともじ)に並べるだけなら、苦労はありません。

実際に、短い文章にするだけでも、五音と七音が並ぶことが多くあります。
標語は、わかりやすいですよね。

「とび出すな 車は急に止まれない」(五七五)
「のんだら のるな のるなら のむな」(七七)

それだけではありません。例えば、仕事で
「やることがたくさんあってつらいー」
「今日はもう飲んじゃおう」
と思ったとします。

やることが/たくさんあって/つらいです
明日はがんばる/今日はもう飲む

ほら、これだけで、五七五七七になってしまいます。

歌の形式にすることだけなら、本当に面倒なことはありません。
(形式に合わせるだけならね)

歌を詠みだしたきっかけ

きっかけは「ほぼ日の学校 万葉集講座」を受講したことです。

もともと万葉集に興味があったわけではありませんが、日々おもしろいコンテンツがアップされるあの「ほぼ日」が開催する講座がおもしろくないわけがない! と考え、条件反射的に応募しました。実際に参加できて楽しい時間を過ごさせていただきました。

題材の「万葉集」は、最古の和歌集です。

和歌は、ざっくり今の短歌であると思っていただいてよいです。
もともと歌には、五七五七七以外の形式(長歌)もあるし、現在、和歌と呼ばれているものは、枕詞に代表されるように特定の表現形態を取るものを指したりしますが、ここでは同じ短歌と考えてください。

2018年末、連続講義の授業初日、
「来年からは、一日一首読んでくださいね(^▽^)ニコ」
と、運営の方から、生徒全員に手帳が配られました。

ザワつく教室…(笑)

もちろん、強制される課題ではありませんでしたが、この時、
「よし、詠んでやろうじゃないか!」
と思ったことが始めです。2019年1月から、一日一首が続いています。

昔、国語の授業の一環で詠まされた時、抵抗がなかったので、まぁ何とかなるだろうと思えました。先ほど書いた通り、「毎日、大変でしょう」とおっしゃる方が考えるほど、大変ではありません。幸い丸一日以上、短歌を詠むことを忘れたことはありません。24時を回る頃まで忘れてしまうことはよくあります。泥酔したときですね。

歌を続けている理由

主に二つあります。

一つは、生活の支えになっていること。
歌を詠みだした2019年、私の生活に、いくつかの大きな変化がありました。
数年続いた仕事の悩みがついに、2019年前半に転職という形で表れたり(実際の転職は8月)、2019年の年末には妻子と別居しました。別居するくらいだから、すでに2019年に入った頃には、うまくいっていたとは言い難い状況がありました。
毎週、毎月の変化が大きく、嬉しいこと悲しいこと、怒り、無気力、気分の波が大きい年でした。一日5分、長くても10分程度、言葉を並べる、言い換える、もっと具体的にできないか考える、そうした時間が救いになっていたと思います。実際に詠んだものを見返すと、日記としても機能しているようです。やめるにやめられなくなってしまっていますね。

もう一つは、うまくなりそうで、決してうまくならないこと。
実は2019年1月、歌を詠み出した時、きっと毎日詠んでいれば、自然にかっこいい歌が詠めるようになって、三年後には、短歌をやる人たちから、ちやほやされるようになるだろう、と、そんな甘いことを考えていました。

実際には、そんなことはありえません。
さっき書いた通り、三十一文字(五七五七七)に合わせるだけならそんなに苦労はないんです。毎日決めたから、文字を並べる、文章を五音、七音に合わせるまではやるんです。けど、そこからの工夫がほとんどありません。そうするとただの短い日記なんです。読んでもグッとこないし、自分以外の他人が何かを感じてくれるものでもありません。他人どころか一週間後に自分が見ても、それは何も感じない文章でしかないんです。あと5分、推敲に費やすことができれば、「もう少し、成長できるかも…」そんなことを日々思っています。ちょっと先、目の前にあるゴールに届かないもどかしさが続ける理由の一つです。

これからも詠みます

一年以上、続けている今、もう少し短歌について欲張りたいと思っています。
「歌がうまくなりたい!」
控えめな言い方をすると、
「他人が何かを感じる歌になれば嬉しい」
という気持ちでいます。

短歌には、多くの先人がいます。
自分が感じたような悲しさ一つとっても、
「あぁ、こんな表現で伝えるのね!」
と思うことがあります。

また、私の生活にあるような事柄でも、
「あぁ、ここを見ちゃう!? 見つけちゃうの?!!」
という視点にあふれています。

「少しだけ、うまくなりたい」この気持ちがある間は、まだ続けていくことになりそうです。

できれば、日々、歌集と付き合う時間を持って、他の人の歌と比べて、自分のことを冷静に見つめたり、第三者として見つめたりしたいと思っています。

表現を変えるだけで、自分が感じた驚き、悲しみ、つらさ、ちょっとした楽しさを伝えられる可能性もあると思っています。短歌の添削を受けたいと思い、今年は、歌会に参加したいと思ってました。こちらは、コロナ騒動でリアルな歌会にはまだ参加できていません。メール歌会という形で、少し、添削のご意見を伺うことができたので、まず一歩というところ。

早くリアルな歌会で、いろんな気持ちを吐き出したいなぁ。他の人の歌の悩みを聴いてみたいなぁ。

一年後、二年後、五年後、十年後、続けているかわかりませんが、続いているといいなぁ、とうっすら望んでいます。これから知り合う短歌仲間の方、歌人の方、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。


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