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【エッセイ】我慢の先の一攫千金、やめた先のアリの幸せ

幸福は薬である。そして、良薬にも劇薬にもなるそれは、私たちにとって非常に効きすぎる代物である。

同じく、我慢も薬なのではと思う。これもまた良薬にも劇薬にもなることができ、扱いがとても難しい代物だと思う。

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恋人との別れになかなか踏み切れない期間があった。

当時の私は付き合っていた彼に対して不満や不安、そしてそれに伴う辛さを山ほど抱えていた。身体は毎日ずっしりと重く、理由もないのに所構わず泣いてしまいそうになった。終いには「消えたい」という言葉が頻繁に脳裏をよぎり、私自身の決意なのか、相手に対する恨みなのか、どちらとも分からない「死なない」という言葉がぼんやりと浮かんでは消えていった。

そんな状況になっても、私は恋人との別れを切り出すことを渋り続けた。

彼が好きだったから? それもある。しかし、それよりもはるかに「今の方が私は幸せになれる」という思いが大きかった。

数年前から作詞をするようになった。多いときで1日に3つ。少なくても2、3日に1つぐらいのペースで書き続けていた。作ったものをどこかに公開することはほとんどなかったが、溜まっていくメモ欄を見るときと、自身が綺麗だと納得できる歌詞ができることが何よりも嬉しかった。

作詞活動は、彼と付き合い始めてから特にはかどるようになった。彼の何気ない言葉に飛び上がった気持ち、喧嘩をしたときの情景、日頃の感謝の思い、売れないバンドマンのように感じたことを次々と詞に込めていく。彼との関係性に悩むようになってからは、その速度はさらに上がっていった。

私にとって作詞はとても重要な行為だった。何かを作ることや音楽に携わる世界と関わりたいと思う自分にとって、作詞は唯一繋がれる手段だと思っていたからだ。だからこそ、作詞のエネルギー源となっていた彼との関係を切ることを私は非常に怖がった。

気がつくと私は「我慢」という劇薬を飲み続ける日々を過ごしていた。
そして、この我慢の先に幸せがあると信じ続けていた。

数ヶ月の葛藤の後、程なくして私は恋人との別れを決意した。友人の説得や恋人との話し合いのおかげだった。

別れてからは、想像をはるかに超えるスピードで、彼との思い出が脳内から消えていった。案外、自分の心を守るために辛かったときの記憶を忘れてしまうことがあるというのは本当なのかもしれない。別れた数日後には、すでに別れる直前に話していた事柄も彼のどんなところが不満だったのかさえも、ぼんやりとでしか思い出せなくなっていた。

やけに軽くなってしまった身体と心に不安を覚えた。そのときにやっと苦しみを我慢することで、私は自身の空白を埋めていたんだと気がついた。

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「これ、お別れ記念。おめでとう」

数週間後、恋人との別れを一番勧めてくれていた友人がそう言って渡してくれたのは、スヌーピーのイニシャル入りハンカチだった。「買いたかったイニシャルなかったから、私のイニシャルにしといた」そう言う友人に、私は「なんでやねん、無いんやったら他のハンカチ探してや」と笑いながら受け取った。

その日の帰りの電車のなかで、私は何度も鞄から友人のイニシャルの入ったハンカチを取り出し、眺めていた。彼と別れてから、最初に自分は幸せだなと思った瞬間だった。幸せって思ったよりも些細で身近で簡単なものなのかもしれないとも思った。

空っぽだった心と身体に少し重みがついた気がした。今回の重みは以前のような鈍く押さえつけられるようなものではなく、私が軽さのあまりふらっと消えてしまわないように、捕まえてくれるような、支えてくれているような、そんな優しい重みだと思った。

作詞はなんだかんだ今も続けることができていて、その表現は内面をえぐるような感情的で個人的なものから、素朴で柔らかい普遍的な日常へと変わっていった。

我慢はしない方がいいと耳にすることがある。しかし、大きな幸福を得るためには、ある程度の我慢は必要なことなのではとも思う。健康のためのお菓子の我慢とか、新しいことへの挑戦とか、修行とか、辛いことに対する我慢は私たちに充実感や達成感といった幸福をもたらしてくれている気がする。

「アリが10ぴきで“ありがとう”」という言葉遊びがある。

たいていの幸福は小さいながらも、したたかに見えにくいところにあるのかもしれない。今までの私は死に物狂いの我慢の先にある「一攫千金」のような物語じみた幸福ばかりを真の幸福だと思い込み、追い求めてすぎていたのかもしれない。

幸福も我慢も薬である。泣くほどに嬉しい幸福もじんわりと心に滲み入るような幸福も、死ぬほどに辛い我慢も、私にできる範囲でたくさん受け入れられるようになりたい。

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