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夫、救急車で搬送される

4月1日わたしが在宅にて初勤務を終え、傍らではヒョヌが夕飯の準備をはじめた。すると突如、ヒョヌが「わたしの顔半分がよく見えない」というので「目薬でも打ったら?」と流す。その後一緒に会話をしながら食事をしていながらもずっと目が見えないだとかぶつぶつ言いながら意識ここにあらずという感じでボケっとしている。

食後の散歩にでかけようということで、家の横の公園にでかけたのだが、歩くのがつらいとのこと。それからというものヒョヌが「この公園なんて名前だったけ」「は?立野公園でしょ?」とか「昨日いった街の名前なんだっけ」「江の島のこと?」「IWGPの街ってなんだっけ?」「池袋でしょ?」「いけってどんな漢字だっけ」とかとんちんかんなことをやたら聞いてきた。心が落ち着かずはやく家に帰りたいというので散歩も早々にきりあげ帰宅した。頭が痛くて胃腸の不快感もあるとのことなので「疲れてるのかね?ちょっと寝たら?」と促し寝室に入って行ったが、どうやらつらくて寝れない模様。

普段の不調時よりも増して不調を訴えるので、ヒョヌの症状を携帯で検索していると上の症状がなかなか「脳卒中」と一致するではないか。ふむ…どうしたものやら…念のため夜間医療相談センター的なところに電話をし、状況を説明するや相談員さんが「救急車を手配します!」というではないか。

同時に友だちの森田医者先生(産婦人科だけど)にもヒョヌの症状をラインしておいたのだけど、森田先生からもすかさず電話がかかってきて「すぐ救急車だね」と注意喚起される。

ここでヒョヌ、激しく嘔吐。夕飯に食べた餃子をすべて戻す。

あれよあれよと我が家の前に救急車が到着し、夫と共に救急車に乗り込んだのだった。救急車には担架でかつぎこまれるものだとばかり思っていたので、しっかりとした足取りで乗り込む患者(夫)をみて、こういうは乗り方もあるのだなと拍子抜けした。

保谷病院は受け入れ不可で拒否され久我山病院へ向かうことになった。
病院に到着したのが21時半くらいだっただろうか。久我山病院では脳外科医のK先生という方がヒョヌの診断にあたるとのことで私に挨拶だけしてくれたあとヒョヌのいる救急病室へと入っていった。この先生スキンヘッドでワンパンマンそっくりだった。

病室の外の椅子で待つこと約2時間ほど。携帯をいじりながらおとなしく待つわたし。へ~夫が救急車で運び込まれて脳の検査を受けているときもTwitterとか株価って見るんだ~と我ながら関心(または寒心)。

それにしても救急隊員さんとか夜間当直の医療陣の方とかほんと頭が上がらない。10~18時ではたらく会社員のワークライフバランスはあなたたちの不養生の上に成り立っているのですねと感謝。

24時を回るかくらいのところで病室に呼ばれ検査結果を聞く。MRIとかCTとかの結果これといった脳の異常は認められなかったが、症状からして軽い脳卒中イベントが起きていたのではないかとのことで「今日は家に帰すの危ないから入院しなさい」とのご指導のもとヒョヌの入院手続きを済ませわたしは家路についた。患者はヒョヌだけど、わたしも初勤務日にして夜中2時に床に就き翌日オフィス初出社というなかなかハードデイズナイトだった。

*おまけ
病院代は恐ろしや実費20万円でした。後日会社から保険証が発行されたら3割負担に減額してくれるとのことだが、6万でヒョヌの命を買ったとおもえば安いものです。


35歳にして未亡人になりかけた2021年4月1日の出来事。

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