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通訳は「外国語が話せる人」じゃない

通訳は「外国語ができる人」ぐらいに思っている人も、世の中には結構多そうな気がします。
そこで、私自身の経験から、少し「考えてもらえたら嬉しいな」と思う点を、いくつか書いてみたいと思います。

服務の宣誓

通訳にも、一種の宣誓があります。

私は、私が持ちうる最高の知識を用い、良心に従い、伝えるべき内容を、正確な言葉と文脈で、不偏不党かつ公平中正に伝える。

こんな感じの「服務の宣誓」です。
(一字一句このままの文言ではないですが、内容的にはこんな感じ)

「服務の宣誓」は、日本だと国家公務員や消防員、警察職員、自衛隊など、いろいろな職種であるようですね。
こちらで、正式の通訳として登録する際には、この宣誓と「守秘義務」の2つに署名をすることになります。(形としては任意なんですが、自動的にそうなってるようです)

一口に「通訳」と言っても、実際の現場は色々です。
シビアなことも多いです。

裁判で子供の親権がかかっているとき、通訳には、その子供の一生が関わりますし、ビジネスで、国際調停の場など、通訳次第で莫大な金額と人が動きます。

上の宣誓文を見て「重い」と思った人も、もしかしたら、いるかもしれませんが、上に書いた2つの例を見ても容易に想像がつくように、「通訳は、時と場合によって、人の人生を左右する可能性もある職業だ」というのを、絶対に忘れてはいけないと思うのです。

通訳の「やり直し」はありません。
一回ごとが真剣勝負です。

「グレー」な通訳

通訳を専攻できる大学も幾つかありますし、日本だと専門学校でも学ぶことが可能のようですね。
こちらでも通訳は専攻できますが、日本語のようなエキゾチックな言語の場合、割とグレーゾーンなところがあって、「名乗ったもの勝ち」みたいな感じがあるのは事実です。

1つの目安は「私は通訳です」と自己紹介できるか、「通訳もできます」と言うか、でしょうか。
100%確実だとは言いませんが、後者はグレーな可能性が高いです。

でも、グレーだからと言って「能力がないか?」と言うと、必ずしもそうでもありません。(だから余計に話がややこしくなるのですが・・・)
本人が「できる」と言うのであれば、そして、クライアントがそれで納得しているのであれば、別にそれで良いと思います。

基本的に、通訳という仕事は個人プレーですから、「自分の能力」頼みの世界です。その場に行って、できなくて恥ずかしかったり、悔しかったり、クライアントに怒られるのは「自分」です。

ただ、上記の宣誓は、私たち通訳の意識の中には、常にあります。

「通訳もできます」で仕事をしている人がいても、それなりの意識を持ってしているのであれば、問題ないと思いますが、通訳としての義務と責任を自覚しないまま、「外国語できるよ」というノリだけで仕事をするのであれば、「それは問題ありかな」と、私は思います。

「おもてなし」通訳

「ボランティアで通訳をしたい」
「海外からのお客さまを、おもてなししたい」

そういうモチベーションで、通訳をしたいと思う人がいるのも、知っています。みなさん善意からそれを希望しているのだと思います。

でも、もしそこに、
「無料でやって(あげて)るんだから、このぐらいでいいでしょ?」
「無料でやって(あげて)るんだから、喜んでよね(感謝してほしい)」
といった、「してあげる」意識が、少しでもどこかに入ってくるのなら、考え直してほしいと思います。

感謝してもらえるのは、嬉しいし、ありがたいものです。
でも、それはあくまで結果として相手から「思いがけず頂けるもの」であって、最初から期待したり、要求すべきものではないと、私は思っています。

同様に、無料じゃなくても、かなり低い値段で引き受けて「これしか貰ってないんだから、これぐらいで十分!」と、手を抜いてしまうとか、「このぐらいわかんなくても(間違っても)、文句言わないでほしい。これしか払ってくれないくせに」となるのも、間違っていると思います。

何のお仕事でもそうですが、プロとしてやっている人は、知識や技術だけじゃなく、それに見合った「意識」と「矜持」を持って、お仕事をしています。

通訳も、「服務の宣誓」は飾りではないのです。

2020年には、東京オリンピックですね。
通訳の需要も、増えてくると思います。
通訳を依頼する方も、いろいろと考えてほしいと思います。

「通訳は使えるだけ使った方が得」みたいには、考えてほしくないです。
通訳も人間です。「消費」して欲しくない、と思います。

クライアントの意識

依頼する側として、コスト節約を考えるのは、当然のことだと思います。

通訳に限らず、あらゆる業種のフリーランサー(自営業)に共通すると思うのですが、「どのくらいの値段が適切なんだろう?」というのは、とても悩むところです。

仕事は欲しいけれど、あまり高い値段にして断られたら困る。
でも、だからといって、安売りするのも納得がいかない。

こんな感じのジレンマは、多かれ少なかれ、皆さんある(あった)のではないでしょうか。

クライアントの方に、私が時々説明をしていたのは「トータルコストとしての、通訳の位置づけ」です。

例えば、ある会議が開催されるとします。
内容は以下の通りです。

開催地は日本です。
参加者は日本側が3人、外国の方が3人の、計6人です。いずれもマネジメント・レベルの人たちです。外国の方々は、X国(非英語圏)から、日本へ出張して来ました。X語が母国語です。
会議テーマは「プロジェクトのアラインメント」です。
ちょうど、半年前にも同じ会議がありました。そのときは、参加者全員、英語を使って会話をしました。会議には5日かかりました。
でも、どうもうまく進みません。
何度かTV会議もしましたが、納得がいかない部分が残っています。
そこで、また最初に戻って、半年前の会議と全く同じアジェンダで、再度会議をすることになりました。
X国から、前回と同じ3名が日本へ来ました。今度の会議には、日本語とX語の通訳を入れました。
(通訳は業界の人ではない。いわゆる「ただの通訳」)
会議は3日で終了しました。
お互いに、前回より多く話すことができ、何故これまで上手く進まなかったのか、問題点も明らかになり、相互の理解度も深まりました。
最初の会議の時を考えて、今回も5日間の日程を予定していましたが、結果的に2日早く切り上げることができました。
TV会議のフォローも不要でした。

経営者、マネジメントの方なら、すぐに頭の中で計算できると思います。
どちらの会議が、コスト的には高かったのでしょうか?
(これは、私の実体験を基にした例で「ただの通訳」は私でした。)

通訳は、まだ「高い」でしょうか?

普遍の法則

どの外国語を話すにせよ、これは「絶対」だと思う法則があります。

母国語で知らないものは、外国語でも聞けないし、話せない。

日本語でさえ「理解できない・わからない」ものを、外国語で聞いて理解できたり、そのテーマを、即座に2つの言語で話せるなんて、まずあり得ません。

私も、いろんな通訳さんに会ってきましたが、できる人(上手な人)は、皆さん本当に良く勉強しています。 
常にいろんなことに興味を持って、情報を吸収しています。

依頼が来てから、その分野について集中的に勉強をする、ということも、当然ですが、珍しくありません。
引き受ける以上は、「知りません・わかりません」は通用しないので、好き嫌いを言わずに勉強するしかないんです。
(専門誌の論文を読むくらい、ごく普通にあります)

「無理」、「嫌い」、「苦手」などと言って、「自分に限界を作る人」は、通訳にはあまり向いていないかと思います。
(引き受けられる仕事の枠も決まってしまいますし。)

実際の仕事の現場では、最後は自分の言語能力と知識を信じて、度胸で勝負するしかないです。
でも、その度胸も「勉強してきた。やれるだけのことはした。」という努力の裏付けがあるから、持てるのです。
その意味では、一発勝負の受験に似ているかもしれません。

業界としての責任

通訳という仕事の場では、使う方も、使われる方も、「通訳とは一体どんな存在なのか」というのを忘れて、ただの「外国語のできる人」という認識で捉えたときに、いろいろな面で問題となる気がします。

これには、通訳業という業界の怠慢さもあるのかな、と思っています。
通訳という仕事が、実際はどういうものなのかを正しく伝える努力が、通訳自身にも、足りない印象を受けるのです。
もっと、いろんなところで、業界として、宣伝と啓蒙に力を注ぐ必要があるのではないか、と感じています。
(この記事で、何か感じてくださる方がいれば、書いた甲斐があった、というものです・・・)


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余談なんですが・・・

どの世界(業界)にも、そこで通用する「常識」というものがあって、その世界外から来た「通訳」が、それを知らないと「こんなの常識だろ?こんなのも知らないのか?!」とバカにする人もいます。

ある時、あんまり面倒だったので「もちろん知りませんよ。知ってたら通訳やってませんから。もし知ってたら、その道の専門家として、もっと成功して、今よりお金稼いでます」と答えたことがあります。
(私も神経太くなったもんです・・・)
過去に何度かご一緒したことのある方でしたので、こんな生意気な答えも言えたんですけどね。
相手の方も「そりゃそうだよね~!」と言って大笑いしてました。

時々「気の利いた訳」を披露して、「うまい通訳だ」と受けている通訳さんもいます。
でも、これは私個人のスタンスとは違います。
私は割と「正統派」な方が好きで、通訳が、話者のショー(Show)を奪うのは、お門違いだと思うのです。
私にとって、通訳は、常に「黒子」、なんです。



20年以上の海外生活に終止符を打ち、2020年後半には日本へ帰国します。サポートは皆さんとお会いするときのお茶代として還元させていただきます。