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SHIBUYAMELTDOWNとは?

Hey。Sup。あーまずこのヘッダー写真をみてほしい。正直に言って、美しいとボクは思う。いや美しいというか。地べたに寝ているな、という感じだが。それでもここには、虚飾というものがない。

酔った。寝る。道で。以上。

この写真を撮ったのは、SHIBUYAMELTDOWN。ボクはこの男の写真をみたとき。すこしバンクシー的な美を感じた。やっちゃいけないけどやる。そしてそれは美しいので、ひとは許してしまう。なんかそんな感じだ。



この写真もいい。ただ金髪のひとが茂みに突っ込んでいるだけなのだが、そこにはそうせずにはいられない、そんな必然的美がたちのぼっているように思える。まるで都会という孤独な大陸から、自然世界へと人類が還ろうとしているようではないか。



ストーリーを感じる。



都会の舞踏を感じる。



運命から受けた一撃を感じる。


そうなのだ。このSHIBUYAMELTDOWNという男。ただ者ではない。まるで梅佳代さんを彷彿させる、真実を切り取るそのシャッター。

ただただ、ただ者ではない。

これはボクの解釈に過ぎないが、このひとが撮影しているのは「死」である。「眠り」=「死」というモチーフは昔からあるが、男はSHIBUYAの明け方にこの死の舞踏が開催されることに気づいてしまったのだ。そして男は撮り始めた。いずれ死にゆく人間たちの、擬似的死の姿を。

その写真の中で、人間存在は自分をよくみせることはできない。口をみっともなく開けた顔。折り曲がった四肢。重力への敗北。そんなことをこの芸術家は教えてくれる。



こう考えると。普段ボクらは等身大以上のものばかり写真でみせられている。小ぎれいな顔の女性。だれでも撮れる空。紅葉。コーヒー。シンメトリーの街並み。どれも自分をよくみせようとしていて、なんだかみていると疲れてしまう。

そんなとき。SHIBUYAMELTDOWNは教えてくれる。「おいおい。人間なんてそんなキレイなもんじゃないだろ。ペーソスに満ち、無力で、みっともなく、だらしない。いつか死にたどり着く猿の子孫じゃないか」

ボクは安心してしまう。〈そうだよな。そうなんだよ、おれたちって〉。
そしてボクはiPhoneで彼の投稿をRTして、自分はなんとか千鳥足で自宅にたどりつくわけだ。

やれやれ。
美しい写真があるものだね。

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