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飛ぶクラゲ

すっと浮き上がるように飛ぶロケットは、まるで海底を漂うクラゲのように滑らかであった。船中のマグカップがカタカタと揺れる。中に入ったカフェラテがなびき、右から左へと大きく波打った時。カップの淵を越えて、薄茶色の液体がグレーのデスクの上に溢れる。ゆっくりと広がっていく様子が、ヨーグルトに垂れた蜂蜜のようで、平凡な日常が遠くなって行くことを感じた。飛ぶロケット。遠くなるヨーグルト。シートベルトのバックルを、キュッと握って、彼女は宇宙飛行士になったことを、少し後悔した。

    • 革すら持たせない。

      筋骨隆々とした男が遠く向こうから笑顔で歩いてくる。紺色のスーツを来た通勤ラッシュの群衆の中で、とても目立っている。なぜなら明るい茶色のセーターを着ているし、真っ直ぐ前を向いて笑顔だから。私の前には白いカーディガンを着た女性がいる。黒の鞄を持っているが、それはとても軽そうで鞄というより革のアクセサリーのようだ。その彼女の軽装と、どこか遠くから聞こえるくしゃみの音が、春の訪れを知らせる。笑顔の男性は遠くから近づいてくる。その彼の笑顔がこの女性に向かっていて、彼女の身体もなんとなく

      • 長閑な水面。

        別れの瞬間は突然くる。コンフレークに入れる牛乳が足りなくなる朝のように。あの夏の日に、意気揚々と買った観葉植物は埃をかぶって佇んでいて、その姿に、私自身を重ねた。あぁ私の人生はこういうものなのだと、雑に辟易した時、葉が一枚プツリと落ちて、カサりと床で音を立てた。部屋を見渡しながら、首にかけていたヘッドフォンをかけ直す。聞いているラジオからQueen のBohemian Rhapsodyが流れてきた。バイセクシュアルとカミングアウトの歌で、大ヒット映画の歌。受け入れたり、受け入

        • シャンディガフ

          線路は血管で、電車は血液というのを見て、そしたらこの、ドア近くに立ち、私は赤血球だろうか、白血球だろうか。違いも分からない、この変わり映えしない灰色のコンクリート壁をぼーっとみているとピントが合わない。いつからだろうか、大学3年くらいからだろうか、それとも去年の冬くらいからだろうか…ずっとちょっとピンボケで、東京の地下を行ったり来たりしてる気がする。 「性癖、あんまりいえた話じゃなくて、正直。」 「えー、なになに、良いじゃん。」 「んー…なんか、あの、咀嚼物?が好きで、私。

        飛ぶクラゲ

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        • コラム
          2本

        記事

          胃カメラ

          そういえば胃カメラを入れた。お腹の調子が悪いといったら、口からカメラをいれて、胃の中を観察しようとなった。少し思い切りがありすぎて大胆だけど、嫌いじゃない、そういう医者。いいよ、一緒にみよう、私の胃中。 到着すると、検査着を着た人たちが沢山いる待合室に案内された。空港のロビーみたいに、大きなテレビが一つあった。朝の情報番組が流れていて、スプレー塗料を使ったライブペイントをやっていた。向日葵畑を散歩する家族の絵を描いていた。ひまわりは黄色で空は青かった。これなら写真でいいじゃ

          胃カメラ

          独立洗面台うえを、滑る水は迷いなく。

          「え、独立洗面台。いいね!」 独立洗面台、いいね。独立しているのが、いいねなのだろう。この人にとって。洗面台、いいね!ではない。「独立」してるところが気に入った。好きだ。 「私、あなたのことが、好き。」 「え、そんな、その... なんていうか、どんなところが?」 「なんだろう、独立しているところ。」 もっと凛としていてほしい。独立しているところが好きな人は、好きなところを聞かれても、淀まないでほしい。スーッと、水が流れるように、答えてほしい。 「私、あなたの独立してる

          独立洗面台うえを、滑る水は迷いなく。

          私を傷つけた誰かを、私ではない誰かが傷つけた。

          アカデミー賞でMCであるクリスロックにウィルスミスが平手打ちをした件であるが、ずっと考えている。 事象としては、先日のアカデミー賞で、ドキュメンタリー部門の発表を務めるMCクリスロックが、ウィルの妻であるジェイダスミスの脱毛症をMCが揶揄した。(坊主頭でいるので、次の映画の役作り、楽しみですといったニュアンス)。それに、旦那であるウィルスミスが憤怒し壇上に上がり、MCを平手打ちし、その後も「妻の名前を口にするな」と複数回叫ぶ。 ということである。 この件の物事のナラティブ(

          私を傷つけた誰かを、私ではない誰かが傷つけた。

          シアン。

          教会に来るのは多分ニューヨークに家族で観光をした時以来で、天井がいやに高いが、高い割に室内であるということに嫌気がさしたが、そんなことに嫌気がさす自分に嫌気がさして「ステンドグラスが綺麗だね。」とそれらしいことを言った。「やっぱり黒人さんって香水きついのね」と母が返すので、「やめて恥ずかしい事言うの」と返した。もうその時には、母の右耳はわずかに聞こえる程度の微かな聴力であった。 コロナで良い事などないと言うし、実際に苦しむ人がいる中で心苦しいが、唯一結婚式に呼ばれなくなった

          シアン。

          スプーン曲げは、肩に力を入れない。

          荻窪駅前、少量の餌を巡って戦い疲れるこの雀の姿が、2年前に死んだ父のことをどこか思わせた。「土地を売りませんか?」の案内に目が止まったことが自分でも驚きだった。「ホイップクリーム塗ってるみたい」と、たわいもなく盛り上がりながら、子供部屋の内壁を塗ってたてたこの家も、今やもう過去のものになりつつあるのだと。それは過去のものになる寸前のものなのだと、思ってそのチラシをポストから取り出した。 あそこのラーメン屋の店主は、気付けば40代に突入していた。大きい声で挨拶をすることはなく

          スプーン曲げは、肩に力を入れない。

          報ステ騒動のざわめきが、いまいち腑に落ちなかった私のような人へ。

          大前提として私はこういうコラム的な文章を書かない。もっと、とっかかりのない、掴みづらい何かを書こうとする中で、自分が言いたいことがうっすら現れるくらいの、そういう瞬間が好きだ。時にそれは社会における差別についてだったり、孤独についてだったりする。 この報ステの騒動についても書くかとても迷った。別に著名なエッセイストでもないのに、一丁前に迷った(ただダサい)。ただ、曲がりなりにもジェンダー学とクィア文化をそれなりの熱量をもって学んだ身として、世に出ている表面的で一方的な批判記

          報ステ騒動のざわめきが、いまいち腑に落ちなかった私のような人へ。

          エキチカのパチンコ屋さん、横にて。

          ごめんなさい、そのお祖父さんは亡くなられたんですか?」 「いいえ、怪我ですけど。」 「はぁ…で、えっと、じゃあお兄さんの、祖父の方が…よくわからないですけど、イヤホンをつけながら自転車を運転している人とぶつかって、お怪我をされた、ということですね。」 「はい。」 僕はママチャリ、彼は後ろにベビーシートを乗せたママチャリ。二つのママチャリを乗りこなす騎士2人。三鷹エキチカ、パチンコ屋横のちょっと大きめの広場、僕らは急遽対峙することになる。 状況を説明する。私はイヤホンをつけ

          エキチカのパチンコ屋さん、横にて。

          コアラのマーチ。

          アメリカの南北戦争は1861年から1865年にかけておきた、アメリカ内戦である。英国工業製品の途絶で急速な工業化を遂げた北部は、流動的な労働力を必要としたために奴隷を排除しつつ、保護貿易をしながら利益をあげたいと思った。対して大規模綿花栽培のプランテーションによって綿花をイギリスに輸出することで成り立っていた南部。その経済圏は黒人奴隷の労働力によって支えられていたし、自由貿易をすることで利益をあげられると思った。奴隷解放派のリンカーンが大統領になった1ヶ月後にはサムータ要塞砲

          コアラのマーチ。