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厄年に自分の為に料理する

厄年の2023年。
本当に地獄のように色々な厄が出現した。
厳密に言えばわたしの厄ではなく身内の厄なんだけれど、それに伴って生活が一変したり単純に疲れたり。貰い事故を真正面から食らって本事故的な。
もう疲れたレベル50000って感じで2週間で5㎏の減量に成功したりした。(そこは少し嬉しかった)
とにかく疲れたって感覚だけが今の時間を占めいる。

そんな状態なのでここ2ヶ月ほどどんな食事をしていたのか全く覚えていない。
娘がいるので作ることもあったけれど、外食したり実家にお世話に続けたりの日々。(ありがとう、ままん)


今日なんだかうまい具合に長時間家に1人になった。
いつもなら気晴らしにジムに行ったり、もしくはベッドからでなかったり、YouTubeでお笑いを見てへらへらするおうち時間だけれど、
何故か今日は「ナポリタンを作ろうかな」なんて可愛い考えが浮かんだ。

自分だけのために料理をしようなんて思ったのは子どもが生まれてからなかったかもしれない。
もちろん「身内厄満載事件」以降はもちろんない。

いつもは何ごとも腰が重いわたしで明日でいいや!が常ですが、思い立ったが吉日ダ!!という勢いがいきなり出てきた。ピーマンを切り始めた。

するとなんとも言えない空っぽなきもち。
いつも料理をするときは“家族のため”だった。
美味しく作れるか喜んでくれるかそんなことを思いながら作るのが当たり前で
誰かの喜びを期待していた。

自分のためだけだとそれがない。
おいしいもまずいも完食するもしないも私次第だった。
でっかいブラックホールの中でピーマンを切って玉ねぎをきってウインナーをきって炒める。
お湯を沸かす。麺を茹でる。ケチャップとウスターソースで具と麺を絡めて食べる。

終わり。地球へ帰還。

無の時間ののちお腹だけが膨れていた。帰還後強い眠気に襲われた。それだけだった。

本当によくわからないけれど、なんの期待もない時間がなんとなく心地よい気もした。

“人生よくわからなくなってからが本番”ってどこかの誰かが呟いてた。
本当かもしれない。
そこに私はいたのかいなかったのか、
ナポリタンは作られたのか作られなかったのか。
今までの人生はあったのかなかったのかそれすらもわからなくなるような時間だった。

🍫