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「教師がしたい授業」でイノベーションは起こせない

「まずは教師がどういう授業をしたいかということを考えるべきで、そういう目的がないのに教育にICTするのは間違いだ」という類の発言を聞くことがよくあります。

でもじつは、「どういう授業をしたいか」ということがないままICTを導入することは、けっして「間違い」ではありません。

「〜したい」という授業は、既知のものである限りにおいて、イノベーションの起こる余地が少ないからです。

「〜したい」に基づいて綿密な「年間計画」や「単元計画」を立てれば立てるほど、今の時代に必要な変化が起こらなくなってしまいます。

「PDCAを回す」という手法も、今の時代にあっては効果的でないかもしれません。

「したいこと(計画)をする(実行)」という枠組みをいったん棚上げにしないと、想定の範囲内でしか前に進めないからです。

「教師がしたいこと」という既知のことを求めてその成否をチェックし続けている限り、生徒たちの学びを未知の領域に連れ出すことは困難なのです。

国語の授業で言えば、「羅生門」のような定番教材を「例年通り」の枠組みで実施する授業が典型的です。多少の変化や逸脱があったとしても、想定している方向に収束していくので、教師の側の安心・安全が担保されますが、これからの時代に求められるような、従来の学びの枠組みを超えたイノベーションは期待できません。

児童・生徒が教員の想定の範囲内に飛び出していくような学びを実現するために必要な態度は、「どういう授業をしたいか」とか「何のために使うのか」などという問いをいったんカッコにくくり、とにかくまずは「やってみること」です。

赤ん坊が目の前の棒きれを手にして振り回すように、「DO」から始めるループによって道具としての棒きれの新たな可能性が見出されます。

したがって、「教師がどういう授業をしたいか」という問題など棚上げにして、とにかくICTを使ってみることは「間違い」などではなく、教育にイノベーションを起こすための一つの有効な手段なのです。

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