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わたしは、生きている画家を何人言えるだろう

昨日、映画『ある画家の数奇な運命』を観た。
久しぶりに映画館で観る映画だ。

映画を観たあとに、映画の世界から戻ってくるのに時間がかかるのは、いつものこと。

でも、今回の映画は、抜け出すのに時間がかかりそうだ。

頭の中に言葉が、映像が、溢れている。
少し頭を落ち着けるために、感想とも批評とも言い難い、心に移りゆくよしなし事を、綴らせてほしい。



先週、大学のオンライン授業で、先生からこの映画を勧められた。先生とは、あまり映画の趣味は合わないけれど、とりあえず見ることにした。私は、なんでもとりあえずやってみるのが好きだ。

今週で上映終了だと知って、急いで映画館へと足を運んだ。

大きな映画館では上映していないから、小さな映画館で観た。私の他に4人しか観ていなかった。

映画の主人公は、ドイツの画家ゲルハルト・リヒターをモデルにした、画家クルト。映画の舞台は、ナチ政権下のドイツだ。

私が、自粛期間前に映画館で最後に観た映画が『ジョジョ・ラビット』だったから(時代も地域も重なっている)、つい比較してしまう。『ジョジョ・ラビット』の、ポップでありながら深刻なメッセージを伝える姿勢は、好感がもてた。でも、どこか戦争を明るく描きすぎているような気もした。

今回の映画は、戦後に活躍する画家の話だから、戦争のシーンはそれほど長くはないけれど、もっとリアルな残酷さがあった。

主人公クルトの叔母は、勉強のできる愛らしい女性で、心から芸術を愛していた。彼女は、戦時下の閉塞した環境におけるストレスで、精神を病んでしまう。当時、ナチ党は、限られた資源を健常者で分かち合うために、精神病患者から生殖機能を奪い、重度の患者をガス室へと送った。クルトの叔母はガス室へと送られる。

私もこの時代にドイツに生まれていたら、この叔母のようになっていたかもしれない。私は、行政組織の末端で働いていたのに、政府に対する不信感がぬぐえずにいた。自分のことが嫌になって、私は気づけば抑鬱状態になっていた。でも、精神病だと診断されるのが怖くなって、通院するのを勝手にやめた。こんな私は、戦時下では限られた資源を分け与えるにふさわしくない人物だと考えられただろう。

生活のためにやむなくナチ党に入ったクルトの父は、戦後ナチ党に属していたことを理由に教職に就けず、掃除夫となる。だが、それに耐えきれず自殺する。
一方、心の底からナチ党に傾倒し、多くの人をガス室へと送ったことを全く反省していない医師は、獄中にいるときにソ連軍将校の赤子の命を救ったために生き残る。
善き人間が生き残る訳ではない。生き残りのゲームに勝った人間が生き残る。それをこの医師は「淘汰」と呼ぶ。

その医師は、戦後も命を「選別」し続け、気に入らぬ若者と自分の娘の間にできた胎児の命も奪う。

でも、これは、このフィクションの中の話だろうか、とふと思う。
日本にだって、優生保護法があった。
私に、もし障害を持った子が生まれたら、この今の日本で育てていけるだろうか。もし私のように心を病んでしまったら、私は自分を責めてしまわないだろうか。
どんな子どもにも生きてほしい。心からそう思う。
けれど、赤ちゃんが生まれると、みんな「健康で何よりだね」と平然と口にする。もし、健康じゃなかったらどうなのだろう。こんなふうに不安に思うのは私だけなのかな。
今は、生まれてきた子どもに障害があるからといって、命を奪ったりはしない。でも、障害をもっているなんて生きている価値がないだろうと勝手に命を選別した人が起こした事件はまだ記憶に新しい。
博物館で働いていたとき、障害を持った方がたくさん訪れていた。博物館は、障害手帳を見せると無料で見られるところが多いので、たくさんの障害を持った方が訪れる。ただし、家族とではなく施設の方たちと。中には、意思疎通の難しいような方もたくさんいた。だが、私は普段生活をしていて、障害を持った方と接する機会はほとんどない。障害を持つ方の家族が書かれた文章を読んだり、テレビで見聞きしたりすることはあっても、
直接出会う機会はない。もっと障害のある人たちと共生していく方法はないのかな。
命が選別されるようなことがない世界を望む。

映画の話に戻ろう。
映画を観ていて、戦後のシーンに移り変わったときに違和感があった。
映画の中では、戦後が終わっても、役に立たない芸術は不要とされていた。

『ジョジョ・ラビット』では、戦争が終わるところで映画が終わり、自由を象徴する音楽が街に流れる。

けれど、それは西側の話。
戦後、ドイツは二つに引き裂かれ、主人公クルトが暮らしたのは東ドイツであった。
私が生まれる前にベルリンの壁は崩壊されたから、ドイツが分断されていたことは、歴史的事実として知ってはいても、その実態はよくわかっていなかった。社会主義の東ドイツにおいて、絵画の持つ役割は、労働者の役に立つことであった。自由に自分の思うままに描くことは許されなかった。全ての絵に、社会主義リアリズムが求められた。

クルトは、自分の本当に描きたいものを求めて、西ドイツへとやってくる。
西ドイツでは、自由の風が吹いている。
けれど、自由ゆえの苦しみもある。
大学では、イヴ・クラインのように身体を筆のようにしてキャンバスに描く人、フォンタナのようにキャンバスを切り裂く人がいる。自由な社会で、皆が新しい絵画の在り方を模索しているのに、誰かの物まねのようになってしまう。

主人公の友人は、新しいものを生み出せるのは26歳までだと言い放つ。
西側の大学で学び始めるとき、クルトは30歳になろうとしていた。

私は、今26歳だ。

映画の中で、主人公は、「絵画は、もう終わったよ。」と告げられる。

絵画を描く意味って何?
絵を描く私に向かって、これまで多くの人が投げかけてきた。

何のために人は絵を描くのだろう。
戦争のときは戦意高揚のため、社会主義においては、労働者を鼓舞するためだった。
そんなのおかしいと主張するのは簡単だ。
じゃあ、この自由な社会で絵を描く意味は?

映画の中で主人公の先生は、生徒たちに「自由でいろ」という。お前たち芸術家が自由を手放したら、この世の中に自由はなくなってしまう、と。

その先生は、脂とフェルトをぐにゃぐにゃとこね続ける。
その行為は、理解の難しい現代アートの一つとしか思えない。
だが、彼は、戦中に自分が殺そうとしていた民族に命を救われた経験がある。そのとき、頭に負った傷を治すのに使われたのが脂とフェルトだった。
だから、彼は脂とフェルトをこね続けている。

でも、すべての芸術の根源には、かならずそうした大きな物語がなければいけないのか。「物語なき時代」において、絵を描く動機は何だろう。
映画の主人公は、戦前に生まれ、戦争も幼少期ではあるが経験している。
叔母を亡くし、父を亡くし、子供は義父に命を摘み取られ、つらい経験をたくさんしている。

主人公がつくる作品も、世間に対する怒りや、辛さが根源にあるかもしれない。
でも、それを声高に主張しない。

主人公は、新聞の切り抜き、証明写真、素人が撮ったスナップ写真などの模写をはじめる。
けれど、それは単なる模写ではない。ピンボケのようなぼかしを加え、動きを感じさせる筆触で描く。これは、リヒターの代表的な画風だ。

写真や映像の溢れる「複製時代」において、絵を描く意味は何だろう。
真実を捉えるなら写真で十分だ。
映画の中では、写真で捉えきれない真実がクルトの絵画によってあぶりだされるが、真実をあぶりだすということだけがこのリヒターのスタイルの目的ではないだろうなと思う。

絵画を描く意味って何?
写真で十分じゃないの?
芸術って何?
自由って何?
私(ich)とは?

そういう葛藤を、感じさせる絵。
それを、観る者に問う絵。

カメラが偶然捉えた一瞬の光景は、あまりにも移ろいやすく、儚い「エフェメラル(ephemeral)」なもの。

リヒターの作品は、この世がエフェメラルなものであることを写真以上に強く感じさせながら、絵画という芸術の永遠性を問うものでもある。


私は、美術史を研究しているけれど、いま生きている画家を何人言えるだろう。
家に、画家が描いた「本物の」作品がある人は、どれくらいいるだろう。

絵画は終わったものではないと、強く言えるだろうか。

私には、言えない。

それでも、この映画を観終わった後、私は絵を描きたくなった。

「勇気を与えてくれる映画」と単純に言い切ることはできないけれど、辛くても苦しくても、絵を描くことでしか表現できないことはきっとあるだろうなと、思わせてくれる映画だった。