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先輩の芥川賞受賞に寄せて


夕飯を食べながら、何気なくテレビを見ていたら、芥川賞のニュースがやっていた。


今年は直木賞と二人ずつの受賞なんだ、
芥川賞を受賞したうちの一人は宮城県の出身でドイツ在住
ふーん…

と思っていたら、次の瞬間テレビに映った受賞のインタビューを見て、口の中のものを吹き出しそうになる。

テレビに映し出されていたのは、私の研究室の先輩だった。


「研究室の先輩だ…」
と放心状態になった私を心配したのか、近くにいた親が「大丈夫?うれしい?悔しい?」と聞いてくる。


そのとき、私の胸に沸き起こっていた感情は、

圧倒的な安心感だった。




私が所属するのは、東北大学文学研究科美学・西洋美術史研究室。

東北地方唯一の旧帝大と掲げているが、宮城県の学力は全国ワーストクラス。それなりの努力で、旧帝大という一応の称号を手に入れられるお得な大学である。(といっても、凡人の私は相応の努力をしなければならなかったけれど。)

そのお得な大学のウリは理系の学部だ。

同じ授業料を支払っているにもかかわらず、理系の学生にはひとり数百万の研究費が割り当てられ、文系の学生は数万割り当てられれば良い方だ。理系のキャンパスは未来都市のような美しい外観なのに、文系の学部は、狭い敷地に押し込められ、肩身の狭い思いを強いられる。

これを格差と言わずなんと言おう。


なかでも、文学部は古い病院を思わせるような建物の中にあり、湿気臭く、昼でも薄暗い。

その薄暗い校舎の片隅に、私たちの研究室はある。

研究室は、いつも誰かがコーヒーを飲んでいるので、コーヒーの香りが漂っており、湿気臭さはかろうじて緩和されている。研究室の向かいの部屋では、先生が謎のお香を焚いていて、コーヒーとエキゾチックな香りが混ざり合っていた。

廊下には、全国各地から届く展覧会のポスターが飾られているが、この北国の国立大に通う貧乏学生たちがそうした展覧会を見に行く金銭的余裕はほぼない。


いろとりどりの異国の画集を繰りながら、コーヒー片手に美術談義を愉しむ華やかな先輩たちに憧れて、この研究室には、脳内お花畑のピーターパン症候群たちが集まってくる。

私も、ピーターパンの一人であった。


2年生から研究室に配属され、研究室の授業が本格的になるのは、3年生から。学部生も院生と同じ授業を受ける。

それまで、脳内にお花が咲き乱れていた学生たちも、ここで洗礼を受けることになる。

先輩たちの話していることがさっぱりわからないのだ。

学部2年生のときは、先生の講義を聞くだけの受け身の授業だが、3年生になると最新の研究論文を全訳し、その内容を発表することになる。予備知識がほとんどないので、翻訳もひどく時間がかかる。そのうえ、先生や院生は容赦なく、学生たちに質問を投げかける。

無知の知。いや、無知の恥を否応なく体感させられる瞬間だ。

自分の無知を晒され、自分自身が丸裸になってゆく。

はじめて発表したときのことは、よく覚えていない。でも、頭がまっしろになって、血の気が引いたあとに、冷や汗が噴き出してきたことはいまも覚えている。


知らないことを、恥ずかしいと思った。

質問に答えられないのが、悔しかった。

欲を言えば、自分の見解をほんの少しでもいいから滲ませて、先輩たちに、面白いと思われたかった。


でも、頑張って勉強しても、先輩たちには追いつかない。

先輩たちは、私が走っても足掻いても届かない、遥か遠くに君臨していた。

それが悔しいのと同時に、そんな先輩たちがいてくれることが誇らしかった。


私は、知の巨人たちを前にして、怖気づきながらも、もっともっと私を辱めてくれることを心のどこかで望んでいたのだと思う。

私は、どちらかと言うとサディスティックな傾向があるけれど、あのときはその矛先が自分へと向かっていったから、マゾヒスティックともいえる。

恥ずかしく悔しい思いを抱くほどに、学びたいという思いは強くなる。

このときの異様な興奮が、いまも私の胸に燻っているのだ。 


圧倒的な才能を見せつけて、私を嫉妬させて、と。


今回芥川賞を受賞されたIさんは、教養に溢れた先輩たちをも震え上がらせるほどの教養の持ち主である。

部屋の中に積み上げてある本のせいで部屋の床が沈んでいる話や、積み上げた本が崩れて死にそうになった話をしていたが、それが作り話ではないことが普段の会話からわかる。

授業中、質問してもらっても、まず何を聞かれているかすらわたしには理解できなかった。

彼女は、いつも俯きかげんで、淡々と話し始めるのだが、彼女の背後で焔が揺めくのが見えるようにゆるやかにスイッチが入る。

関係詞によってどこまでも修飾が続く英文と格闘するように、私はIさんの話を聞いた。

小柄なIさんだが、西欧帰りの人がよくそうなるように、身振りは大きくて、小さな手をひらひらと動かして話すのを見るのが私は好きだった。

小さく見える頭だが、一体ここにどれだけの知識が詰まっているのだろう、と頭の中身を見てみたいような、見るのは怖いような、そんな気持ちになる。


Iさんは、恐ろしいほどの教養を持った人だけど、恐ろしい人ではなかった。

私たちひよっこが答えに窮して、しどろもどろに意見を言っても、それを馬鹿にしたりせず、真剣に耳を傾けてくれた。

迷宮に置き去りにするのではなく、一生に迷宮を歩いて一緒に道を探してくれた。Iさんは、自ら好んで迷宮の中へと沈んで行くことが多かったかもしれない。


Iさんは、真面目にふざけている方で、研究室の飲み会の際には、餌食となった後輩たちをバッカスやらアリアドネに変装させ酒宴の肴としていた。

いつも少し困ったような、考え込むような表情を浮かべ、とても冷ややかに物事を見ていた。

受賞のインタビューも、あまりにもIさんがそのままのIさんだったから、私は嬉しくなる。

喜びが溢れたっておかしくないのに、少し不安そうな顔で、受賞したことを「恐ろしい」と話すIさんは、私の知るIさんから1ミリもブレていなかった。



私は、Iさんの受賞作をまだ読んでいない。仙台市内ではどこも売り切れなのだ。

だが、作品を読んだとしても理解できるか非常にあやしい。

でも、読みたくてたまらない。


先輩が私の遥か先にいてくれる。

追いつかないところにいてくれる。

遠くの岬の灯台のように、私たちを照らしてくれている。


私がすごいと思っていた人は、やっぱりすごい人だった。

本物の教養を持つ人がちゃんと評価を受けている。

とても喜ばしいニュースだった。



でも、少しは焦りもある。

先輩の教養がエスプレッソコーヒーのような濃さだとしたら、私はアメリカンコーヒーをさらに水で薄めたような味気のないものなのだ。

世間から評価してもらえるのが先輩のレベルだとしたら、私がそこまで到達できるのに何年かかる?

いや、きっと一生かけても、あのレベルには到達できない。

リアルな指標が、私の前に立ち塞がる。



私の同級生たちは、先輩たちのようになれる気がしないと言って、はじめは大学院の進学を希望していた人たちも、進学を諦めた。

諦めたとはいっても、皆、晴れやかに大企業や官公庁に就職していったのだけど。

私も一度は公務員として就職した。

私も先輩たちのようになれる気がしなかった。


でも、また戻ってきてしまった。

戻ってきたときに、先輩たちからは「入院おめでとう💉🩸」とか「ようこそ、人生泥沼コースへ」と歓迎を受けた。

そんなシニカルな先輩たちが私は好きだ。世間から少し浮いたところにいるけれど、真剣に生きている人たちが。

昨年大学院にもどって以降、この状況下では、研究室の人たちと面と向かって議論することはできていない。当初、私はもう一度留学したいと思っていたけれど、それも諦めた。

なかなか思い通りにはならない。

いつまでも、先輩方のようなエスプレッソにはなれそうにもない。


でも、先輩たちのようにはなれなくても、なりたいと夢みることはできる。

エスプレッソになれなくても、ミルクを入れたらそれなりにおいしいカフェラテくらいにはなれるかもしれない。


私は、遠くで照らしてくれている先輩を目指して、今日も舟を漕ぐ。


…さて、眠気覚ましのコーヒーを淹れて、研究をつづけようかな。