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旬の植物に触れる

毎日植物に触れていますが、
理由はよくわからないけど、気持ちがいいですね。

朝は寒いのですが、必ず毎朝、
歩いて植物を見るように
しています。

特に何か目的があるわけでもないけど、

生きた植物を間近でみると、
とても神秘的に思えてくることすら
あります。

コケ
目立ちませんが、近づいてみると、
結構きれいな色です。


春に近づいたのか、野鳥の鳴き声も
徐々に聞こえてきました。

野鳥の声、どんな楽器よりも
心地よく聞こえてきます。

いい音、いい色、
冷え込むけど、心地よい空気、
圧倒的な快適、爽快です。

朝のほんの10分でも、自然に触れる、
気分良く過ごすにあたって、大事だと感じてきました。


ふと考えてみると、
生き物から生じる色や
音、姿・形、どれをとってみても
完璧なほどきれいです。

あまりにもきれいだから、仮に
気分がわるいとしても、

植物を見るだけで心身をきれいに
してくれるように
思います。

植物、野鳥、昆虫、生きているものって
要は本物なわけです。

本物に触れておくこと、って
大事だと思っています。

かなり以前のことですが、
骨董品を扱うところで
働いていた事があります。

世には鑑定士などといった、
資格もあるようですが、

「そんなものはどうでもいい、
とにかく本物だけを見て、
触れていたらいい。」
と教わりました。

実はアンティークの世界では、
かなり精巧な偽物が
出回っています。

本物ばかりをみていると、
偽物やまがいもの等をみると、
どこか変、という
感じがする時があります。

説明できないけど、
何かが違う気がする、
感覚的なことです。

本物、って見事なまでに
完璧にできているもので、
人をとりこにする力があるものです。

本物ばかりをみていると、
いつしか偽物をまえにすると、
どこか胡散臭さを
感じるわけです。

こういったことは、数、経験こそ全てなわけです。

植物の偽物、ってあるのか、といえば、
そうないと思います。ただ、視点を変えたりすると、
おかしいことは見えてきます。

仮にとても精巧な造花があったとしたら、
おそらく何か違和感を感じるはずです。

先日、お彼岸で本物のような造花を
みかけました。
離れてみたら、本物にみえます。

地域の集まりでは、
今後の地蔵盆では、造花にする、という意見も
ありました。

理由は手間がかかること。

思うに、水換えが
面倒だからだと思いますが、

花は生き物なわけで、
生きているから水を毎日入れかえます。

その時に面倒と思うのか、
お盆で誰かのことを思い出すのか、
で随分違った心境になるはずです。

決して重労働ではない、
むしろ、面倒に思うことが、
何か大切なこと、欠けているんじゃないか。

生きた花を飾る、ってどこか
心を落ち着かせるような心境も
あると思います。

造花では、どこか虚しい。
造花ばかり見ていてら、

おそらく本物の生きた花の
生き生きとした様子を感じられなくなる気がします。

かと言って、若手がどうこう言っても
通じない世界です。

そんなに面倒かな、って思うのですが、
人それぞれ考えは違うから、
造花の良さもあるのかもしれません。

でもやっぱり生きた植物が
いいと思います。


霜がおりていますが、
植物は生きています。夜は氷点下です。


ノカンゾウが徐々に出てきています。
甘くておいしい野草ですが、春が近いのがわかります。



ハコベ。
食べられる野草です。
ハコベの花。

野草はふきのとうなどの、食べられるものを
除けば、多くの人にとっては無関心です。

ただ食べられる、といった自己中の視点ではなく、
植物そのものをよく見る、
っていうのはとてもいいです。

人間社会だけをみていたら、特にニュースなど、
見ていて気分が悪くなることが多い。

私はテレビがないので、見ませんが、
見てて気分が良くなったことはありません。

気分良く過ごす、って実は結構大事で、
気分をよくする方法は、
何か各自で知っておくといいと思います。

というのも、外出れば、車の運転の荒さ、
空き缶、ビール缶、そのほかの不法投棄、
よく見かけます。

おそらく、気分が乱れているから、
何も思うことなく、荒い行動をとるんだと思う。

植物を見る。
触れる、季節を感じる、
自然に触れる、といったことは、いたって簡単。

簡単だけど、イライラしてしまうような世の中で
乱れそうな自分の心を
消してくれるように感じました。

以前は捨てられた空き缶をみて、
イライラしていました。(今はその事実だけをみて、
特に気にしません。)

後に分かったのは、イライラ=気が乱れる。

気が乱れると自己中になる。まわりがみえなくなる。
そして呼吸が乱れ、酸欠状態になっていることです。

なんだか、病気になる下準備ができてしまった
状態かもしれません。

病は気から、っていうのも
考えてみれば、当たっています。

だから、気分良く過ごすこと、って
大事です。


できれば、まわりに振り回されないような、
軸をもてるといいと思う。

でも、おかしな事件やニュースなんかが入ってくると
つい乱れてしまう。

そういった乱れを少しでも、治してくれるのが
自然じゃないか、って最近は実感しています。
自然に触れるのは簡単。外に出ればいいわけです。

あるいは、花を生ける、というのもいいと思います。
(造花だとダメな気がします。)

実は、自然に触れると、
世の中の嘘偽りに抗体でも持てる、筋肉が
ついていくように思う。

筋肉なら、毎日少しでも使わないと衰える。
自然から遠ざかれば、それだけ乱れやすくなるのかも
しれません。

朝は必ず出歩きます。

目的は特にありませんが、
朝は気分がいいわけです。

外の空気をしっかり
吸いたくなってくるものです。

概ねほぼおなじような道を
歩いていますが、

太陽の日の当たり方、
また植物の変化を
目の当たりにします。

同じようで、同じでない。
植物は常に変化します。

たとえば、ネコヤナギ。
冬からだんだんと姿を変えてきます。



ふさふさして、
動物のようにもみえます。
赤く変化。この瞬間が大好きです。
ヤナギの緑は鮮やかです。葉がひらけば、概ね霜が降りない。
例年ではそうですが、今年はどうなるか、わかりません。

また春が近づくと、
フキノトウが出てきます。

今、まさに旬のときを見て
肌で感じるわけです。

これは、車でさーっと通り過ぎる
だけではわからない世界です。

ちゃんと地面に足をつけて、
見て回る。

そのときに野鳥の声が
聞こえてくるときもあります。

最近はウグイスが目立ちます。

不慣れな鳴き方をする鶯の
声も聞こえます。

さて、フキノトウ、ノカンゾウ、
またネコヤナギの変化具合で、
だいたいの季節感は感じられます。


先日、かなり久々にスーパーに
行ったのですが、

明らかにおかしいもの、
ってよくわかってきました。

たとえば、トマトやきゅうり。

こんな時期に実るはずはない。 
(ハウス栽培だということは
わかりますが、
夏の野菜が冬にある、
ってやっぱりおかしいわけです。)

本物かどうかといえば、本物の野菜ではあるけど、
どこかおかしい。
おかしく感じる野菜です。
今、外で実るはずがない野菜は、
私にとっては本物とは思えない。

きゅうりやトマトを今食べたい、
って全く思わないし、
どこか寒い気がします。

(夏野菜は体を冷やすので、冬や春にはとるべきでない、って思う。

また正常なら、冬に夏野菜を食べたいとは思わないはずです。)

多少の好みの問題は
あるかもしれませんが、
要は、旬でないものがある、買える、ってことがおかしい。

寒い時期に夏野菜をとれば、
体は冷えるし、
体調は乱れるはず。

別に少しくらい口にしても、
なんら問題はないけど、
ただ、一般的に
違和感を感じないのがちょっと
おかしい気がします。

外に出て植物を見る、って全く難しくないことですが、
今の季節を見て、何か感じる、

少なくとも気分良く過ごすことで、
多少の免疫や季節への対応する力がついてくると
思います。


ふきのとう
菜の花
ふきのとうは、今の時期だから、
特に美味しく感じるのだと思います。旬、結構大事ですね。
スイセン
ススキ
秋からずっと風に任せて
種まきしているようです。ススキって嫌われる雑草ですが。
これほど長期に渡ってみて楽しめる植物は珍しい。
まだ種は残っています。
コンクリートに生えるコケ。
コンクリートにも、植物が育つ栄養分があるのだろうか。
コケだけでも、
結構きれいです。


何気に通り過ぎれば見えない世界ですが、
寒くても、朝は外に出る時間を必ずもうける。

朝日を浴びられるし、植物をみて、
なんらかの感動する。爽快で、結構いいことです。
気分がいい。

思えば、こういったことをできない状態の人も
多いわけです。

となると、決して当たり前のことではないし、
できることの価値を改めて思う。
朝をただ家事や雑務だけで追われるのではもったいない。

少しでも早く起きて、外の空気を吸って、
気分良く過ごす。
何気に無意識で出歩いていましたが、
振り返ってみると、意外に大事なことに
思えてきました。


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