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植物に囲まれた状態でいることと

農作業中にお腹が空かなくなった。

先日、お腹がすいた状態で
農作業をしに行ったのですが、
思ったことです。

最近薄々と気がついていたのですが,
食事をしているわけではないけど,

何か食べているのか,
体にとりれているのか,

空気の中に漂う,溶け込んだ
エネルギーのようなものでも
気がつかないうちに
食べているのかもしれない。

そうでなければ,空腹が満たされるのが不思議でならない。

いや,何か目の前に食べ物でもあれば,
食べてしまうとは
思うんだけど,空腹感に
とらわれることがない。

空気を食べる、ということを確か
アナスタシアの本ではあったけど、
正直意味がよくわかりませんでした。

もしかしたら、植物が出す、
薄く空気中に漂う栄養分みたいなものを
取り入れている状態かもしれない、
って思いました。


ヒノキが生えているところは、
いい空気です。
色もいい。


もしかしたら、野菜、
いや生えている植物の生気のようなものを
体に取り入れているのかもしれません。

酸素なのか、外の日光なのか、
どこからとなく聞こえてくる、
秋の昆虫や
野鳥の鳴き声なのか、

それら総体なのかもしれません。

とても不思議です。

確かにお腹空いた状態で
畑に向かったのですが、

作業し、水を飲んだりしているうちに、
空腹感は消えていました

もしかしたら、この場所だと、
断食も簡単かもしれない。

厳密にゆえば、断食ではなく、
何か食べている状態かもしれません。

断食,って食欲を断つ修行のような
ものだと思いますが、

もしかしたら,
場所次第では我慢するような
ものでもないかもしれません。

何か自然のエネルギーを
取り入れているから,
空腹が満たされたのかもしれません。

植物ばかりですが、草むしりだけでも
食欲が満たされる気がします。


となると、家の中や街の中で
お腹がすいた場合、

普通なら何か食べるはず。

ですが,
もしかしたら,植物が
多いところに行くだけでいい。

空腹しのぎはできるのではないか,と思うようになりました。

ただ,こういった感覚は今まで何年も
実感がなく、

もしかしたら,呼吸する力が
以前よりも増してきたことが
関係あるのかもしれない。

深い呼吸ができれば,
普通の人が取り組めないような
エネルギーを取り入れられるのかも
しれない。

キクイモの花が咲いてきました。
黄色の力強さ、また2、3メートルくらい育つ力強さ、生命力を感じます。


呼吸が深くできるようになると,
体がとても楽で,

20代の頃よりも体力があるのではないか,と思うくらいです。

浅い呼吸だと確かに
すぐ息切れしてしまう。


つかれやすい,眠りが浅い、
偏頭痛があった,イライラしやすい、
ということは,
確かにあった。

気功の治療で知られている、
片野貴夫さんが,何度も本で
「がん患者には毎日30回の般若心経の読経」をするように、と

書かれているのですが,
ずっと心にひっかかっていました。

読経だと空気を吸うよりも、
吐くことが多くなるから
いいそうです。

気功治療を受けている、かしているのと
同じような状態になるらしいです。

ですが、気功治療すら
受けたこともないので、
わかりません。

いろいろあって,読経を
実践することにして,2年半くらい。

何があろうが,不思議と毎日、
回数を分けてでも
30回以上は例外なく自然と
続けられています。

飽きっぽい性格もあるのですが,
続けれれている理由は、
何かスッとするもの,

文字や音の力か何かがあるようにも
感じていることも理由の一つです。

きっとゆっくりと、呼吸する力ができてきたのかもしれません。

別に覚える、早く読む、きれいに発音する、など一才考えることもなかった。

だから、すーっと続けられているのかも
しれません。

いつしか,近所のおばさんと同様,
経文は覚えて,口が滑るように
言えるようになりましたが,

呼吸が深くできるようになれた実感は,
約2年後ぐらいです。

実は,般若心経やその他,
様々なお経は特別なものではない。

実生活に溶け込んだような
ものだと,地方に移り住むことで
よくわかりました。

というのも、近所でだいたい60歳以上に
見える人は、ほぼ全員、
暗唱できるようです。

行事の後に手本を配るのですが、
枚数が足りない時に、
用紙を若い人に譲る。

言えるから、
紙がなくても大丈夫だというのです。

近辺で引っ越したことが
あるのですが,
ことある行事,神社の清掃,
地蔵盆等をはじめ,読経をする機会は結構あります。


決して,お坊さんだけが読めるもの,
読むものではないようです。


以前はお坊さんが暗唱しているのを見てすごいと思ったのですが、

物覚えの悪い自分でもなんとかできている、周りのおばさんたちも
いたって普通なのにできています。

特別なものではなさそうです。

きっと昔から読み続けられていた、いつしか、都会に人が流れて読経が
なくなっていった、というのが
実情かもしれません。

日本人だから馴染みやすいの
かもしれませんが、
意外にも呼吸の力をつくことになるとは、思いませんでした。

丹田呼吸になっていたら、もっといいかと思いますが、まだまだです。

もしかしたら、今流行りの病になることも
読経のある生活では
少ないのかも知れません。

意外な盲点の呼吸、
まだ自分でも良くわかっていません。

ですが、何か良いものが
さらにありそうです。


家電量販店、ショッピングモールで
お腹が空いてしまうのは、
良い空気がない、
生気がない、
何か自然から発するものがない、
何かがないのかもしれません。

だからお腹が空くのかもしれない。

確か、街中にいた時は、
お腹が空いていたし、
匂いにつられて、つい甘いものを
口にすることもありました。

先日、お彼岸のお参りで
街中を通ったときに感じたのは、

明らかに体に悪そうなかき氷、(緑や赤の、メロン、イチゴ味)など、

人工的につくられたものがいかに多いか、ということ。

明らかに体によくなさそうなものが、
こう広まっているのか、

そして、体に悪いときっと
わかっているんだろうけど、
大人も子供も仲良くかき氷を食べている。

自分も昔はよく
食べていたから、
懐かしい味のはずですが、

自然に触れて、
空腹感がなくなってきたとき、
仮にあの緑のかき氷が
視界に入ってきたとしても、
今なら、食べてみたいとも思わなくなった。

となると、植物に触れることは、
とても大事なことかもしれません。

植物で何か力を得ておく。

そうすれば、不要なものを
取り入れないか、取り入れたくなくなる。

あるいは、何かすること、生きることの
原動力になるのかも知れません。

病院は病気になっている人が
いくところだけど、
生気のような、何か良いエネルギーは
全く感じられない。

むしろ、恐怖感や
不信感すら感じてしまう。

というのも、行ってみたこと、

そして以前、同世代で医学部を
目指していた人を
思い出すと、

誰一人として、
人として、優れている、いいと思える人が
いなかった。
(たまたま自分の周りがそうだっただけ
かもしれません)

頭はいいんだけど、決められて進んでいるかのようで、人や命についての
考えは少ないような気がしていた。

頭はいいんだけど、何かが違う、そんな人たちでした。

病院には自然のような、
植物の生気がない。

入院でもするようなことがあれば、
いかにして早く退院するか、
を考えないといけないな、って思いました。

もちろん、人として優れた看護師や医者の
先生はいるだろうけど、

施設として、植物や日光があたる
自然の場所には全く敵わない。

どんなに設備が立派であっても、
根本の生気がない。

むしろ、エネルギーが吸い取られてしまう、そんな気がしてなりません。

じゃ、何でエネルギーを
取り入れるのだろうか、って考えたら、
まず思うのは食べ物。

自然が作ったものだから、良いエネルギーはきっとあるはず。

と考えると、大量生産されたもの、
きれいに形がととのったようなもの、
が必ずしも良いというわけでは
なさそう。

科学的に栄養価があろうが、
にんじん一本にしてみてても、
どのような栽培をしてできたものか、

そんなことを考え出すと、何一つ同じ野菜はないはずです。

鶏糞堆肥を使ってできたにんじんが
変な甘味や味がする、という
人に以前会ったことがあります。

今度有機の人参でも見かけたら、
試しに少し買ってみようと思います。

人前だといやらしさを
感じられますが、
今なら、何かわかるかもしれない。

極度な化学物質過敏症、自然派の人を以前は
苦手に思っていたことがあったのですが、

今は、逆に特殊な力だな、って思います。

悪いものを見分けられる、体が反応する、防ぐことができるわけです。


野菜も何を取り入れて育ったのか、
どんな環境で育ったものなのか、

もしかしたら、呼吸を鍛えれば、
何か少しでもわかるように
なれるのかもしれません。

極論ですが、植芝盛平や
ヒマラヤの聖人のような人々は、
呼吸を含めて、何かを体に取り入れる力が
ずば抜けて強いんじゃないかなって思います。

なんだかんだ言って植物と
中よくした方がいいことありそうです。

小さくて、食べにくいとかありますが、
人のために育ってるわけではありません。


山のムカゴ、自然薯が下の生えているはずです。
ガマズミも実り始めています。
小さくて、種ばかり。
でもいい味します。
とても小さいですが、山のクリは
とてもいい味がします。
こうしてみると、山には貴重なものばかりに
見えてきました。

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