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「偉い/偉くない」の世界線はすこやかか。

正解のない問いについて、自分の意見を考えたり他の人の意見を聞くのが好きです。
(1+1=2のように答えが決まっているものではなく、個人の価値観によって分かれる話のことです。)

よく夫にも「これってどう思う?」と乱暴な問いをぶつけて、あーでもないこーでもないと議論しています。

最近ホットな議題(?)としては、「偉い」と褒められることはすこやかなことなのか、ということ。

幼少の頃と比べて大人になると褒められることが減り、私も某なんでも工程してくれるキャラクターが大好きです。
生きてるだけで褒められたい。全肯定してほしいです。

生きてるだけでえらい、ゆっくり休めてえらい、出勤してるだけでえらい…
といった優しい言葉たちは、自分の存在意義が分からなくなった時、多忙でメンタルがゴリゴリ削られた時ほど癒されます。

しかしふと疑問が残る時があります。
そもそも「偉い」と褒められなくてもいいのではないか。
「これは偉い」「偉くない」の世界線で生きなくたって、誰かに認められなくたって、そのままの自分で居ていいのではないか、と。

まあそんなことを考え出したので、夫と話していて思った「偉い/偉くないの世界線は健やかか」の現時点での結論は2つです。

あくまで正解のない問いなので、私個人的な意見です。
これが全人類の正解!ではまったくなく、人それぞれの意見があっていいな~と思っています。

①性格による

いきなりふんわりしてますね。

私はそもそも「偉い」と言われなくたって人は尊いやん…存在してるだけで嬉しい…ありがたい…尊い…という気持ちが前提にあります。

この話を夫にすると「俺は”偉い”と褒められたら嬉しいなー。」とシンプルな回答。
自分が何か成し遂げようと頑張っているのに「生きてるだけで尊いのよ…」と言われてもピンとこないそうです。

この感覚、性格によってまるで違う!!とハッとしました。
すこやかかどうかは人(の性格)による説…。

②時期(幼少期or大人)による

冒頭に書いたように、大人になるといろいろと頑張ることは増えるけれど褒められることは少ないです。
こんなに頑張ってるのに認めてくれない…評価されない…という気持ちが募ると「いつも頑張っていてえらいね」と褒められないもんです。
もう色々しんどい時はまるっと全肯定で「えらい!」と言われたいですね、大人は。(というか私は)

しかし、幼少期において「生きてるだけでえらいね」といった粒度で褒めるのも違う気がします。
幼い時から「勉強して偉いね」「一番になって偉いね」と条件付きで褒めることすこやか(正しい?)かは、疑問が残ります。

前項と同じく夫は「昔から、頑張っていたことは認められたかった」という側面もあるので、こちらも子ども自身の性格によるかもしれません。
その子自身の性格をじっくりしっかり見つめて、寄り添ってあげたいものです。なかなか難しいことですが…。

自分が健やかである方向を選択する

非常にふんわりした結論でしたが、
自分がどんな言葉を掛けられるとテンションが上がるかは、人それぞれだな…と感じました。
対話する相手の話を深く聞いて、よりすこやかなコミュニケーションを心掛けたいなと思います。

パートナーや仲のいい人、(関係性によっては)仕事を共にする人など、自分と深く関わる人とは、自分はどんな言葉を掛けられると嬉しい・テンションが上がるかを話してみるとよりコミュニケーションも楽しくなるかもしれません。

また、いろんな問いがある中で「自分の意見」を持つ大切さは、この本を読んでから深く考えるようになりました。おすすめです。

こんなふんわり議論をときどきstand.fmでも話しています。
今後も少しずつ更新しようかと思っているのでよければぜひ聞いてもらえると嬉しいです。

それでは!



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