わたしの傷、おまえの傷

2月ごろには書き上がっていたnoteですが、学校での出来事をガッツリ書いてしまっていて、もし何かの手違いで、今回登場するクラスメイトの目に入って、書いているのがわたしだとバレたら嫌だったのでずっと下書きに入れていました。
先日卒業して、仮にバレてもたぶんもうその子とは会う機会もないので公開記事にました。


“メンヘラ”という言葉とその意味、ご存知だろうか。
メンタルヘルス(心の健康)に何らかの問題を表している人、という意味らしいが、“メンヘラ女子”となると、めんどくさい女、重い女、という意味で使われることが殆どという。

わたしのクラスには“メンヘラ女子”がいる。
これは第三者が彼女を悪く言おうとして言ってるわけではなく、彼女自身が、自分自身を「うちメンヘラだから」とよく言っているもの。


「もえちゃん、リスカしてる?」


わたしと彼女は、クラスメイトで、話はするけど、お互いの出身高校も、最寄り駅も、家族構成も、好きな芸能人も、悩み事も、得意教科も、とにかくお互いのことを何一つ知らない。
そんな彼女に言われたのが、先述の言葉だった。

わたしの学校は介護福祉士養成校で、実技の授業となればユニフォームがある。そのユニフォームというものはとっても動きづらくて、袖をまくらざるを得ないような服になっている。

この前、1月中ばぐらいだろうか、実技の授業があって、わたしと、わたしの友達、彼女と、彼女の友達と、4人で話していた。その時の授業では脈を取る話をしてたから、同じグループになったその4人で手首を見せ合っていた。

確かにわたしにはリストカットの跡がある。
はっきり残っているのはほんの少しだけど、見る人が見ればそれだとわかるような傷は、それなりに残っている。

彼女に「してる?」と言われた時、忘れかけていた色んな記憶が、走馬灯みたいに巡って、もうただの皮膚のしこりになっている傷が、じくじくと痛いような気がした。

「まあ、昔ね」
と返すのが精一杯だった。
彼女は「えー!意外!」と笑ったあと、「うちなんてほら見て、もう全然隠してないの」と、血の滲んだ、肘のほうまで傷のある腕を出して、「やばいよねー!」と笑ってその傷を撫でた。

わたしは、もう傷を隠すのはやめた。
実習着のこともあって、腕捲りをしないわけにはいかないし、夏は暑いから半袖を着たいし、何より、リストカットをしていたのは4年ぐらい前のことだから、先述したように、もうはっきりとした傷もほとんどない。

だけど彼女は、わたしの手首を見て「リスカしてる?」と聞いてきた。これは、彼女の興味本位とかではなかったんだろうな、と思う。だって興味があるはずなら、わたしが知る彼女の性格上、「なんか病んでるの?」とかなんとか聞いてくるはずだからだ。

たぶん彼女は、自分の傷をアピールしたかったんだと思う。

彼女はInstagramのストーリーに、カッターを持って「リス禁(リストカットを断つこと)できなかった。。。」と載せるし、真っ赤な手首だって載せる。真っ暗な背景に「死にたい。」と載せる。なんで死にたいのかの理由さえも、全部全部、全員が見える、ストーリーというところに載せている。そして同じ内容を、教室で普通におしゃべりする。さほど仲のよくないわたしにも、それを話してくる。


わたしがリストカットをするほどにメンタルを病んでしまっていた高校生の時は、普通に学校生活を送ることすらできなかった。薬がないと生活ができなかったし、相当しんどかったせいとは思うけど、その頃の記憶も断片的にしかない。
だけどぼんやり覚えているのは、当時の保健室の先生と、リスカを止める方法とか、隠す方法を考えたりしていた。
薬でろくに授業は受けられなかったし、給食もほとんど食べられなかったから、周りはきっとわたしの何かしらの異変に気づいていたとは思うけど、わたしにとって、自分の精神状態がバレることは『あってはならないこと』だった。

だけど多分、彼女は違うんだと思う。
彼女は、『病んでいる自分』を、見せたいタイプで、見せて、心配されることで安心を得たりしているんだろう、と。

よく、Twitter上では、病んでるアピールが可愛い、とする「ファッションメンヘラ」なんていうのを聞くが、別に彼女のそれがファッションメンヘラだなんて区別するつもりはない。

実際、病院で病名がつき、診断されたとしても、元々の性格によって、アピールしたい人もしたくない人もいると聞く。
それに、彼女が病んでいる理由は、わたしからすれば、すったらことで病んでんじゃねーよ…と思ってしまうような理由だけど、彼女にとってはそれが本当に辛いことなのかもわたしにはわからないからだ。

だけど、彼女のその安心感のために、わたしの傷は踏み台にされた。それは、許し難かった。

生きていれば、それぞれみんな痛みはある。それは広がっていって病気となってしまうのかもしれないし、うまく流せるのかもしれない。病気になっても克服できるかもしれない。
克服するための治療過程にもいろいろあるだろう、だけど、そのために他人を傷つけていいことにはならないと、思う。

わたしはその夜、体調を崩した。
思い出さないようにしている記憶が止まらなくなって、苦しくて、何回も吐いた。


いいんだ、痛みを抱えた者同士で、お互いの傷を受容して生きていけるとしたらそれは幸せで、間違いじゃないとは思う。
だけど覚えておいて欲しい、わたしの痛みはおまえのためにあるものじゃない。


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