月命日。

もう少しで月命日。
お母さんが亡くなってから、毎月28日はお墓参りを欠かしていない。

興味がある人だけ読んでくれればいいし
死に関わる文章だから、読めない人はそっと閉じて欲しい。

ただ、少しずつどこかでアウトプットする必要が私にはあったので。

身近な人との死別の悲しみは、想像以上に複雑で。
時間が経てば和らぐと思っていたけど、形を変えるだけで、正直悲しみの大きさは変わらない。

そして、亡くなった日より、もう死んじゃうんだって思った日のほうが、一番悲しくて辛かった。

お母さんが最後の入院をした日
もうその時は会話も難しい状態で、錯乱状態か眠っているかのどちらかで、正気な時は一瞬だった。
病室についたお母さんは少し安心したような顔をしていて、私に心配かけないようになのか、少しだけ笑ってくれた。
お母さんが入院して亡くなるまで、2回笑ってくれたんだけど、これが1回目だった。

この時、もう近いうちにお母さんはいなくなってしまうと感じたし、もちろんお母さんも理解していたと思う。

お母さんに背を向けた瞬間から涙が溢れて止まらず、お母さんに泣き声が聞こえてしまわないように、病室を飛び出してタオルで顔を覆ってしばらく泣いた。

今すぐ死んじゃったらどうしようと、本当に気が狂ってしまいそうだった。

これからきっと遠くない未来にはお母さんのいない人生が始まるんだと受け入れなければいけない、この瞬間が人生で一番辛かった。

あの瞬間、私の中のお母さんは死んでしまったようだった。肉体的にではなくて、私の中のお母さんという頼れる存在が、死んでしまった感じ。

亡くなった直後は、葬儀とかやらなくてはいけないことの多さに、悲しむ暇もなければ、言葉を選んで気遣ってくれている人たちに安心して欲しくて気丈に振る舞うことに必死だった。
娘を不安にさせたくない気持ちも強かったし、当時は覚悟ができていたから案外ホッとしている気持ちの方が強いと思っていたし、そう感じていたのも確かだった。

一つ一つ法要を終えて、少しずつこの地球上からお母さんが薄れていく感じが、結構キツくて、悲しみに慣れていく自分にもちょっぴり絶望した。

お母さんへの悲しい気持ちがあることで、お母さんを身近に感じられていたからだと思う。
猛烈な悲しさがあるうちは、お母さんが最後にいた日からそう遠くない。まだ手が届きそうな。
うまく伝わるか、ちょっとわからないけど。

ぶっちゃけお母さんがいないこれからの人生より
お母さんが話せなくても、体があった時間を永遠と繰り返したい。
これは割と真剣に何度も思った。
でも、これは完全に私の気持ちだけを優先していて。
お母さんはきっと一刻も早く楽になりたかったはずだけど。

最後の2週間は家族の覚悟が決まるタイミングを待っている感じで、この時間お母さんにとってはそれはそれは心身ともに苦痛だったと思う。

最後の最後まで、家族のために頑張ってくれたお母さんだった。これは本当にありがとうより、百万回でもごめんと伝えたい。
最後くらいお母さんのタイミングで、と後悔してもしきれない。

でも、きっと後悔は尽きなくて
完璧な終わりも、完璧な人生もないんだと思う。

完璧なんて、そんなのきっと存在しない。

お母さんが亡くなって、2年と数ヶ月。
世界は何事もなく動き続けて、
私も日常を取り戻して、普通に生活してる。

時々、寄せては返す波のように襲ってくる
悲しみにじっと耐えてたりしながら。

死は、亡くなった当人にとってはそこまで意味はなくて
遺された人たちにとって意味があることなんだと思う。

お母さんが死ななきゃいけなかったことに
意味を持たせなくちゃ、私は到底立ち直れなかった。

人生は、短い。
誰かにどう思われているか、そんなこと考えている暇は全くないし、もっともっと自分のために生きていい。
そう感じさせてくれたのは、紛れもなくお母さんの死だった。

月命日が近づくたび、毎月自分を見失わないように、と奮い立たせる。
そして、そう思わせてくれたお母さんに感謝しながら、やっぱり会いたいと猛烈に思う。

別に何が伝えたいわけでもなくて。
時々押し寄せるこの寂しいような悲しいような、言葉にならない気持ちに言葉を当てはめて、気持ちを整理したい日だった。

それだけ。

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