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こどもの凸凹を許さない保育園に3年通って思うこと。

週末に小1の息子と自転車で、春先までかよっていた保育園の前を通りがかったときのこと。

「はあ〜、ほいくえんは、ほんとにつらかったなあー」と唐突に息子が言った。

「そうか…。やっぱり、辛かった?」

「うん。だってぼくはできないことがおおいから。まいにちおこられてばっかだったし、あー、ぼくしょうがっこうにいけてよかったなぁ。」

そうなのだ。そうだろうなと思う。
親のわたしですら二度と戻りたくないあの場所、あの時代。
保育園については、わたしも思うところがいっぱいある。
少し長くなってしまったけれど、あの頃を振り返ってみた。



息子は、わたしが働きだした3歳のタイミングでアットホームな認証保育園に入れた。

そこの保育園がとても気に入っていたけど、大幅な値上げが予定されてたこともあって、近所で評判もよい大規模認可保育園を1か所だけ待機に出したら、たった3か月で連絡がきてしまって、そちらにうつることになった。

卒園まで約3年通ったけれど、これが、結果から見れば失敗だったと思う。

園が悪いわけではない。たぶん。
うちの場合は、3年通じてクラス担任だった、ただひとりの先生が理由だった。

担任は、学生時代にこどもの発達の研究をしていたそうで、なによりもこどもの「できないこと」に着目する人だった。

どんなこどもにだって得意なこと、不得意なことがあると思うけれど、なにか集団の中で見たときに人と違ったり劣っていると思われることがあると、お迎えのときに「発達」に絡めた話をされた。

はじめてその話を受けたときは、めちゃくちゃショックだった。
3歳クラスだったと思うけれど、男の子と女の子の絵をかく工作で、息子ただひとりが、目を黒ではなく紫のクレヨンで塗ったという。

「そんなことをしたのは、クラスでもそうちゃんひとりだけです。目は、黒で塗るものだよって言ったのに、その次には青いクレヨンを持って塗ろうとしたんです!」

発達と情緒の問題がどうのと先生が真剣に話すから、わたしもその話を深刻に聞いた。

廊下に貼り出された息子の絵は、皆と同じく目が黒で塗られていたけどそれは先生が必死に直したんだろう。
息子に聞いたら、「だってむらさきのほうがきれいだから」といったけど、そういう問題じゃないのかもしれない。

その後も先生はよく、「クラスのなかでひとりだけ」という言葉を使った。
「ひとりだけ、右をむいてお昼寝している」
「ひとりだけ、すぐにおなかがいたいという」
「ひとりだけ、ロッカーの片付けが遅い」

はじめてのこどもでわたしもなにもかもがわからなかったから、「どうして右をむいて寝たらいけないんですか」とは聞けなかった。

でも目の色しかり、同じような指摘を受け続けるうちに、先生が言いたいことがわかった。
集団の中で自分ひとりだけ、みんなとは違うほうを向いていることに気付けない点を、先生は問題だと言っているのだ。

プロが見て集団の中でおかしいと思うことがあるならそれはやはりおかしいのだし、早めに臆せずに親へ知らせてもらえることに、そのたび感謝を伝えていた。
なにか言われれば夫と相談をし、専門機関を調べ、本を読み、息子はなにか人とは違うのかもしれないと思っていた。

息子が特別なのかと思っていたけど、クラスでわたしが知る限り男の子のほぼ全員が、「発達に関する心配」としてそれぞれ指摘を受けてたことを知ったのは、もう卒園が近付いてから。


本当にクラスでそれがひとりだけなのかは分からないけれど、それぞれが受ける指摘事項は幅広く、バリエーション豊か。

「ひとりだけ、箸が上手にもてていないので園ではスプーンで食べさせています」
「ひとりだけ、お話中に目が合いにくいので、目の前に座らせ名前を呼んで注意を引いています」
「ひとりだけ、さ行の発音が不明瞭なのでことばの教室に通わせてください」
「ひとりだけ、給食を食べおわるのが遅いので、壁を向いて衝立を置き、食べることに集中してもらっています」


そのほかにも、
「いつも何を考えているのか分からない」「遊びかたが幼い」、「絵が稚拙」、「ぼんやりしてる」「着替えが遅い」「好きなことと違うことの興味の差が激しい」などを指摘される子もいた。


そして、それを直すためにクラスでは特別な支援を必要としており、まだ小学生になる準備が完璧に整っていない、小学校でやっていけるかが心配だという。

「小学校には、クラス全員を完璧な状態にして送り込みたい」というのは、先生がいつも言っていた言葉。
だけど、凹みのない、完璧な丸の子どもなんて、いるのだろうか。

先生は小学校進学を前に、それぞれに熱量をもって就学相談をすすめ、結果男の子ママ達の間で「実は、先日指摘をされたので相談を受けてきて…」
「うちもです!」
「えっ!うちも先生に言われて来週受けます」
うちもうちも…!!って感じで、ようやく全体の様子が分かったのだった。そのうち先生からのすすめで、悩んだ末に療育に通っている人も半数くらいいた。

わたしが情報交換するのは男の子ママが多かったから、もしかすると女の子も同じように言われていたのかもしれない。

こどもの発達というのは、親の間でもとてもデリケートな話題だと思う。
だから、みんな自分のうちに抱え込んで、人知れず悩んでいた。
早くお互いに相談しあえていたらと、全員が言っていた。我が子とはいえ、本人のプライバシーだってあるし、こどもを傷つけたくない、自分も傷つきたくないから、わたしも誰にも言えなかった。


みんなで改めて会話をしてわかったけれど、療育などへの誘い方がまた絶妙に親の心配をかきたてるというのか、先生は「このままじゃ、小学校に入ったら他の子からもおかしいと分かるから、イジメられる可能性が高い。本人がかわいそうです」というのだった。
そのイジメの話の先には、そして不登校になるというところまでがセットでついていた。


何事もいい加減な状態を許さない、信念のある先生だったと思う。
子供の世界は本当に残酷で、小学校というのは「人と違う子、人よりできないことがある子」にとって厳しい場所。これまでこの目で数多くそういう事例を見てきて、そうならないために早いうちに凸凹をなくさねばならない、というのが先生の正義だった。まるで不登校になったら世界が終わるというように。


ちなみに区の就学相談自体は、受けて本当によかったと思っている。
はじめて知能検査も受け、園での様子を見てもらい、役所の専門家に心配ごとを洗いざらい話せ、大丈夫ですよ、なんにも問題ないですよ、安心して小学校に行ってくださいと言ってもらえて、ようやく心から安心できた。

もちろんこれでなにか指摘されたとしても、こどもの特性や必要なサポートが分かるから、心から感謝していると思う。

当時はわたしも、半分洗脳の中にいたようなものだ。息子らしくいてほしいと思いながら、人と違う、人よりできないという些末な点を気にして苦しんできた。
先生がよいとか悪いとか、そういう単純な話でもない。先生は信念をもち、細やかに、一生懸命に子どもと向き合ってくれていた。


だけどこの保育園での生活は、まだ幼くやわらかな息子から無邪気さやしなやかさを奪い、その自己肯定感を地の底まで下げたということは、離れてみてはっきり言える。

園時代、あれやこれやの足りない点、できない点ばかりに細かい指摘を浴び、毎日息をするように叱られ続けていた息子は、何に対しても「ぼくはできない子だから」が口癖だった。
その自信のなさをかわいそうに思いながらも、園でできるだけ叱られないようにと、わたしも口うるさく言ってしまった気がする。


いま小学校に通い出した息子は、笑顔が増えてぐんと子どもらしくなり、のびのびと呼吸をして、
テストで100点をとったとか、
ドッジボールで今日は3人当てれたとか、
先生にやさしいところをほめられたとか、
はじめての表彰状をもらったとか、
自分自身で、はじめての小さな自信をひとつひとつ積み上げているのがわかるのだ。

これからどうなるかはわからないけれど、小学校は、ずっと脅されていたほどに恐ろしい場所ではなかった。少なくとも息子にとっては。

ルールがたくさんの小学校生活の中でも彼が自由を感じているのは、穿った見方をすれば、のびのびとはあまりに間逆、全員右向け右で画一的な下積み園生活を過ごしたおかげともいえる。


でも、それって、どうなのよ?


小学校はほんとうに色んな子がいて、色んな子がいることが、許される場所じゃなきゃいけない。

先生がいうことも真実の一部なのかもしれないけれど。だとしたらそれこそを、これから変えていかなきゃいけないんじゃないんじゃないだろうか。

紫のクレヨンを選んで目を描いていた息子は、もういない。もう一度だけ、あの頃の息子に会ってみたいと思う。
彼はもう、目や髪は黒に、耳や体は肌色に、口には赤色しか塗らなくなった。

いつも指でおまじないをかいてバイバイしていた息子の小さな手のひら。
保育園が近づくにつれ、一歩がどんどん小さくなる水色の靴。
「ママがいい」という言葉の後ろには、何を思っていたのだろう。

あの頃を思うと今だって、自分はどうすべきだったのだろうかと、思考がぐるぐる回るのだ。





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