見出し画像

もうすぐ節分。保育園に、鬼がくるのが嫌だった。

今年も間もなく節分の日。
「小学校にも、鬼って来る?」
あれは年が明けて早々だったか、息子が心配そうに聞いてきた。

保育園では毎年必ず鬼がクラスにきて、わるい子はいないかと脅かし、豆を投げたら退散していく行事があったから。
「たぶん来ないよ」というと、「あー、よかった。保育園はさいあくだった…」といって、驚くほど鮮明に覚えているらしいそのときのことを話しはじめたのだけど、なんだか、色々と考えさせられてしまった。

去年の節分、息子のクラスは紙袋にクレヨンで鬼の目鼻をかいたりして工作し、ツノをつけたのを鬼のお面としてかぶったのだ。 
それをかぶっていたタイミングで、窓から赤鬼と青鬼が急に侵入してきて、驚いたこどもたちは豆を投げる。

それが、本当に怖かったと息子は言った。
自分でくりぬいた紙袋工作の目の部分が、両目の位置に合っておらず、よく前が見えない状態で鬼や周囲の叫び声が聞こえ、パニックになっているところに、先生から「なにやってるの、前にいってほら!」と体をぐいぐい押されあまりの恐怖に泣いてしまったという。

そのときのことは、わたしも覚えている。

保育中のことで現場にはいなかったので、わたしが覚えているのは、お迎えに行った時のことだ。

「あっ!お母さーんっ、今日、そうちゃんすっごいおもしろかったんですよー!!!
もう、わたしたちみんなで、お腹抱えて笑っちゃって」

そう言って先生は、紙袋をかぶったまま豆も投げずに慌てふためいていた息子の動きを真似して見せた。

すごい、滑稽な動きだった。
あっちもこっちも忙しい釜じい、みたいな。

そのとき教室から出てきた息子を見て、わたしも、笑った。
先生と、あははと笑いあった。

後日、保育園からイベントの写真が送られてきて、その写真を見てはじめて
わたしはその日の息子の気持ちを知った。

紙袋でほとんど顔が隠れていたけれど、片方の穴の半分くらいから、かろうじて目がのぞいていた。そこしか視界がないので、目を必死に見開いていた。その目の色を見ただけで、どれだけ恐怖を感じていたかがわかった。逃げようとしている肩をつかんで、笑っている先生が鬼の方に押している写真もあった。

先生からみれば、ただおかしく、微笑ましかったのだと思う。
でも大人だって紙袋をかぶせられて、視界が遮られた中で鬼があらわれたとしたら、パニックにならないだろうか。多分わたしだって、釜じいになる。

それを笑ってしまったことが、特に母であるわたしが笑ってしまったことが、息子の心に傷をつけてしまったと思った。



近ごろ、人を傷つけない笑いだとか、昭和の笑いだとか、時代と笑いに関する話題を目にするようになった。

テレビっ子でお笑い番組が好きだったわたしは、これまで何年もテレビの前に座り、いろんなことを笑ってきたと思う。
番組に差し込まれた笑い声のタイミングに合わせて、ここが笑いどころだとばかりに
驚いてひっくり返る人を見て笑い、
1人だけ失敗する人を見て笑い、
ハゲだのブスだのという言葉に笑い、
転ぶ人を見て笑ってきた。

その笑いかたは、いつのまにか、わたしの中に染み付いていたのだ。
転ぶ人を見て笑うのは、本当におかしくて笑っているわけじゃない。
身勝手なことなのだけど、条件反射であり、その人を救う気持ちでもある。

もうずいぶん前だけど、夫と息子と散歩していた時に、本気で走ったらどのくらい速いかという話題になり、わたしが橋の上でダッシュしたらわずか2歩目で勢いよくすっ転んだことがあった。
裾の長いスカートみたいなパンツの裾に靴が絡まったのだ。

走るのは内心自信があったからはりきっていたのもあって、その勢いは激しく、転び方はコントみたいに派手だった。
だからわたしはひとりで大笑いしながら起き上がって、夫に「なんで笑わないの?」と聞いた。
あまりに恥ずかしくて、笑ってほしかったとも言える。

夫は驚いた顔をして「なんで笑うの?」と聞いてきた。 
「笑うわけないじゃんか」
「足は大丈夫?痛くない?」

「ママ、だいじょうぶ?」
息子も、笑っていなかった。
わたしひとりだけ、笑われる準備で笑っていた。

まだまっさらな息子も、昔からテレビに興味のない夫も、人のことを笑おうとはしない。
わたしだけが、人の失敗やできないこと、なにか違うということを、無意識に笑う対象にしている。そう気付いたとき、眼の前が暗くなるほどショックだった。

おかしいなんて思ってないのに、笑うことでごまかし、共感する癖のようなものが、体の奥底にまで染みついてしまっている。

節分の息子のことだってそうだ。
先生がやる釜じいをまず見たとき、そんなに慌てふためいて、かわいそうにと思ったのだ。なのに、笑った。笑うことで、息子を救ったつもりでいた。

わたしは、おかしい。ズレている。
恥ずかしいことだけれど、自覚がある。
これを直すのは、少しずつ体から毒を抜くようなもので、すぐには直らない。

だけど、直したい。
直さねばならない。

息子はときどき、「なんで笑うの?笑わないで!」という。
わたしは、どきりとして謝る。

ぜんぶ、息子に気付かせてもらったことだ。
今年こそ、節分を楽しい1日にして、家族で笑顔で過ごしたい。

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?