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遠くとも一度は参れ「善光寺」を訪ねて

長野県立美術館で東山魁夷の世界を堪能したあと、さて、これからどうしようかと時計をみると、時刻はまだ11時前。目の前には善光寺・・・せっかくだからお参りしていこう。

すぐそこに善光寺が見える

2年前に訪れたときは、ここは善光寺か?!と思うほどガラガラの空き具合でしたが、あの静けさが嘘のように、もうすっかり賑わいを取り戻していました。

ちょうど、大本願の住職(尼僧)が本堂へ向かわれる場面に遭遇。みなさん、頭を垂れて数珠を受けています。

国宝 本堂

善光寺の創建は・・・御本尊は・・・
はて?小学4年生のときに見学にきているし、社会人になってからも何度か訪れているのに、どういう歴史のお寺かまったく記憶にないということが判明しました。笑

信州人たるものこりゃいけん、東大寺について語っとる場合じゃないわ!と、慌てて調べましたので、すこしお付き合いください。

◇ ◇ ◇

善光寺の歴史

まず、善光寺は宗派がわかれる前の古い時代の創建のため、無宗派のお寺です。

御本尊は、勢至菩薩・阿弥陀如来・観音菩薩がひとつの光背の中に立っているという『一光三尊阿弥陀如来』。絶対秘仏のため、その姿を拝むことはできません。(見てみたいなぁ)

これは日本最古の仏像で、崇仏・廃仏論争の最中に難波の堀江へ打ち捨てられたものを、本田善光よしみつが信濃の国へ持ち帰ったものだそう。はじめは飯田市座光寺ざこうじ元善光寺もとぜんこうじでお祀りされ、のち642年に現在の地に遷されました。

642年とは!予想外の古さに驚きました。大化の改新よりも前だったんですね。そして644年に勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられたそうです。


山門(2021年撮影)

現在、善光寺の運営は大勧進だいかんじん(天台宗)と、大本願だいほんがん(浄土宗)の両宗派によって行われています。御朱印も、それぞれの坊でいただけますよ。

大本願は創建当初からともに歩んできた尼僧寺院で、蘇我馬子の娘(奈良とつながった!)によって開かれ、代々の住職は公家から迎えられました。なかでも明治維新のおり住職だった伏見宮邦家王女は、皇族還俗の令にそむいて尼公としてとどまり、廃仏毀釈の嵐の中、善光寺を守ったそうです。

1300年の歴史ある善光寺でさえ廃寺の危機におちいったとは・・・明治維新、恐ろしや。

仁王門(2021年撮影)


善光寺の危機は、すこし遡って戦国時代にもありました。

武田信玄と上杉謙信により、善光寺平で『川中島の戦い』がはじまり、善光寺へ兵火がおよぶのを恐れた信玄は、本尊や寺宝を甲府(山梨県)へ移しました。そしてこれを皮切りに、善光寺本尊は、ときの権力者によって流転することになります。

武田信玄により甲斐善光寺へ
  ↓
織田信長により岐阜善光寺へ
(のちに尾張へ)
  ↓
徳川家康により浜松へ
(のちに甲斐善光寺へ)
  ↓
豊臣秀吉により京都方広寺へ
  ↓
信濃へ帰還

40年の流転を経て、ようやく信濃の地へ帰還することができたのです。よかったよかった。それにしても、戦国武将にとってそれほど善光寺の御本尊は魅力的だったんですね。

以前善光寺シリーズに興味がわいた時期があり、甲斐善光寺と岐阜善光寺を訪れましたが、信玄が作らせたという甲斐善光寺は、見た瞬間「これ、善光寺じゃん!」と思わず声に出してしまったほど善光寺によく似た造りでした。

甲斐善光寺 本堂
そっくりです

◇ ◇ ◇

歴史はこれくらいにして、境内さんぽ。
境内入口から山門へつづく仲見世通りには、長野名物おやきや漬物屋さんなど、長野らしいお店が軒を連ねています。店先にベンチがあるお店も多く、おやきやおにぎりを頬張る人のすがたも多数。(わたしもその内のひとり)

近くには宿坊も何軒かあり、そちらで精進料理をいただく団体さんも見られました。精進料理・・・いいなぁ。

え? せんとくん?!

奈良のゆるくないゆるキャラせんとくんにそっくりな像をみつけて、急にテンションが上がりましたが、実はもう気力があまりありません。

戸隠で神秘エネルギーをこれでもかというほど浴び、東山魁夷館で白い馬の世界へ入り込み、すでに『受信キャパ』がオーバー寸前です。もはや、善光寺でなにかを感じ取る余裕はなく、ちょっと食べ物をお腹に入れて、和菓子屋さんでお茶して、それで終了。

あ、でもさいごに本堂のなかにいらっしゃるびんずるさんにだけは挨拶をしました。自分の気になる部位と同じ箇所をなでなですると癒されるというので、全体的になでなで。

300年以上参拝者に撫でられ続けたびんずるさんのお顔は、目鼻立ちはあいまいになってしまっているけど、ツルンとして艶があります。この艶、ちょっと羨ましい。


六地蔵
ここは、お気に入りの眺め


「遠くとも一度は詣れ」とうたわれた善光寺、次回訪ねるときは本堂での朝のお勤めに参加できる宿坊へ泊るのもいいなぁと、うっすらと考えました。

一度ならず五度は超えるだろう善光寺詣では、この先もつづきそうです。

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