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「感情」が死ぬタスク処理では意味が無い

 久しぶりに「時間」と「タスク」に欠かせない「感情」について気が付いたので書きたいと思います。


 わたしの話で恐縮なのですが・・。
 雨ばかりのお盆休み。わたしはワクチンの副反応による高熱からほとんど仕事に行かないまま、長い休みとなりました。遊びに行くこともままならず、娘と引きこもっておりました。

 で、この休みのおかげで大事な事に気が付いたんです。

 娘を産んでもうすぐ9年。育休を終えて職場復帰したころは、まだ慣れない育児でいっぱいいっぱいでした。
 娘が3歳になってフルタイムに戻ってから「忙しい」事や「頑張る」事が普通になり始め、分刻みの生活が当たり前になりました。タスクをこなす事はもともと得意で、自分が『脳疲労』に陥っている事にも気づいていませんでした。

 そのうえ、小1の壁を越えられないかもしれないと思った私は、娘が4歳の時に副業まで始めてしまったのです。
 当時、新しい事を学ぶのは新鮮で楽しく、忙しくても平気でした。それまではタスクに追われてカリカリしていた私が、生き生きしている事を夫も喜んでくれました。

 そんななか、さらに『脳』が忙しくなった事で、夕飯のメニューすら考えられなくなりました。それはフルタイムに戻る際にヨシケイさんを利用し始めたので、平日は決まったメニューを「作るだけ」で乗り越えていましたが・・。
 今時忙しい女性が増えていますし、色々利用して楽すのは良いことだと思っていますし、それ自体が悪いわけではありません。
 でも私にとっては、本業も副業も、家事も育児も・・すべてが「作業」になっていました。まるでロボットのように。
 
・食べたいものもない(口に入れば何でもいいので、家族が食べたいものを作る)
・したいこともない(仕事が趣味?)
・行きたいところもない(娘が楽しければいい)

 あるとき、わたしのメンターに「感情を乗せて報告をして」と言われ「作業に感情要らないやん」と思ってしまったんです。それからは苦悶の日々でした(笑

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 そんな事もあって、この盆休みは思い切って、デジタルデトックスと言う程ではないけどSNSに触れる時間をぐっと減らしました。
 珍しく自分でメニューを考えて買い物をし、(夫不在だったので決めてもらえなかったのもある)作業ではない「料理」をしました。それも毎日!
 食べたいもの、作りたいもの、使いたい食材・・そんなの何年振りでしょう。

 そして、見たかった映画を見られるだけ見ましたよ~。
 
 副業を始めてから、テレビドラマも見たことが無く、友達と遊びに行く事もなく・・。大好きな読書もできなくてね。
「こりゃ感情死ぬわ」と(笑

 片付けもおなじで。昔は収納が好きだったんですけど、それって心と時間に余裕があるから、きちんと収納して、いちいち取り出せた。
 何かを片手に持ち、通りすがりに片手で仕舞える仕組みを作れていないから、忙しくなればなるほど悲惨になった。

「感情」とそれを殺さない「仕組み」

これが無いとダメなんだな・・と思い知れたわけです。

タスクを詰め込んで処理するだけなら、訓練すれば誰でもできる。

そこに「感情」が生きて「豊か」にならなければ意味が無い。
大切な事ですよね!

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