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環境に合わせて変えていけ。自分を。

【めんどくさいから聞かない】
専門家の話どころか、しっかりデータ調べての話でも「めんどくさいから聞かない」みたいな大人は昔からいるよね。自分の意見と違うことは、見たくない、知りたくない、読みたくない、なんだな。

【例外のひと】
「見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じる」人が非常に多い。研究者や技術者など、間違った情報を得たら間違った答えしか出てこないこと(結果として多くの人に多くの損害になること)を身体でわかっている人、そういうトレーニングをした人であれば、自分自身さえ疑うくらい懐疑的に物事を見て、自分が「これ」と思った意見でも「間違っていた」と、論拠や事実を提示されて指摘されれば、それを自分でも検証して、自分の意見を変えるのは全く躊躇がない。普通はそういうトレーニングがされる環境にもいないだろうし、そういうところに行く、ということも考えられないだろう。

【YouTubeに騙される人たち】
YouTubeもいい加減な情報が満載なんだと最初から疑って見れば「楽しいエンタメ」なんだろうけど、中学生や高校生くらいの勉強量で得られる知識程度しか持たない人には、それを丸々信じちゃう人も多いんですよね。特に様々な経験もないしトレーニングもされていない環境に育った若い人にはそれは多い。でも、最近はあまり環境の変化がなかったこの高度経済成長期の数十年を大過なく過ごした、という「日本的サラリーマン」の退職者などにもそれは多い。

【環境の激変を求めないと、人はバカになる】
再びの戦争、再びの乱世。成長の停止。現代はこれまでは考えられなかったことが起きる「激変の時期」なんだろう、と誰もが思う。であれば、その激変に常に対応し、自分自身の意見も生き方も全て激変させて環境に対応する、という生き方をするほうが、はるかに生きやすくなるのは、当たり前のことだ。そのためには「自分自身を否定する訓練」を自分に課すことができる人、その必要を親からでも受け継いだ人が、必要な人とされる。

【「乱世」なのだから】
「乱世」の生き方は「乱世」に生きた人に学ぶのがいいだろう。戦国武将で、山中鹿肋幸盛については、検索して調べてもらうとして、彼の名言に「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」というのがある。武勇で鳴らした名将のこの言葉は現代に通じるだろう、と私は思う。なぜなら、今が「乱世」だからだ。これが平和な時代だったときは「司馬遼太郎を読め」で良かったんだけどね。そして、多くの人には、論理で物事を考える理系的頭脳だけではなく、その考えた結果が自分の否定であれば、自分をも否定する勇気を持つ「本物の勇者」でいてほしいな、と思う。

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