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「お金」は「感情」ではない。

【「お金」は「感情」では動かない】
「経済」というよりも「お金」である。手元にある使えるお金。食べるために手元に持つお金。そのお金は「数字」だ。数字は時間とともに腐らないけれども、価値は上下する。同じ数字のお金で買えるものの質や量は変わる。しかし、お金=数字そのものは、人間の感情で左右されにくい。お金の価値は様々な要因で変わるし、その変化の原因は人間が持つ感情にも左右されるし、天候などでも変わっていく。いずれにしろ、我々人間が持つ感情は、お金に左右されるし、お金の価値を左右させるが、「動く」のは、「お金という数字」ではない。それを使う我々人間やその社会を動かすものが変わっていくだけだ。「お金という数字そのものは感情では動かない」。

【お金のトラブルはあらゆるトラブルにつながる】
人間の現在の社会は、世界的に「お金」という「数字」で「動かない」ものを世界的に通用する価値の基準として採用している。そのため、地球上の人間社会のどこか一箇所で大きな動きがあると、それは「お金」を通して世界中に波及してしまう。良い影響も、悪い影響も、どちらも同じように波及する。「お金」で世界は統一されている、とも言えるだろう。

なんらかの原因で大穀倉地帯で小麦が取れなくなったり、大規模な輸送ができなくなれば、それは世界の食糧事情に即座に反映する。お金を通して、だ。それは世界がお金でつながっているから起きる。同じことはエネルギーでも起きる。

【「嫌な奴」にもお金を貸す、ということ】
あなたが、あなたが嫌いな、あなたの同業者のライバルのAさんにお金を貸してくれ、と言われたら、拒否するとしよう。そして、お金を貸さなかったAさんが、あなたとは別の人にお金を借り、ある日成功して、大きなお金を稼ぐことだってあるかもしれない。そうなればあなたは大きな損をする。だから、あなたの「感情=願い=Aさんの事業は失敗して欲しい」は、「Aさんの成功」という事実とは一致しなくなる。そのAさんにあなたがお金を貸していれば、あなたの生活が豊かになったかもしれない。あなたが社員を抱える会社の社長であれば、社員の給与を上げ、よりよい仕事ができ、仕事を拡大し、多くの人を雇えるようになったかもしれない。しかし、あなたの感情とは全く別にAさんは成功し、Aさんにお金を貸さなかったあなたの会社がなくなり、あなたは借金ばかりを背負う、ってこともあるかもしれない。「お金を貸す」時点で「自分の感情を殺してお金を貸す」ことは、会社の経営者としてやるべきことであったかもしれない。だから、お金については「自分の感情を考えずに扱う」ことに慣れるべきだ、ということになる。自分の感情を交えずにお金をAさんに貸して、その後にAさんが失敗したときでも、あなたが受けるダメージも「もともと感情を交えずに行ったお金を貸すという行為の結果」であれば、「このくらいなら(もしAさんが失敗したとしても)貸してもいい」という「計算」の結果だから、自分でも納得が行くことになる。

【お金に感情を込めるな】
成功したときは、もちろん喜ばしい。失敗したときもダメージが少ない。だから、お金という数字を扱う人は、感情でお金を扱ってはいけない。成功、失敗、どちらに転ぶにしても「お金=数字」であることに変わりはなく、成功も失敗も「お金」で測られるし、お金には感情が無いからだ。別の言い方をすると「経済(お金)で食っている人間は情で動くと損をする」のだ。そして、世界は「お金」でつながっている。だから、世の中に起きるあらゆる場面で「お金=数字」で損得勘定で動き、感情では動かない、ということが重要になる。このことをきれいに言い直せば「感情ではなく理性で行動しろ」ということになるだろう。気に入らないことをする人間でも、お金を考えて付き合うしかない。完全なのはシンプルな「お金=数字」である。完全ではないのは人間のほうで、お金ではない。あなたは完全ではなく、感情に支配され大損をするかもしれない「人間」という生き物であるところから逃れられないのだから、これは仕方ない。わがまま勝手で感情的な自分をいかに抑制できるか?で勝負は決まる。

【日本の戦後と日本人の感情】
日本は1945年に第二次世界大戦・太平洋戦争でボロ負けして、全てを失った。その後「鬼畜米英」と言っていた「敵国に対する感情」を短い時間で180度変え、今に至るもそれは続いている。結果として日本という地域とそこに住む日本人はアジアで一番早い経済的繁栄を得た。考えようによっては「感情のほうを理性(数字での損得勘定)に合わせて強引に変えた」から、繁栄があった。「数字に殉じ、感情はそれに従わせた」のだ。それは生き残るためのぎりぎりの選択だった、ということもあるだろう。生きていなければ、感情だって持ちようがないのは自明だ。豊かになったからこそ、感情を大切にできたのだ。逆に言えば「感情」なんてその程度のものだ。私たちには物理的な「身体」がある以上、その存続は「全て」である。国というひとかたまりの地域の人の集まりも「人」という個人の集合である以上、このことから逃れられるはずもない。

日本人にとって「あの戦争を忘れるな」ということは、おそらく、そういうことだ。感情に煽られ行動する人は早く消えていくしかない。

日本のことわざに言う「泥棒にも三分の理」と言うのも、そういうことだろう、と私は思う。このことが理屈では納得できなくても「ことわざ」で表現し、わけがわからなくても、それを実行することによって、世の中の繁栄、自らの身の安全が得られる、と。

感情ではなく、理性で生き残れ。

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