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「昭和」を考えてみる

【昭和がいいんじゃない?という人が増えてきた】
ネット情報だけではなく、レガシーなマスコミでも「昭和」コンテンツがあちこちに出てきた。自分は昭和の生まれだが、中には少し古い、というだけで「昭和」というラベルを貼っていく、というものもあって、実際のところ、その「範囲」「定義」はよくわからない。「なんとなく、今はないけど、ちょっと前にあったもの」という、高齢者にとっては「プチ懐かしい」程度のものだなぁ、というのが、感じているところではある。

【昭和って言っても、なげーよ】
少し理屈っぽいことを言うけれども「昭和」というのは結構日本としては長い時代で、その元号を冠した時代は西暦で1926年から1989年まで、60年以上続いた。それはおそらく「戦前」と「戦後」に大きく分かれるのではないか、と自分は思っている。「戦後」「戦前」の「戦」は、第二次世界大戦、日本の地域政府にとっては米合衆国政府と戦った「太平洋戦争」のことだ。日本は戦前、いわゆる「軍国主義国家」だった、と言われている。太平洋戦争の終結は日本のベタ負け「敗戦」で終わったが、その時が1945年。「昭和」が始まってちょうど20年たったときだ。この昭和20年に、日本の歴史ははっきりと一つの節目を迎えた、ということは、多くの人が言う。

【「戦前」の昭和を見てみると】
昭和という元号で括られた日本の最初の20年は、その後の「戦後」と言われる時代から見れば「日本という地域の国家が戦争に負けるために歩んだ時代」のように見える、という話もどこかで聞いたことがある。戦前の昭和は、それなりに経済的繁栄をして、そして、稼いだお金を戦争に投資して、戦争という大博打で全てを失った。小金持ちが何もかも失って超貧乏に落とされた。食べるものが無く、多くの人が考えられないことで死んだ。こんな事件もあったのだ。今の「子ども熱中症放置事件」どころではない。

【「戦後」の昭和を見てみると】
そして「戦後」が来ると日本という地域はまず戦争でボロボロになった「戦後復興」の時代が来る。そんな日本の戦後昭和に、慈雨(恵みの雨)が降り注いだ。日本という地域はその慈雨の栄養をさんざん受けて、続いて「高度経済成長期」が来る。「慈雨」とは「日本に近い外国での戦争」だ。「経済とはどうあるべきか」という考え方の違いで分かれた2つの勢力が、それぞれに持つ国の塊どうしでそれぞれの領土拡張競争を始めたのだ。そして、衝突し戦争になった。「朝鮮戦争」「ベトナム戦争」。。。これらの「日本の戦後の、日本に近い外国での戦争」は、日本を戦争の補給基地にしたため、日本の経済が短期間で成長できた。特に朝鮮戦争は「朝鮮特需」と言われ、今の日本の巨大上場企業のほとんどがこの時期に大きくなった。同時に世界各国で第二次大戦後の復興の時期も重なり、日本はモノを作って世界の様々なところに売って稼いだ。世界は「MADE IN JAPAN」のモノで溢れた。日本という「場所」は、第二次大戦後の戦争が直接及ばない地域だった上、そのときの戦場に近い場所という「絶妙な立地」だったのだ。東京のレインボーブリッジの上から東京湾の市街地側を眺めると、そこにあるほとんどの企業が日本の戦後のこの時代に大きくなった企業の建物ばかりで、壮観な景色が見られる。日本の巨大某自動車会社でも「朝鮮特需」があるまでは、町工場の地面むき出しの土間で夏など上半身裸で溶接や板金をしてクルマを作っていたのだ。その写真を見せてもらったことがある。その写真は今の日本の田舎の自動車修理工場以下の環境と言っていい。

【わずか11年】
1945年の「敗戦」からわずか11年後の1956年、日本政府の「経済白書」には「もはや戦後ではない」という有名な言葉が載った。自分はその翌年の1957年生まれなので、つまりそれまでの「食うや食わず」と言われた日本の「戦後復興」の「超貧乏な時代」を知らないし、高度経済成長は子どもの頃の自分の目の前にあった現実だった。いま「昭和」と言う「懐かしみを持って語られる時代」とはこの時代のことだ。

【「今日より明日が必ず良くなる」確信があった時代】
自分の実感としても、今年より来年は必ず良くなる、という「確信」がみんなにあふれていた時代だと思う。今のように「日本も戦争に巻き込まれるかも?」とか「コロナでみんな死んじゃうかも?」みたいなネガティブな思考はまずなかった。自分にも、多くの人にも。今じゃ信じられないねぇ。

【昭和が終わったら高度経済成長も終わった】
1989年、昭和天皇が崩御され「大喪の礼(たいものれいたいそうのれい)」が行われた。自分も学生だったが、実家でテレビで見ていた。特にどうという感慨はなかったが、その年は同時にドイツでベルリンの壁崩壊があった。「資本主義vs.社会・共産主義」というものの垣根がなくなり「グローバル経済の時代」が始まろうとしていた。日本という地域は「戦争あっての繁栄」で短期間に経済を大きくしたのだから、その先には日本の経済の衰退が来るはずだ、と思った。マスコミなどでは「社会・共産主義が終わった象徴的出来事」と言っている人が多かったが、もともと「資本主義」のアンチテーゼとしてできた「社会・共産主義」なわけなので、つまり「敵」のいなくなった「資本主義」を本当は心配すべきなんじゃないのかな?と、当時は言っていたのだが、その意味をわかってくれた人は少なかった。

【「昭和」は成長を自分で苦労して作り出さなくて良かった】
「お金」で見ると、金額ということではなくて「昭和」しかも「戦後の昭和」ってのは、何もかもが上向いていたから貧乏も苦ではなかった。その「貧乏」も時間が解決してくれる、という思いがあった。経済的なものだけで見ても、銀行に預けていたお金は、20年もすると金利で倍になっていた。つまり、世の中全体が成長していたから、そうなったのだ。日本にいた多くの人にとって、昭和という時代はつまり、そんな時代だった。多くの一般庶民からしてみれば「誰かの言うことを聞き、世の中の流れに逆らわなければ、自分も世の中の大多数のひとりとして成長できた」という「今から考えれば楽な時代」だった、と言っても良いのではないか?「成長」はそこにあるものであって、自分で苦労して努力を重ね積極的に取りに行かなくても良かった時代だったのだ。もっとも、エリートと呼ばれる一握りの人が、その仕事で多くの努力をしたからこそ、の成長でもあったが、世界中が成長していたのだから、その仕事は今よりは楽であっただろう、と想像できる。「動けば報われるのが当たり前」だったのだから。

【昔はよかった】
簡単に言えば今から見て「昔は良かった」という多くの声が「昭和」という言葉に込められているのだろう。そして、そういう時代はおおよそ50年は続いたのだ。実際「昭和は良かった」はウソではないのだろう。多くの人にとって。

【昭和が終わった頃に始まったこと】
戦後昭和=高度経済成長期は終わりを告げる。1973年、1979年の二回起きた、とされている「石油ショック」が「高度経済成長期の終了の合図」だったように感じるのは私だけでは無いだろう。そして1991年から1993年にかけて起きた「バブル崩壊」が日本経済にトドメを刺した、というのが多くのこの時代を生きた日本人に共通の思いではないか?この1991年から日本の「失われた20年」が始まって今に至る。

【電子技術者としては】
この時代に、私は学生から社会人になった。社会人としては電子技術者として職を得た私は、最初は新卒のオーディオ技術者の仕事をしてたのだが、その後に転職し、小型のコンピュータと電子技術のデジタル化と、デジタル通信技術の真っ只中で仕事をすることになった。そして今に至っている。結果として、日本にインターネットを持ってくる仕事をした。私が見てきたこの急激な変化は「電子技術のデジタル化」に尽きる。電子技術のデジタル化は、電子技術から微妙なものを作る必要がある「職人芸」を追放した。

【テープレコーダー】
例えば、今はもちろん使っている人はまず見ないが「音声の録音と再生」には「テープレコーダー」があった、今から考えても、すごい技術だなぁ、とは思うが、今はその技術は必要ない。テープレコーダーは、磁気を保持する性質のある「磁性材料」を「テープ」に塗布し、それを長くまとめた「磁気テープ」を、細かいメカニズムを使って巻き取ってあるリールから送り出し、もう片方のリールに巻き取って行く。その途中でテープの速度を一定に保つためのメカニズムなどを通り「磁気ヘッド」をこすって行く。録音のときは磁気ヘッドで音声信号の強弱に伴った磁気を発生してテープにそれを記録する。逆に再生のときは同じメカニズムで流れるテープに磁気ヘッドを当てて、記録された磁気から電気に変換し、音声などのアナログ電気信号にする。これをアンプなどで大きくし、さらにイコライザーなどを通して高音や低音の不足などを補い、音を整える。今も残っている「カセットテープ」は、その磁気テープを取り扱いが簡単になるように小さなケースに収めたものだ。良く言われる「ウォークマン」が、これらの機能を1つに小さくまとめたものだ。この「テープを動かす」というメカニズムに「職人芸」が必要だ。微妙なテープの動きの「揺れ」をいかに吸収してなめらかにテープを流すか?ということが、テープレコーダーでは特に重要な「技術」だった。そうでないと微妙な音が揺れて、音が「濁る」ことになるからだ。

【デジタル化でテープレコーダーはなくなった】
今はデジタル化したので、マイクから入ってくる音声信号はすぐにA/Dコンバーター(Analog to Digital converter)でデジタル信号にし、それをコンピューターに入れてしまう。そこからはデジタル。今はソフトウエアの世界だ。コンピューターのメモリに音データを入れるのも画像データを入れるのも同じことだ。そして、メモリーが不揮発性なら、コンピューター自身の電源を切っても記録は残る。「フラッシュメモリ」がそれだ。そして、記録されたデジタルデータを「再生」するときに「コンピュータが流し出すデジタルデータの流れ」を「D/Aコンバーター」で強弱の電気信号に変える。そして、アンプ(電気のエネルギー増幅器)を通して、スピーカーなどを鳴らす。この間に「職人芸」は必要ない。デジタルデータのときに高音を強くしようとか、低音を強調しようとか、様々な効果を加えることもできる。再生スピードを倍にしたり遅くしたり。音楽であれば、その速度とは関係無く、音のピッチをもとのままにする、ということもできる。こんな仕組みだから、現代のデジタル・レコーダーは音の揺れなどは全く気にする必要がなくなった。

【電子技術のデジタル化がもたらしたもの】
結局、ちょっとしたトリッキーなことをする電子技術はほとんどデジタル技術になってしまった。電子技術がデジタル技術になると「職人芸」が必要な場面が減る。そのため、開発途上国でも電子製品を作ることが容易かつ安価にできる。高い給与の職人が必要ないから、普通の工員さんに作業を指示をすると品質が一定以上の製品が必ずできる。世界経済的には低い場所にしかいられなかった新興国がこの10年ほどで「経済成長」してきた原因の大きな1つとして「電子技術のデジタル化」というのがあるだろう、と私は思っている。相対的に、日本はその豊かな経済力で培ってきた「職人」が必要なくなった。かつては日本に向けられた「世界の工場」という呼び名は、今や日本のものではなくなったのは「電子技術のデジタル化」にも大きな原因があるだろう、と、私は思っている。とは言うものの「アナログの時代には戻れない」のは言うまでもない。これは後戻りできない必然的な流れである、と私も思う。

別の言い方をすると「デジタル技術」が日本のモノ作りの技術の衰退を招いた、ということになる。

【デジタルの時代に必要なのは】
技術という側面から見ると、こういう「デジタルの時代」には、実現できそうなものはなんとかなる、ということになる。複雑な問題の解決もAIなどの仕組みが人間がやるような「こたえ」を出してくれる。このような時代に大切なのは「(今、目の前にあるものや知られているものを)どう作るか?」というノウハウではない。「(まだ見たことがないけどこれが必要なんじゃないの?という)なにを作ったらいいか?を考えること」だ。日本の技術は前者には長けていたが、後者はなかった。そういう人材を育てることも考えていなかった。時代が変わったら、環境が変わる。その環境にあわせて人間は生きていかないと生きる場を失う。


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