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「ふと猫さんが通る」二話。

 大和撫子七変化。
 お馬がとおるしゃんしゃんしゃん。

「だる」
「れしか言わんなお前」
「しゃあねぇだろ。だるいもんはだるんいんじゃ」
「なんかあったんけ?」
「なんも。べつに」
「ねぇならいちいちぐちぐちいいなさなんや」
「ぷふぁー! ないとは言ったが。ある」
「ならいうてみ」
「れがさ。うちん嫁がいうんよ。はよかえはよかえれってな。うるさくてかなわんの」
「ええことじゃないの」
「よかぁなぁい。そんせいでおみゃぁと呑めんくなったら俺は悲しか」
「んなの知るかぼけ」
「かなし。もっと憐れみを持てよ」
「ふぅ。俺にはカミさんもおらん。独り身だ。アンタと違ってな。だからわからんのよ。その溜息の意味がな」
「そりゃあさ。んー。一人である事は寂しいことかもしれんよ。けども、今こうやって俺とお前で呑んでるこの時間がたのしんじゃなかろうか。いとこいし。それを奪われるんじゃ。悲しかろうて」
「けどな、俺とお前は赤の他人じゃないかえ。酒啜って明日になったら忘れる寂しい存在ぞ」
「それがええんやろ。このちっせー店の端に二人で座ってくだらんことをのんだくれて話して次の日にはなぁに喋ったんだかわすれる。それでええんよ」
「俺は……。べつにお前じゃなくてもよいからなぁ」
「なぁーにおいっとる!」
「屁をこいても独り。明日横に座る奴とまた違った話をするまでさ」
「いやな。そこよ。そこがじゅうようなんよ。偶々この時間この時に飲み屋横丁の角で出会った奇遇が運の尽きで楽しんどるわけでしょう。きょうはあれだ。あすはこれだってな。それを奪われちゃ生きてけんよ」
「おれはわからんなその気持ち。お前の代わりにびっくらこくほどの美女でも座ってくれるのをねがっとるからなぁ」
「んなことねぇわ」
「ねぇんだよな。これが。上手いことに」
「ねぇから俺がここにいる。ねぇからお前に話しとる。な。因果よ」
「肩を叩くな。酒が侘しくなる」
「焼き鳥の煤にまみれてとっくに侘しいわ」
「はぁ。俺まで溜息がでてきたわ」
「んなもんや。カミさんも言うとった。人の溜息はつまみになるってな」
「ざけんなや」
「ふへへ。たのしいやろ」
「んなもんかねえ」
「おやじ。も一杯」
「おやじじゃねぇですよ。お客さんより一回りも下なんですから。それと小せえ店って言わんとってください。ワシにゃでっけえでっけえ店なんですから」
「ははは。大将にも言われたぞ。お前は人のあれやこれやをつつくのがうますぎるんだ。だから女房にも愛想尽かされる」
「愛想はつかされとらん。はよ帰って来いってのは心配しとんのじゃ」
「なら帰ってやり」
「んだわ」
「しょうもないやつやのう」
「まぁた飲み過ぎてしもた。たのしいのぉ」

 ぱたぱたと団扇を扇ぎ鳥を炙る大将の向こうにまるまる太った猫が香箱座りして大欠伸する。ぷいと他へ向くと足取り重そうにざわめく横丁を気怠く歩いていく。日が沈みかけ飲み屋から漂う熱気と薫りに鼻をひくつかせながら。猫は闊歩する。
「おお、ふとねこや」
 皿に盛られた干物のほぐし身をカツン地面に置かれると鼻を近づけてがっつく。ふとねこは思った。今は何時代なのだろう?
 そんなことを思っていても皿を舐めとる頃には忘れているのだろう。

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