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拝啓 竹内 〜2007年5月1日にインドのアグラからバラナシの夜行列車に乗っていた22歳の竹内へ〜

拝啓 竹内。
突然だが、竹内に長い長い手紙を書くことにした。
13年分の思いだからいつか読んでほしい、竹内。

竹内との出会いは今から13年前の2007年4月30日から5月1日に日付が変わったくらいの深夜。
インドのアグラからバラナシに向かう夜行列車が3〜4時間遅れていて、お互いに待ちくたびれていた時に、
アグラカント駅のホームで出会ったと思う。
インドをしばらく放浪していた私の元に、
妹がGWに休みを取って日本から合流しタージマハルを見た日の夜だからそれは確かだ。
心細そうな青年が近寄って来たのが竹内だった。
多分予想だが、同じ日にアグラ駅にいたから
竹内も私たちと同じ日にタージを見たはずだ。
竹内。
君は、初めてのインドで、着いた早々に悪いインド人に騙されて10万円くらいのツアーを組まされていた。
君自身は騙されたと気付いていなかったようだが。
君の持っていたバラナシ行きの列車のチケットは、
ウェイティングリストが3桁の大はずれのチケットだった。
インドの列車のチケットは「ウェイティングリスト」という
キャンセル待ちのシステムがあることを知らなかった竹内に教えてあげると顔を青ざめていたね。
100人以上がキャンセルしないと君のチケットでは乗れないんだよ。
私と妹は20番台で、その頃はウェイティングリスト20番台なら、20〜30人は毎回キャンセルが出るから乗れる、という定説があり、これまでも20番台で無事乗れていたから、
私はわりと余裕ではあった。
しかし、結局やって来た電車に、当時、合格発表のように貼り出された紙には、ギリギリ私たちの番号が入っていなかった。100番台の竹内なんてお話にならないくらい、席はなかったよ。
まあつまり、3人とも乗る予定の夜行列車に寝床が用意されなかった訳だ。

私は妹に、
「乗ってしまえばあとは何とかなるから」と焦りを隠して見栄を張り、昼間に43℃の炎天下でタージマハルを見て疲れ切っていた、私よりも体力のない妹を安心させた。
竹内。
君は列車が発車する直前に再びやって来て
「姉さん、どうするんすか?」と私に聞いたね。
「私たちは乗ってから考える」と言うと、
100番台の君も
「姉さんについて行きます!」
と勝手に言ってついてきたよね。
だからついうっかり長女の私は、
「なら、ついておいで!」と言ってしまい、
一緒に列車に乗り込んだ。
これが間違いの始まりだった。
ついてこいって言うなんて、
私は無責任だったかも知れないな、竹内。
だけど、
真夜中の駅にたった1人竹内を置いていくのは
どうしても出来なかったから仕方なかったんだよ。

列車に乗りこんだ後に
「姉さん、次どうするんすか?」って聞かれたが、
知らんがな、竹内。
私だってノープランだ。
ただ疲れ切っている妹を早く休ませてやりたかったから、
扉近くのスペースにとりあえず座らせた。
それからTC(という車掌さんのような列車に乗って座席を管理している主)を見つけて交渉しようと思っていた。
竹内は不安からか騙されて組んだツアーの詳細をペラペラと喋ってくれたね。
あのね、
この列車のチケットは3000円くらいなんやで。
私は自分で数日前に駅に並んで買ったから知っている。
夜行列車往復とおそらくバックパッカーが泊まるような安めのホテル2泊で10万円のツアーなんてのはありえないんやで。
地球の歩き方の始めの方のページに書いてあったやろ、
その通りの詐欺の体験談。
「騙されたとは思えないんすよ」と言っていたけどな竹内、それは詐欺なんや残念ながら。

私が妹を置いて、トイレに行こうと思い、
ついでに空いている寝台はないか車両の見回りにも行こうと立ち上がったら、
「どこ行くんすか?!姉さん!」
と慌てる竹内に、
「トイレやがな!」
と声を荒げたのは私が悪かった。
「置いていかないでくださいよ!」
と私に頼りっきりの情けない竹内だったけど、
ついて来いと言ってしまった私が悪かったのかも知れないね。

竹内がトイレに行っている間、TCが通りがかり、女2人が通路にぐったり座り込んでいるのを見てTCは
「席がないのか?」と聞いてきた。
私はウェイティングリストが20番台でギリギリ座席が割り当てられなかったこと、
だけど乗ってしまったこと、
妹が体調が悪いから早く横にならせてやりたい(あくまでそういう設定で大袈裟に言って情に訴えるために利用した)と、必死に伝えた。
分かった、
と言ってTCは一旦は去っていったが私には勝算があった。
この国の紳士は、きっと外国人女性を夜中から朝まで9時間も通路に座らせておくような無情なことはしないはずだと。
それに、9時間の間、乗り降りが頻繁にあるから、今は満席でも数時間どこかで横になれる場所くらいは手配してもらえると確信していた。

確信通りしばらくしてTCが私たち2人に
「Follow me」と言ってくれた。
そうしたら、なぜか竹内は私の妹を差し置いて私の後ろにピタッとくっついたよな。
なんでやねん竹内。
妹の荷物を持つくらいのことをしてくれたら私だってこんなこと言わないぞ、竹内。
誰も使っていない2段ベッドまで連れてきてくれたTCのおじさんは確実に私たち姉妹に、
「ここを使っていいよ」と言った。
竹内だってそのことは気付いていただろう?
なのに、なんで竹内が、誰よりも先に上の段のベッドに上ろうとしたんや?
なんで靴を脱いではしごに足をかけた?
なあ、竹内。
私は、下の段のベッドを、妹に「横になりぃ」と譲ったが、お前に上を譲った覚えはないよ。
それから、最初から黙って聞き流してきたが、「姉さん、姉さん」って、お前の姉になった覚えもないよ。
私を姉と呼んでいいのは、
ここにいる疲れて若干竹内にイラついているかわいい妹と、
大阪で仕事もせずに呑気にスロットを打っているかわいい弟の2人だけだ。

私がじろっと見たら、
「姐さん、上、イイっすか?」って言ったよな竹内。
姉じゃなく姐と捉えることにしたから「姐さん」については聞き流すが。
今の私なら確実に「あかんわ」と即答しただろうが、13年前の私はつい「どうぞ」と言うしかなかった。
でもこれだけは言っておくぞ、竹内。
私がどうぞと言う前にお前が先に許可なく上ろうとしたんや。
上りかけている人を引きずり下ろす訳にもいかなかったからな。
ついて来いって言ったのは私やしな。

あのな、女性2人がいるんだから、女性に譲れって。
とか、そういうくだらない論理を述べる気は私には1ミリもないんやで竹内。
そこは間違えんといてな、竹内。
大きなバックパックを担いでいる時点で男も女もない。
それに厳密に言うと「譲れ」は違うしな。
あれは私らのベッドや。
私が自分の力で交渉し、手に入れた寝台2人分やで。
それに竹内は100番台やろ。
順番を守れ。と言いたい。
旅猿でのベッドの取り合いやないんやからな。
旅猿で言うなら東野は私や。岡村は妹。
新入りゲストの君が辞退しろ。

そんな訳で、
竹内よりも背の高い体の大きな私と
疲れ切った小さな妹が、下の段の一つの狭いベッドを2人で使うことになったんやから、ありがとうございます、の一言は欲しかったぞ竹内。
なぜそれが出ない。
「助かったー!」と言っていたがそれは感謝ではないからな。
覚えておけよ、感謝の言葉は「ありがとう」だ。

余談だが、
その後帰国してから色んな人に竹内の話をして、
「自分が竹内ならどうする?」という話でよく盛り上がった。
その人の人間性を知るための質問「とっさの時あなたならどうする?」の竹内オリジナルバージョンだ。
みんなの答えは100%「上のベッドは姐さんに明け渡す」という答えだったぞ竹内。
私の周りが偉いのか、竹内が正解なのか、どう思う?
竹内の心構え次第では、私だってそこから一緒にもう1つベッドを用意してもらえないか交渉するなり、時間制で私と交代するなり、見捨てずに何とかしたはずだ。
とは言え、竹内は竹内だ、他のみんなとは違うから仕方ないけどな竹内。

私は妹に気を使いながら足だけを伸ばさせてもらっていたら、
上の段からひょっこり顔を下に出して、
逆さ向きの顔で
「あオレ、竹内って言います!」
と突然自己紹介してきたよな。
あのタイミングは今振り返っても謎やで、竹内。
私と妹が渋々自分の名を名乗ると、上からひょっこり出していた首を引っ込めたね。
「いや、竹内、それだけかい!」って私たちは戸惑った。
疲れ切った私たちは、それでもやはり姉妹でどうしてもわかち合いたいことがあり、竹内に気づかれないように筆談を始めたよ。
「突然の竹内!」
「何あれ竹内?」「は?」
「わらける」「竹内で終わり?」
「竹内宣言」
2人で交互に思いを書き殴り声を殺して笑った。
竹内のおかげで妹に笑顔が戻ったからそれは感謝している、ありがとう竹内。

しばらくして妹がチラッと上を盗み見て、
「お姉ちゃん、竹内見て!」と今度は筆談じゃなく慌てて口パクとジェスチャーで伝えて来たので、
そっと立って上のベッドをのぞき見たら、
竹内は、
まだカレーのしみが一滴も付いていないだろう真っ白なポロシャツに着替えて、
コンタクトレンズを外し、
それをオプティーフリーで繊細に丁寧に扱っていたよな。
めちゃくちゃリラックスして寝る態勢に入ってたよな竹内。
私たち裸眼族には、コンタクトを丁寧に扱っている竹内の姿からは余裕しか感じられなかったぞ、竹内。

それから、私たち姉妹は、
オプティーフリーでコンタクトを浸す行為を
「竹内入ってる」と言い、
他人のことをお構いなしにマイペースに寝る態勢を整える人のことを
「竹内かます」と呼んで、
更には人に頼りきってるくせに余裕かましちゃう男を
「竹内」と呼んで、
13年間過ごしてきた。
旅する度に、あちこちでいろんな「竹内」に出会い、
竹内かまされ、私も時々「竹内かます」時もあった。
そんな13年だったよ。

竹内は、
竹内いわく「どうしてもうちで働いてくれって求められたんすよね」という一流の会社に新卒で就職したばかりでGWに1週間の休みを取ってインドにやって来る強者で、
現地で詐欺師に10万円払えちゃう馬鹿者だ。
妹は「竹内の会社のあれ、ほんまか?」「どう見ても仕事できひんやろ」と疑っていたが、
妹には、自分が誰かに求められていると思って生きられるのは幸せなことなんだと教えたよ。
ただ、
「インドに来る旅人って、インドに呼ばれるって言いますよね」というありふれた言い古された説を、したり顔で語っていた竹内。
改めて聞くが、
ほんまにお前はインドに呼ばれたんか?呼ばれたとしたらそれは、インドの詐欺師に手招きされていたんやな、竹内は。
インドからしたら、10万円のお布施、ありがとうございました、やで。
そしてそのしわ寄せが私にきているんだから、私はインドに呼ばれたのか竹内に呼ばれたのか分からなくなるよ。

私は、しつこいようだがベッドの端で足だけ伸ばして9時間ほとんど眠れない夜を過ごし、
妹がなんとか眠れていたのを見て安堵し、
竹内の寝相がいいこととイビキをかかないことにも安堵した。
バラナシに着いて妹のために前もって迎えのドライバーを手配していたから、竹内とはホームで別れたが、竹内の迎えはちゃんと来ていたのかあれから気になっている。

このチケットは詐欺だと怒れたか?竹内。
その後笑って旅したのか?
無事に日本に帰れたのか?竹内。
13年間、気になっている。

私がアグラのホームで「ついておいで!」って言ったからには自分の言葉に責任を持たねばと思って、寝床を横取りした竹内のことを自分なりに納得させていた。
私が自分の意志で譲ったのだと思うようにした。
それから私も色んなことがあって、
旅では、はっきりNOと言えるようになってきている。
「そこは私のベッドやから君は君自身でどうにかしいや」
って今なら間違いなく言える。
それが正しいことだ。
だけど、私はさ、
竹内にベッドを譲ったことを正しかったとは思っていないが、間違ったことをしたとも思っていないし、後悔はしていない。
まだ22歳くらいで初めてのインド、
多分初めての1人旅だったやろ、竹内。
不安やったんやろ竹内。
今思えば、私は1晩眠れなかったくらいどうってことない。だからいいよ、竹内。
竹内の旅が最悪なものにならなかったならまあいいやと思えるくらいの広い心に私はなれた。
それは竹内のお陰もあるかもしれないな。
ありがとうな竹内。

しつこい関西人の私たちは、
13年間、合計すれば、竹内がベッドを使った9時間以上の時間になると思うが、事あるごとに竹内の話題を出して楽しませてもらった。
竹内の元は取れたと思う。
旅で夜行列車に乗る度に
「竹内思い出すわー」と言い、
旅先で綺麗なポロシャツを着ている行儀のいい格好の男の子を見たら
「竹内みたい」と言ったり。
服屋でそういう服を見かけたら
「竹内が着てそう」と言い、
「竹内入ってる」と言ったり、
竹内かましてみたり。
まあ飽きもせず13年間。
我ながら、竹内1本のネタをよくここまで引っ張ったと感心しているよ。
竹内はおいしい。

ある時、
それこそ関西人らしくナイトスクープに頼んで竹内を探してもらおうか、と姉妹で盛り上がったこともあった。
しかし、竹内のために、TVで顔を晒す勇気がなかったから探せなかった。
それによく考えてみたら、
竹内の方がナイトスクープにハガキを書いて
「インドで出会って世話になったあの美人姉妹に、あの時のお礼を言いたい」って依頼するべきじゃないんか?
なあ竹内。
局長が変わっても私たちはずっと待っていたよ、
探偵は石田靖あたりがいいなとか言いながら。
でももういいよ、竹内。
もう40歳を越えて何年か経つからそういう依頼でTVに映るのは恥ずかしいよ。
もう遠慮してくれな、竹内。

今、こうして竹内に手紙を書いているけど、
怒ってる訳じゃない。
恨み言を言いたい訳じゃない。
感謝しろよと言いたい訳でもない、
まあちょっとはあるけど。
何が目的か。何だろうな。
ただ、私の中で、
インドの旅の1ページで、
たった9時間私の頭上で眠った竹内が
色濃く残っている、何故だか分からないが。

だからせめて、突然だが、
竹内の下の名前を知りたい。
それとまあ補足情報として、
竹内が今何をしているかも少し知りたいと思っている。
竹内をこれからはフルネームで、
私たち姉妹の生涯に色濃く残る人物として語り継ぎたい。
ただの興味本位だ。

そして、インドの話をしよう。
私たち姉妹のことを覚えているか?
覚えてるとしたら、どんな記憶として残ってる?
ここで誤解のないよう、
はっきりと一度だけ伝えておこう。
私たち姉妹は、竹内入って竹内かます竹内が好きだ。

竹内、その後のインド旅はどうだった?
インドを好きになったか?
もう懲り懲りか?
私はあの後6回インドに出入りするくらい好きな国だよ。
これがインドに呼ばれてるってことなのか?
その後、竹内はどんな風に生きているの?
大人になったか?
誰かに騙されていないか?
誰かを助けたりしたか?
私は旅で、ある人に助けられた時に、
「お礼はいいよ、今度はあなたが違う誰かを助ければいいよ」と言ってくれた人がいて、
今は、そういう風に心がけているよ。
竹内は旅で何を学んだ?
竹内のことだから今でも「竹内かます」かも知れないけど
「自分があの時の竹内ならどうする?」っていう話を今の竹内としてみたい。
これだけ書かれて名乗り出る勇気はないか?竹内。
反論はないか?竹内。
なあ、竹内。
下の名前を教えてよ。
返事をください、竹内。

13年間、竹内を見つける方法を考えてきたが、
なかなかいい機会がなかった。
どうにかしてこの私の思い出と今の気持ちを綴った手紙が、あの竹内に届かないだろうかという祈りを込めてここに放つ。

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竹内と私たち姉妹が同じ日に見たタージマハル。
私は、シンメトリーな良さが何も感じられない斜めから見たタージマハルが割と好きだったりするよ竹内。
竹内はどう?

2020年5月1日 竹内の姐より。


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キナリ杯、特別リスペクト賞「アマヤドリ賞」を受賞しました!読んでいただいた方々、ありがとうございました!
竹内にインド料理を奢りたいので、
ぜひ、皆さんの周りにいる竹内に、
この竹内かどうか聞いていただけると幸いです。


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