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なんとなく、noteに表明しておく、ホームレスの件

私はインドのスラム街に見学に行ったことがある。
ムンバイのダラヴィスラムと言って、インド最大のスラムと呼ばれていて、100万人が住んでいると言われている場所。
なぜ私がそこへ行ったかと言うと、インド映画の「ガリーボーイ」(スラムからラップのスターが生まれたストーリー)を見て、純粋に行ってみたいと興味を持ったこと。また、ガリーボーイの舞台のスラムが、「スラムドッグミリオネア」のスラムでもあると知り、ムンバイに行った機会に昨年、現地のツアーに参加した。
スラムの見学は、ただの私の興味本位であり、そこに社会的な意義や人権の意識などはほとんどなかった。
その場で「考えさせられるわー」「刺激をもらったわ」などの感想で締めくくって見学したことを報告することに抵抗を感じたので結局ブログにはまだ書いていない、いつか書きたいけど。

こないだお笑い番組のゴッドタンで、「先輩芸人のライブを見に行って『刺激を受けました』『勉強になりました』と言う若手芸人は全く刺激を受けてないし全然面白くない説」というのをやっていて、私が日頃思っていることを言葉にしてくれてスッキリした。何かがあるとすぐに「刺激を受けた」「考えさせられる」と言う人で本当に深く考えている人はいないし、すぐに忘れられていくことがほとんど。
考え続けることは大変だし答えが出ないことも多いし、言葉にうまくできないと言ってそこで考えるのをやめた方が簡単だ。
1年前のスラムの見学のことを書こうと今も思っているけどうまく書けないのは、その時に英語で説明を受けたということもあって脳がついていかなかったせいもあるが、あのムンバイの暑さとスラムのそれこそ刺激のせいもあって、その当時もうまく言葉にできなかったし、言葉にしようと思うと今でもまだ考え過ぎて指が止まってしまう。私の文章力の足りなさもあるけど。
私が今感じているのは、貧困や自分の知らない社会問題に対して、興味本位で知ろうとすることは悪くないと思っている。何事も興味から始まってもいいと思うから。
それに貧困や病気は誰にでも起こりうるから。
貧困や病気について向き合う時は、自分にだって起こりうる、自分と全く別世界のことと捉えないようにしようと心がけている。
知らないことは面白いし、私も、ダラヴィスラムで、職業別に工場がかなり地区ごとにきっちりと別れた上で更に細かく分業されていることを面白いなと思ったし、狭い場所で暮らす知恵みたいなのも面白いと思ったのは事実。
回収されたプラスチックを色分けする工場の隣に、洗う工場、刻む工事などが連なっているのを見て、狭い土地を効率的に使っているなと感じた。しかもプラスチックを完璧にリサイクルさせているシステムが成り立っていたのも凄かった。
見せ物じゃない、という意見もあるだろうが、見てもらうことで誤ったイメージを正したり、スラムの子供の教育にツアーの費用を回したりしている面もあるから、見せてもらう側がちゃんとモラルを持とう、見下すなどの階級意識は持たぬように、とは思っていたし、知ろうとすることはきっと間違いじゃないとも思っていたし、今も思っている。

今回炎上しているホームレスの件で今日つい勢いで呟いてしまったのだが、勢いではなく自分の考えを整理して書き直しているのが今のこれだけど、あまりまとまってはいない。
でももう少し書く。

とてもポップな感じでホームレスをおじさんと呼び、生態観察し、異文化だのホームレスの生活の工夫が凄いだのをnoteに書いた人に対しては、人それぞれ感じ方があるし自由に書けるのがnoteの良さだから、文章に関して、徹底的に批判するということは私はしない。ただ私ならそういう書き方はしないな、と思う部分がたくさんあるし、貧困を異文化と捉えることはとても危険だなとは思う。まあここでは深く言及しないでおく。
何となく、自分がスラムを見学したことと重ねて色々考えてしまったのだが、興味本位で知ろうとすること自体は悪いとは思わないのに、そこを強く批判している人たちも多く、色んな方向から炎上している。

私はこれまでの自分の仕事で、ホームレスに関わることもあったし、貧困問題に関して無関心ではいられない仕事をしていたりする。そんな私でも、スラム見学で刺激を受けた経験を何かに生かしたか?と誰かに問われても、スラムで聞いたインドの施策で面白い取り組みをある時に思い出して、何かここでも使えないか考えたことが一度あったような、まあその程度だし、それが現実だ。
何でもかんでも自分の経験を何かに生かせよ、って言う人たちは好きじゃないし、そんなに意識高く毎日生きておられるのですか?みなさんは、と問いたい。
ホームレスを観察するだけじゃなくて支援をしろ、と言いたい人たちが多いようだが(作者も支援をしてはいるようだ)、見て伝える人と支援する人は必ずしも同じ人じゃなくていいと思うし、そこはnoteを書いた人に言わなくてもいいのでは?と思ったりもする。
noteを読んで何か支援のシステムを作る人が出てくるかもしれないし、ホームレスを観察したからって必ず何かの支援をしろよとまでは思わない。それを突き詰めていくと、知ろうとすることがとても面倒になって知ることをやめてしまう人が増え、ますますホームレス支援から遠のく。

それよりも何よりも、cakesのコンテストで入賞したこと、そして連載していることが、私は疑問に感じてしまった。
日本におけるホームレスや貧困の問題を、異文化と捉えて明るく書いた文章を編集の人は何も感じなかったのだろうか。
どこかのタイツの会社のように、女性を性的客体化したり性暴力を想起させるイラストを商品に起用する企業は、いつも炎上したら取り止めたり撤回したり「もしも不快に感じたんなら謝る、ごめんよ」と謝罪して終わっているけど、自分の仕事に責任を持っていないのか疑問に感じる。
そして問題に何も向き合っていない企業姿勢に不信感でいっぱいだ。ジェンダーやフェミニズム、人権についての研修会をやって一人一人の社員の意識を改める機会をもうけた企業はどれくらいあるのか知りたい。私が直接聞いて回りたい。おそらくないだろうけど。
私は以前の職場で、上司にセクハラ問題があったらしいと聞いた時、社内でセクハラについての研修会をもうけるべきだと提案したし(まあそういう研修会に出る人はセクハラなんかしないのだが)そのセクハラ上司に「お前は絶対研修会に出ろよ」ということをちゃんと敬語に変換して直接言った。
今の職場においては、誰かがミスをした時は「それをチャンスにしよう」と言って社内で勉強会をする今の部署の部下達を尊敬している。
問題が起こったこと自体よりもその問題にどう対応するかが大切だと思っているのに、炎上企業はどうしてるのだろうか。私が直接聞いて回りたいくらいだ。
研修会とかそんな暇ない、って言う人がいるなら、人権を疎かにしてまで優先する仕事って何?と私がわざわざその会社に行って聞いて回りたい。
とにかく、炎上している企業に聞いて回るから、そういう仕事を私に回して欲しいくらいだ。なんなら炎上した企業のその後を観察してcakesで連載させてほしいくらいだ。

大体の炎上案件は、「そこまで考えてなかった」というのが多分正直なところだろうし、「今の時代はこんなことで炎上するんやなぁ」「表現の自由…」などと話されているかもしれないけど、文章を扱う仕事をしているなら文章が与える影響力を考えるのが仕事だし、商品にする仕事ならそれが世に出ることを考えるのが仕事だと思うんだけど、それでもそこまで考えてなかった、って言うのだろうか。
私は、自分の会社が倫理に反することや差別を助長するようなことをしていたら必ず反対する。そんな会社に属していると思うと恥ずかしいし、自分が差別の片棒を担ぐなんて考えただけでゲロを吐いてしまいそうだ。
自分の属する組織や集団の中に、そういう差別的な発言を口にする人がいた時、これまでも必ず「それはおかしい」と言ってきたし、理解してもらえないことも多かったが、それでも声をあげずにいることが恥ずかしくてたまらないから言う。分かってもらえることが理想だけど、分かってもらえないことも多く残念だけど、それでも口にしないよりはいいので言う。そうしてきた。
もちろん私の中にも差別はある。差別意識のない人などいない。それに気づかずに無自覚でいて、何かの拍子に、それは差別だよと教えてもらって気づいた時、考えて振り返って発見して改める。そうするようにしている。

私はnoteの会社であるcakesに属しているわけじゃないけど、noteをただ気楽に毎日利用しているだけの一人だけど、自分に少しでも関係がある人やモノで、おかしいなと思うものがあるとやはり気持ちが悪い。ダサい。格好悪い。
今回は、毎日使っているnoteの会社がどう考えてもおかしいなと私は思うので、ここに書いて表明しておくことにした。

「自分たちは路上生活をしようとは思わない」とした上で高い場所から、ホームレスの生活に「ユートピア性」を感じたり、ホームレスの状態の人に「生き物としての強さを感じる」と表現している文章に、賞を与え、連載としていくつもの、差別を感じさせる表現のまま掲載するcakesの感覚が私には分からない。こういう部分に違和感を感じるセンスのない人、想像力のない人は文章を扱う仕事をすべきではないと思う。

以上、あくまで私の考え。(まあ、自分の考えを自由に書いていいのがnoteだと思っているが。)
久しぶりにモヤモヤしたことを書いたらやっぱり長くなった。明日はキャンプのことを書こう。

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インド、ムンバイのとある通りの壁画。



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