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語学と言語学は別のものってどういう意味?

言語学に興味があったり勉強したりしている人の多くは、語学も好きだったりします。

あるいは、語学を勉強している人のなかには、言語学に興味があったり勉強したりしている人もいるでしょう。

そんな切っても切れない語学と言語学ですが、一方で、「語学と言語学は別のもの」ということもよく言われます。

この説、どういう意味なんでしょうか?

今回は、語学や言語学に興味がある方むけに、この「語学と言語学は別のもの」という説について考えてみたいと思います。

語学って何?

語学と言語学の関係について考える前に、語学というのはそもそもなんでしょうか?

ここでは、ある言語についてその文法や語彙を学習し運用能力を得ようとする営みというふうにでも考えておきましょう。

たとえば、英語を勉強したり、スペイン語を勉強したり、韓国語を勉強したり、というふうにです。

語学を勉強する理由や目的はさまざまですね。中学校や高校で英語を勉強したり、大学で第2外国語としてスペイン語を勉強したり、仕事で中国語を勉強する必要があったり、趣味で韓国語を勉強したりするなどさまざまな場合があると思います。

目指す運用能力もいろいろなレベルがあるでしょう。挨拶程度や簡単な読み書きでよいというレベルから、実用的なレベルまで、言語と目的とに応じていろいろあるでしょう。

言語学って何?

一方で、言語学とはどういうものでしょうか。

言語学は言語を科学的に研究する学問分野です。たとえば、アメリカ言語学会のウェブサイトにはこう書いてあります。

Linguistics is the science of language, and linguists are scientists who apply the scientific method to questions about the nature and function of language. (言語学は言語の科学であり、言語学者は言語の性質と機能に関する問いに科学的方法を適用する科学者である。)

Linguistic Society of America (https://www.linguisticsociety.org/resource/science-linguistics)

したがって、言語学は、たとえば、ある言語がどのような文法規則をもっているかだとか、ある文法要素がどのように使用されているかというような具体的な問題から、人間言語が一般的にどういう性質を持っているか、どのように変化するか、どういうふうに習得されるかなどといった一般的な問題にまで取り組んでいます。

たとえば、英語学とかスペイン語学とか韓国語学とか、そういう個別言語に特殊な言語学の分野もあれば、生成文法とか、認知言語学とか、コーパス言語学とか、特に言語の種類に関係なく研究されている分野もあります。

「語学と言語学は別のもの」説が唱えられる理由

このような語学と言語学ですが、よく両者は混同されます。

「言語学って語学のようなものではないの?」とか「言語学って専門的に語学を勉強するものなのでは?」と思っている人は多いようです。

学部1年生の入門講義や大学のオープンキャンパスや進学相談会などでもよくそのような質問がでてきます。

実はこれは日本だけの話ではありません。

世界的によくある「言語学者あるある」の一つに、「言語学を勉強している」と友だちや親戚にいうと「いくつの言語を話せるの?」と聞かれる、というものがあります。

世界中で言語学者は How many languages do you speak? という質問に悩まされています。実際、私もいろいろな国でよく聞かれてきました。

このような事情から、言語学者がよく言うセリフに「語学と言語学は別のものである」というものがあります。

逆にいうと、「語学と言語学は別のもの」ということを強調せざるをえないくらいに、両者は混同されることが多いのです。

このように考えられる背景には大きく二つの理由があると思います。

まず、言語学がそもそもどういう学問かあまり知られていないという事情があります。

同じ人文学でも文学や歴史学などとちがって、言語学は高校までの授業で触れることがない学問です。

このため、大学で言語学の授業を受けたことがなく、言語学が何をしているか知らない多くの人にとっては、言語学と聞いて一番に思いつくのは高校の英語の授業、つまり語学です

こういうわけで、言語学は語学となんとなく結びつけられてしまいがちです。

次に、言語学を専攻する人には語学が好きな人がやはり多いということがあります。

これは単純明快な理由で、語学が好きな人は言語に興味を持ちやすいので、大学で専攻を決めるときに言語学を選ぶ傾向にあるということです。

実際、東京大学文学部の言語学研究室に進学する学生には語学が好きな人が多いです (嫌いな人もそれなりにいます)。東京外国語大学で言語学を専攻する学生もそうでした。他の大学でもだいたい同じ傾向にあるでしょう。

海外でもこれは同じで、たとえば、心理言語学・神経言語学の分野で世界的に著名なアメリカ合衆国マサチューセッツ工科大学の Ev Fedorenko 先生は子どものころから語学が好きでさまざまな言語を勉強していたとインタビューでおっしゃっていました。

私がよくお世話になっているフィリピン大学ディリマン校でも事情は同じで、語学が好きという理由で言語学を専攻しようとする学生は多いようです。

語学が好きな人がそのまま言語学を専攻するというのは世界的によくあることなのです (だからこそのHow many languages do you speak? なんですね)。

こういう状況があれば、たしかに語学と言語学を同じようなものだと考える人がいてもおかしくないでしょう。

語学と言語学は目指しているものが違う

このように語学と言語学はよく混同されます。

しかし、言語学者は両者は異なるものだと言います。そして、言語学者は「語学と言語学は別のもの」説を強調します。

どういうことなんでしょうか?

ここでは二つのポイントを考えたいと思います。

第一に、語学と言語学は目的が異なります。端的には言語学は語学の習得を目指しているわけではありません。

既に上で紹介したように、語学はある言語の運用能力の習得を目指すものであり、言語学は言語を科学的に研究する学問です。

したがって、語学と言語学は、同じく言語に関係していますが、目指しているところは全く異なります

少し大雑把なたとえをすると、言語という道具の使い方を学習するのが語学で、その道具の仕組みを理解しようとするのが言語学です。

ある道具が使えるようになることと、その仕組みを分析できるようになるというのは別のことです。たとえば、エレベーターを使うことができることと、エレベーターの仕組みを説明することができるというのは全く別のことです。それと同様に、語学と言語学は異なります。

言語に関係していても、語学と言語学では目指すところが違うのです。

語学ができたらからといって言語学ができるようになるとは限らない (1)

語学と言語学が別のものである第二のポイントは、語学ができても言語学ができるようになるとは限らないということがあります。

「語学 = 言語学」なら、語学ができれば言語学もできるようになるはずですが、必ずしもそうとはいえません。

これには二つの理由があります。

一つ目は、言語学という学問分野で必要とされるのは言語を分析する能力であり、それは言語の運用能力とは別の能力ということがあります。

学問としての言語学は言語の仕組みをどれだけ科学的に明らかにしたかという点で評価されます。言語学者の能力をその人が話す言語の数で評価することはできません。

たとえば、10言語の運用能力を持つ言語学者と3言語の運用能力を持つ言語学者がいたとします。どちらの言語学者の方が評価されるというと、運用能力をもつ言語の数によらず、言語学的な問いにうまく答えられた方です。

言語の仕組みを明らかにするには、語学以外の能力も必要です。

たとえば、言語学では言語分析の理論や知識、言語分析のテクニック、ツールを学ぶ必要があります。文章を書く力も決定的に大切です。最近では統計の知識も必須でしょう。

それらを勉強してやっと研究ができるようになりますが、それらは語学で身につくある言語の運用能力それ自体によって保証されるものではありません

これは言われてみれば当たり前のことです。さきほどエレベーターの話をしましたが、エレベーターを使えるというだけで、エレベーターの仕組みがわかるようにはなりません。

同じように、語学ができただけで、言語学ができるようになるわけでもないのです。他のさまざまなことを勉強する必要があります。

語学ができたらからといって言語学ができるようになるとは限らない (2)

語学ができたからといって言語学ができるようになるとも限らない二つ目の理由は、言語学の分野によっては一つの言語を深く観察・分析することが重要だからです。

そのような分野では語学の役割は限定的といえます。

実際、自分の母語以外の言語をあまり知らなくても、言語学で偉大な成果をあげている言語学者がいます。

たとえば、生成文法の創始者として有名なノーム・チョムスキー (Noam Chomsky) や変異社会言語学で有名なウィリアム・ラボフ (William Labov) などです。

この二人の言語学者は母語である英語の分析だけで、言語学の分野で歴史に残る仕事をなさっています。

この二人が本当に英語以外の言語の運用能力を持たないかというのはともかく、広くそう信じられています。言語学で優れた業績をあげるには語学ができないといけないというのは、現代においては、必ずしも成り立たないのです。

(「現代においては」という限定をつけたのは20世紀前半までの言語学では話が少し違うからです。この点はまた別に書きたいと思います。)

言語学に語学はいらない?

このように、世間一般で信じられていることとは異なり、語学と言語学は別のものです。

語学と言語学は目指すところも必要とされる能力も異なっています。同じ言語に関わっているのに、漢字も似ているのに、両者はかなり違います。

これが「語学と言語学は別のもの」ということの意味です。

こういうことをいうと、以下のようなことを思ってしまう人もいるかもしれません。

  • 言語学者は語学の勉強をしないでよい

  • 語学を勉強しても言語学の研究には役立たない

さらには、その結果、語学の勉強を疎かにしたり、好きな語学の勉強にうしろめたさを感じてしまったりする人もいるようです。

私はもちろん「語学と言語学は別のもの」ということは同意するのですが、一方で、語学と言語学を区別しようとするあまり、言語学における語学の役割を軽視するのは間違っていると思っています

むしろ言語学者は語学を勉強するべきだと思っていますし、語学は言語学に役に立つとも思っています

それはどういうことでしょうか。

というわけで、次回、「『語学と言語学は別のもの』説再考」では、言語学者は語学を勉強するべきだという話をしたいと思います。

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