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コツコツ、骨粗鬆症


今日は三ヶ月に一度の
骨粗鬆症の通院日
「かわりはない?」
「あっ、今日は半年に一度の採血だから、これが終わったら、採血室に行ってね」
「先生、薬が余っています」
「そうか、じゃあ薬は減らしておくね。次は三ヶ月後」
「はい、分かりました」


Y先生は粉砕骨折の入院時の主治医
二年前右足を小さな時計にぶつけて、左足は五十センチほどの段差で変な足のつきかたでメリメリと折れました。
一度目の手術は右足の骨折に針金を巻きつけて骨をつなげることと左足は創外固定

はい?創外固定ってなんですか?
腫れている骨折部分の腫れを引かせるために櫓のようなものを組む…と言われる
櫓ねえ、わたしには奴隷がつける鎖のように感じられた
重たいし
とっても不自由

しばらくして粉砕骨折の腫れが引いて、左足に骨をつなぐプレートが入れられる
それが二回目の手術
手術は無事に終わり
その後はリハビリ病棟に転院
毎日、毎日三回のリハビリが待っている
リハビリ病棟に入るとなかなか出られない
わたしの場合もきちんと独歩で歩けるまでは…出せないと言われる
理学療法士さんたちは毎日手を変え品を変え、患者を飽きさせないように計画を立てる

病院食は薄味で、時折ご飯も柔らかいを通りすぎおいしくない
べちゃべちゃ
食べたいものはお寿司

病院の窓からは美味しいお寿司屋さんの看板が見えるから

手術のあとはごっそりと毛が抜ける
でも少しずつ自分で出来ることが増えて行くのはうれしい

母はわたしの退院を待っている
早く出せ、早く出せと息子に急いてくる
主治医の院長には、松葉杖ならば二週間早く退院できるよと言われるが…まわりからは反対されて、結局予定通りの退院となる

でも退院してきた私を見て、母は抗がん剤を飲んでいる「わたしの方が元気」と…

わたしは外の世界に出て、自分には骨折する前の六分の一くらいの力しか出ないことに打ちひしがれる
家のまわりを歩くこともままならない

車の運転?無理無理
母のところへは当時まだ家にいた息子が送り迎えをやってくれた

少しずつ車の運転も練習して
何とか自分で母のところまで行けるようになるまでには
半年かかる

その頃には母の身体はガタガタであの世に還りかける
本当はその時に還っていてもおかしくなかった 

でもおやさまが「お母さんはまだまだ修行の最中です」といわれ
母は戻って来てくれる

わたしは粉骨骨折をするくらい、骨がすかすかで、主治医は骨粗鬆症の専門医
二度目の手術のあと直ぐに骨粗鬆症の治療を始める

最大で二年間のテリパラチドという自己注射
毎日毎日へその左右を交互に注射する
九十歳のおばあちゃんもやっていた

一年後、血液検査の結果からテリパラチドから解放されて一日一度の飲み薬に変わる

それから二ヶ月後
三回目の手術で左足のプレートと右足の針金を抜く

自分のことで精一杯
具合の悪い母のことはかまえない

本当は母のことを一番に思わないといけなかったのに

かなしいかな人間は自分のことが一番かわいい
わたしもそんな冷たいやつ

今ならば少しだけ余裕が出来たから
そんな風に反省できる
もう遅い

三回目の手術なんかしなきゃ良かった

金具なんか抜かなきゃ良かった
後悔は先に立たず

母はわたしの手術を見届けて
おやさまに自ら掴まり
あの世へと行ってしまう

わたしをおいて行かないで
という言葉がむなしく木霊するだけ

コツコツコツコツ
骨粗鬆症

何でこんな大事な時に
骨折するのかな

これも父方の遺伝なの
父もよく骨折をしていた

骨がもろかった
弱かった
屋台骨のしっかりしてない父の家系、父の先祖たち

それでも息子は言う
「お母さん、いい時に骨折したと思いなさい、これ十年後だったら寝たきりになるところだよ」

そうかもしれない
でも母にはもう少しだけでも生きていて欲しかった

これもわたしの欲よね

欲ばりなわたし

コツコツ、コツコツ、骨粗鬆症

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