TheBazaarExpress81、世界で活躍する日本人料理人と食文化

 2013年ミシュランガイドの本家フランス版において、日本人料理人はついにオーナーシェフとして初の二つ星に輝いた(フランス全土で82店。過去に雇われシェフ、スーシェフとして二つ星を獲得した日本人料理人は存在する)。市内2区に『Passage53』を開いた佐藤伸一シェフ(34歳)だ。前年に一つ星を獲得し、たった1年で二つ星に駆け上がったから「次の3つ星最右翼」と語る評論家もいるほどだ。

一つ星も、パリ市内だけでなく地方も含めて史上最多の8店が獲得した。そのほとんどが30代、40代のオーナーシェフだけに、今後ますますの躍進が期待されている。

フランス料理だけではない。「Sushi」や「wasabi」「sashimi」などは世界中どこでも通用する国際語になったし、ロンドンでは「bento」を店名に冠したチェーン店も人気だ。アメリカでも、回転寿司のチェーン店が大量出店を睨んでいる。

産業界では各所で「ガラパゴス化」が叫ばれ、10年後には7割を超える労働者が失業ないしは賃金低下する業界もあると、世界での日本の孤立化が悲観的に語られる中、日本の料理界だけははホットな話題に溢れている。

なぜこんな活躍が可能になったのか?

 その理由の一つを、辻調理師学校校長辻芳樹氏はこう分析する。

「日本の料理文化は、もともと多文化共生型です。海外からやってきた多様なる食文化を受容・変容してきました。日本人の中にはどんな食文化でも受け入れて進化させるというDNAがある。だから世界の料理を相手にできるという面もあると思います」

確かに歴史的にみると、寿司は東南アジアからやってきた保存食だった。それが熟鮨というような形式で日本に留まり、江戸時代に現在のようなスタイルのファーストフードになって定着した。中華料理然り。終戦後の引き上げ者によってもたらされた現地料理は、すっかり日本食として国内に定着。その味が海外進出したラーメンは、ニューヨークでは中華料理とは別な「リアルラーメン」と呼ばれて大人気だ。

約1000年にわたり、他の産業がグローバル化の課題に突き当たるはるか以前から研ぎ澄まされてきたこの多様性が、今日花開いたという見方はありえるだろう。

・美食の国、美の国ジャパン

 その多様性を成立させた、この星における日本列島の地理的優位性も見逃せない。

 ファーイーストと言われ、世界の片隅に位置しているように見えるが、約6800の島からなり、南北の広がりはアメリカ合衆国とほぼ同じ。海岸線はその1・5倍の長さがあり、周囲を寒流と暖流が走るこの列島は、四季折々の山海の食材の宝庫だ。

しかも、約3世紀にわたる江戸期の鎖国時代に独特の食材が育ったから、欧米の料理界からみればまさに「エキゾティック」。醤油や柚子胡椒は最近ではすっかりフランス料理の定番になったし、生で食べる魚のしめ方の技術なども、少し前までは欧米の料理人にとっては不可思議のものとして憧れの的だった。

そういった日本の伝統的な食材や食文化とともに、日本人料理人が世界に羽ばたいているといっても過言ではない。

その交流のことを考えると、60年代から盛んに訪欧を繰り返し、多くの本場フランス料理人を日本に招いた故・辻静雄(辻調理師学校創立者)の功績を忘れることはできない。

60年代前半から、辻はフランス料理の醍醐味やレストラン文化を日本に伝え始めた。70年代になるとポール・ボキューズやジュエル・ロブションといった3つ星シェフを日本に招聘し、ホテルオークラの故・小野正吉をはじめとする国内最先端の料理人も参加する本格的な料理教室を何度も開いた。

その時、学んだのは日本人だけではなかった。フランス人もまた、初めて和食の文化に触れ息をのんだ。その味覚の軽さ、食材を生かす技術、品数の多さと繊細さ、皿の美しさ等々。以降、フランスではヌーベルキュイジーヌと呼ばれる新しい料理の潮流が生まれたのは周知のとおりだ。

往々にしてその流れは味覚の「軽さ」と言われるが、それだけではない。それまでフランスでは調理場から大皿で料理を運び、客席でゲリドン(ワゴン)を使って料理を切り分けるデクパージュが正統なサービスとされていた。ところが和食では、皿の中の世界観を料理長が決定する。そのシステムが本場のシェフたちを刺激しないわけがない。軽さだけでなく料理の美意識も、日本から世界に伝えられたと言っても過言ではない。

・若者たちの憧れが新しいビジネスモデルを生む

「それにしても、最近の学生は昔のように物おじしなくなりました。最初から高い目的意識を持ってフランスで学ぼうとする。だから世界で活躍できる。それにもいくつかの理由があると思います」

辻がいう。辻調理師学校では、20年前からリヨンに料理学校を持っている。日本から留学した学生は、半年の授業のあと現地のレストランで半年のスタージエ(研修)を経験する。昔の学生は、仲間と離ればなれになる日には言葉の問題や差別される恐怖で振るえていたというが、最近は堂々としている。これまた長期留学や一人旅すら減った今日の日本の若者にあって、頼もしい限りだ。

なぜだろう。辻が言う。

「一つはスポーツ界でも他の業界でも、夢がある者は海を渡ることが当たり前になったこと。野茂投手やカズ選手たちの影響は相当大きいと思います。もう一つは、料理界では戦前から本場の料理界への憧れが強く、多くの若者が早くから海を渡っていった。今日ではフランスやイタリア修行は当たり前。その伝統も大きいですね」

その嚆矢となったのは、昭和2年に横浜のホテルニューグランドにシェフとして招かれ、戦後帰国してからは日本の若者の招聘に務めたスイス人シェフ、サリー・ワイルだ。

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