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新しい道徳6 (文部科学省検定済教科書)

(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 図書館でも実際に学校で使っている「教科書」を借りることができるということなので、ちょっとトライしてみました。
 小学校6年生用の「道徳」の教科書です。

 まず、最初に「道徳学習の目的と学習姿勢」について書かれています。

(p4より引用) 道徳は、心について考え、自分の心を豊かにしていく時間だよ。思ったことをすなおに話そう。
 みんなで話し合って、考えを深めよう。そして、自分をすなおに見つめよう。

 そして、教材ですが、教室での進め方として、たとえば、こんなふうに書かれています。

(p97より引用) 言葉のプレゼント
 これから「言葉のプレゼント」をします。友達に, おうえんや, 励ましの言葉をおくりましょう。
 1.4人グループをつくります。
 2.グループの人に、どんなおうえんやはげましの言葉を贈るかを, 96ページのシートの (1)に 書きましょう。
 3.グループの中の一人に、残りの人から、 シートに 書いたことなどを大きな声で言って, 言葉のプレゼントをおくります。
 ほかの人から言葉のプレゼントをもらった人は、「言葉のプレゼント、 ありがとう。」と言って受け取ります。
 言葉のプレゼントをもらう人は, 一人ずつ交代します。 グループの全員に、 同じように言葉のプレゼントをおくります。
 4.言葉のプレゼントをもらって, 気づいたこと、感じたことなどをシートの(2) に 15 書きましょう。
 5.クラス全体で振り返りをします。
 気づいたこと, 発見したことなどを 発表しましょう。

 違和感がありますねぇ。ここまで細かく「こうするんですよ」と示すやり方は、 “ひとつの望ましいと規定している型にはめていく” ようで、どうもにも気持ちが悪くなります。
 「ほかの人から言葉のプレゼントをもらった人は、「言葉のプレゼント、 ありがとう。」と言って受け取ります。」とかになると、意味不明ですね、頭がクラクラしてきます。
 6年生にもなると結構自我もしっかりしてきているでしょう。こんな「取ってつけたお芝居のようなセリフ」を言わせて・・・、彼ら彼女らはこれで素直な気持ちになれるでしょうか?、彼ら彼女らの精神的に自立した成長に役に立つでしょうか?

 もうひとつ、「せんぱいの心を受けついで」とのタイトルの教材から、気になったくだりを書き出してみます。

(p112より引用) 広美は、ふと作文集の中の名前に目がいきました。家の近くの米屋のおじさんの名前でした。「キクづくりで学んだこと」という題で書かれています。その中で広美が心をひかれたのは、「キクづくりによって学校中の人たちの心が一つになった」というところと、「こうした学校のよい伝統をこうはいに引きつぎたい」というところでした。
さっそく、帰りに米屋に寄ってこのことを話すと、おじさんは、
「そんなことを書いたかなあ。ても、作文はともかくとして、キクづくりは学校のほこりだよ」
と、にこにこしながら広美に言いました。広美は自分が褒められたような気持ちで家に帰りました。

 ここに至っては、完全に「ある価値観」を称揚していますね。
 その価値観の是非が問題ではありません。こういった進め方で、子供たちは “自分で考えた自分の価値観” を築くことができるでしょうか。ひとによっては、「伝統墨守」よりも「因習打破」という考え方があってもいいはずです。

 道徳教材の作りを辿ってみての感想です。
 児童に「自分で考える」姿勢を身に着けさせようと目指していることは認めます。そのこと自体は絶対的に正しいことですが、それに止まらず、さらに「考える内容や方向」まで規定しようという意思がどうにも教材から透けて見えてきます。
 私は、それは決して望ましいゴールではないと思います。



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