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一日一言―人類の知恵 (桑原 武夫)

科学の精神

 編者の桑原武夫氏(1904~88)は福井県生れ、フランス文学者でありまた評論家でもありました。「はしがき」によると、本書に採録されている数々の言葉は、桑原氏の長年の読書の蓄えだそうです。

 多くの箴言の中から、「科学」に関するものをご紹介します。

 まずは、明治初期日本に招かれたドイツ人医師ベルツの「日記」より、和魂洋才への疑義の言葉です。

(p9より引用) 西洋の科学の起源と本質に関して日本では、しばしば間違った見解が行われているように思われる。・・・西洋の科学の世界は決して機械ではなく、一つの有機体であって、その成長には他のすべての有機体と同様に一定の気候、一定の大気が必要である。・・・日本では今の科学の「成果」のみを受取ろうとし、・・・この成果をもたらした精神を学ぼうとはしない。

 この態度は、自然科学に限ったものではなく、広く人文科学も含め共通に指摘される明治初期の問題点です。

 次は、民本主義の提唱者、大正期の政治学者吉野作造の言葉です。「学生に対する希望」の中で、真理探究に向かう謙虚で柔軟な姿勢について語っています。

(p47より引用) 学生の真理探究の態度は、多情でなくてはなりません。無節操でなくてはなりません。無節操といっては誤解をまねくかも知れませんが、常により正しからんとして、いつでも態度を改めうるように用意していなくてはなりません。

 最後は、原子核模型を示したイギリスの物理学者ラザフォードの言葉です。

(p143より引用) 物理学の進歩の速さをながめて、私は、自然にかんするわれわれの知識をひろめる科学的方法の力づよさに、ますます感銘するようになった。・・・ときおり、蓄積された知識をふまえた、電光のごとく光る着想が生じ、一そう広い領域を照らしだし、個々人の諸努力のあいだの関連を示す。かくてその後に全般的な前進が続くのである。

 多くの科学者による地道な研究の積み重ねと、それを礎とした「セレンディピティ」との往還による科学の進歩の道程を、一流の学者が語ったものです。

信念の言葉

 人の記憶に残る箴言は、語る人の強い信念の表出でもあります。

 まずご紹介するのは、1904年2月9日の日露戦争開戦に際しての「平民新聞」の主張です。

(p24より引用) 不忠と呼ぶ、可なり。国賊と呼ぶ、可なり。もし戦争に謳歌せず、軍人に阿諛せざるをもって不忠と名づくべくんば、我らは甘んじて不忠たらん。もし戦争の悲惨、愚劣、損失を直言するをもって国賊と名づくべくんば、我らは甘んじて国賊たらん。
 世は平和をとなうるを効果なしとす。しかも我らはただ一人の同志を得ば足る。今日一人を得、明日一人を得、三年、五年、十年、進んで止まず、我は必ず数千、数万の同志を得るの時あるを信ず。

 平民新聞は、幸徳秋水・堺利彦らが興した「平民社」が発刊した週刊新聞でした。その主義主張の当否・是非はともかくとしても、当時のジャーナリズムには明確な信念にもとづく強烈なメッセージがありました。

 もうひとつ、黒岩涙香の「万朝報」発刊の辞です。
 こちらの新聞は、明瞭・痛快を編集方針とし、社会派的な暴露記事で読者を獲得していきました。(ちなみに、当初、幸徳秋水や堺利彦も万朝報の記者でした)

(p166より引用) この頃の新聞紙は「間夫がなくては勤まらぬ」ととなう売色遊女のごとく、みな内々に間夫を有し、その機関となれり。・・・ああ我社はただ正直一方、道理一徹あるを知るのみ。もしそれ偏頗の論を聞き陰険邪曲の記事を見んと欲する者は去って他の新聞を読め。

 言論が、自らの存在に誇りを持っていたのでしょう。我れが「輿論をつくる」という気概ですね。(今の新聞は、「時の政権や世論(あるいは、スポンサー)につくられている」感がありますが・・・)

 あわせて、海外の例もご紹介しましょう。
 フランス革命期のジャーナリストのマラーは、「人民の友」紙でこう訴えています。こちらは、冷静でシニカルです。

(p86より引用) 不幸な人びとの階級(高慢な金持どもは賎民という名でよんでいるが)は社会のもっとも健康な部分である。この汚辱の世紀において、なお真理、正義、自由を愛している唯一の部分である。・・・なぜなら、生きるためにはたえず労働せねばならず、堕落する手だても暇もないので、彼らは、諸君よりもずっと自然に近いままに止まっているからである。

 さて、次にご紹介するのは、すでに江戸時代中期において「人間の平等」を思っていた安藤昌益の「自然真営道」のなかの言葉です。

(p54より引用) 上なければ下責め取る奢欲もなし。下なければ上に諂い巧むこともなし。・・・金銀銭の通用なければ上に立ち富貴栄花をなさんと欲を思う者もなく、下に落ちて賤しく貧しくわずらい難儀する者もなし。

 封建的身分制度の世の中に対し、ひとり異を唱えた社会批判でした。

 最後は、正岡子規の「病牀六尺」より、病苦と闘いながら語った青年の力への期待の言葉です。

(p156より引用) 何事によらず、革命または改良ということは、必らず新たに世の中に出てきた青年の力であって、従来世の中に立っておったところの老人が説をひるがえしたために革命または改良が行われたという事は、ほとんどその例がない。

生きる姿勢

 歴史に名を残した人。そういった人の生き様から発せられた言葉は、やはり浸透力が違います。

 まずは、かのベートーヴェンの「手記」からの言葉です。

(p52より引用) つねに行為の動機のみを重んじて、帰着する結果を思うな。報酬への期待を行為のバネとする人々の一人となるな。

 純粋な行為の勧めであると同時に、おそらくは自分自身の信念でもあったのでしょう。

 次は、中国明代の陽明学左派の思想家 王心斎の「鰍鱔説」での言葉です。

(p101より引用) 甕に鱔あり。重なりあいて気息奄奄。一匹の鰍なかより現れて暴れまわれば、鱔は鰍によって身を転じ、気を通じ生意あるを得たり。・・・たちまち雷雨おこる。鰍、機に乗じて躍り出、大海に投じ、快楽かぎりなし。甕中の鱔をかえり見、身を奮って竜と化し、ふたたび雷雨をおこし、甕を覆す。かの気息奄奄たりしものみな蘇り、相ともに大海に帰りぬ。

 知行合一を説く陽明学のダイナミックな思想が迸ったような生き生きとした文章です。

 また、行動派という点では、西欧社会の代表としてフランス革命期のロベスピエールにも登場願いましょう。彼の「人権宣言草案」からのフレーズです。

(p124より引用) すべての国の人間は兄弟であり、諸国民は、おなじ国家の市民のように、その力に応じて互いに助けあわねばならない。・・・国王、貴族、暴君は何人であれ、世界の主権者である人類に対し、宇宙の立法者である自然に対して反逆する奴隷である。

 さて、最後は、有名な社会運動家ヘレン・ケラーの言葉をご紹介します。

(p106より引用) 私は、愛、四海同胞主義、平和などを説きながら、一方では、敵意を感じ、ときには剣をふりかざして戦をいどんでいることさえあります。・・・私は、さいごには愛が勝利をえるものだと信じていますが、同時に、自分の権利を守るために、やむをえず暴力を用いている虐げられた人びとへの同情も、また、禁じることはできないのです。

 こちらは、自分の気持ちに正直に向き合った、まさに真実の言葉だと思います。



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