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疑う力 (西成 活裕)

(注:本稿は、2012年に初投稿したものの再録です)

 著者の西成活裕氏「渋滞学」の提唱者
 以前にも西成氏の著作は「クルマの渋滞 アリの行列」「とんでもなく役に立つ数学」を読んだことがあります。
 今回のテーマは「疑うことの効用」です。

 本書で、著者が紹介している「疑う」ことを科学する分析スキームは「IMV分析」と呼ばれるものです。
 「I」は、「伝え手の真意(Intention=意図)」、「M」は、「伝え手から発せられたもの(Message=伝達情報)」、「V」は、「受け手の解釈(View=見解)」のことで、これらの組み合わせごとに議論を進めていきます。

(p56より引用)
①「I=M=V=I」
②「I=M≠V≠I」
③「I≠M=V≠I」
④「I≠M≠V=I」
⑤「I≠M≠V≠I」

 つまり、何を聞いて、どう受け取るかは、数学的には五通りしかないことがわかります。・・・この五通りを全部研究すれば、「疑う」に関するすべてのことがわかるのです。

 ただ、この五通りのうち①は完全な理解、⑤は完全な誤解なので、「疑う」という事象が生じるのは②③④の三通りになります。第二章では、この「IMV分析」を用いての具体例の解説が並びます。

 とはいえ、次の第三章以降では、この「IMV分析」はあまり前面には出てきません。
 よくある数字・統計データの見方の注意であったり、ごく初歩的な行動経済学の適用例であったりと、急に目新しさがなくなります。さらに、それぞれの項目の解説が極めて表層的で、説得力があまりにも貧弱と言わざるを得ません。

 強いて、改めて意識しておきたいと感じたのは、「排中律の罠」での示唆ぐらいでした。「排中律」とは、真ん中を排する、すなわち、こちらが正しいか、あちらが正しいかの二者択一を迫る論理です。

(p161より引用) この排中律も、騙されやすいパターンの典型です。現実には、ほかの選択肢はいくらでもあります。したがって排中律の論理で語られるものは、すべて疑ってかかる必要があります。・・・相手が二者択一を迫ってきたとき、瞬時に「第三の選択肢」を思い浮かべられる人は強いです。

 多くの場合、強く二者択一を迫られると、その土俵に縛られてしまい思考が停止してしまいがちです。最近では、消費税増税議論がその典型的なケースと言えるでしょう。
 最終的な「決断の瞬間」は、やるかやらないかの二者択一になりますが、目的実現のための「手段」の検討フェーズでは、安易な排中律は極めて危険です。

(p214より引用) 疑う、そして信じる、この両者を行ったり来たりすることが、まさに人間らしさをつくっているのだと思います。この矛盾を抱えて生きること、その葛藤のダイナミズムの中で個性が生まれ、それがその人の魅力になっていくのです。

 矛盾の存在を前提としてジレンマ・トリレンマを抱えた現代を生きるための、著者の基本的な考えです。



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