見出し画像

ガラパゴス化する日本 (吉川 尚宏)

 本書の「はじめに」によると、昨今人口に膾炙している「ガラパゴス化」という言葉は、北俊一氏による論文「日本は本当にケータイ先進国なのかガラパゴス諸島なのか」で使われたのが最初とのことです。

 本書では、この「ガラパゴス化」というコンセプトを、まず3つにカテゴライズして論を進めていきます。

(p4より引用)
●日本製品のガラパゴス化
 日本企業がつくるだすモノやサービスが海外で通用しないこと
●日本という国のガラパゴス化
 日本という国が孤立し、鎖国状態になること。地方だけでなく、東京も含め日本全体が鎖国状態となるリスクをはらんでいること
●日本人のガラパゴス化
 最近の若い人のように、外に出たがらなくておとなしい性向のこと

 「携帯電話」を代表例にしたガラパゴス化は「日本製品のガラパゴス化」です。

(p121より引用) 日本企業の提供する商品やサービスがガラパゴス化する理由の一つは、非製造業を中心に海外売上高比率が低いことである。もう一つの理由は、日本で求められる豊かさよりも少しレベルの異なる豊かさを求める海外の消費者が登場してきていることである。そうした消費者に合う品質、機能、価格等を提示していく必要があるにもかかわらず、その体制ができていないということなのである。

 これは、正にクリステンセン「イノベーションのジレンマ」で指摘している「先行者が後続者に逆転される市場構造・競争条件の変化の仕組み」そのものと言えます。

 さて、本書では、先の「3つのガラパゴス化」の中で、「日本という国のガラパゴス化」について相対的に多くのボリュームを割いて説明しています。

(p96より引用) 日本という国の立場で考えれば、脱ガラパゴス化した日本製品を生み出す日本企業が日本に引き続き主要機能を置くようなインセンティブ・・・を付与し、彼らが日本という国に対する雇用や投資の機会を維持し、増やせるような環境を構築していくことが重要となる。

 仮に「日本製品のガラパゴス化」だけが解消され、当該企業がその活動の軸足を海外に完全に移してしまうとどうなるでしょう。それこそ、日本という国は、人口が年々減少しそれと連動して縮小する市場と運命をともにすることになります。
 日本企業の「脱ガラパゴス化」はもとより、同時に外資系企業の誘致等による「日本という国の脱ガラパゴス化」も図らなくてはなりません。

 それでは、どうすれば「日本という国の脱ガラパゴス化」が実現できるのか。本書の最終章は「脱ガラパゴス化へのヒント」と銘打って、国際競争市場における「ルールの創造・変更」の重要性を指摘しています。

(p227より引用) 要するに、市場を支配するゲームのルールを、鳥瞰的に眺める、そして、ルール自体を動かす。これがディジタル化が進み、グローバルな水平分業が進む中での企業の勝ちパターンである。・・・またこれから出来上がるルール、すなわち制度の設計に、日本はグローバルなレベルでもっと積極的に関与していく必要がある。

 もうひとつ、興味深い提案として示されているのが「霞が関商社化シナリオ」です。
 意味するところが不明瞭な「国際競争力」という言葉が先に立って、「国・政府」として具体的に何をするのかがきちんと議論されていないのではないかという問題意識です。

(p236より引用) 「官民共同、オールジャパンで国際競争力強化を」と政府は主張するが、もしこれが官民一体となって海外に出ていこうというのであれば、前時代的である。まずグローバル化すべきはゲームのルールをつくる官、霞が関であり、ここが最強の一種の貿易産業になれば、日本企業の海外進出、あるいは外資系企業の日本参入は容易になる。・・・民は官をもっとしたたかに動かすことを考えるべきなのである。

 本書で論じられている著者の指摘は、一種の「日本列島改造論」です。

(p248より引用) 地方再生が叫ばれる昨今であるが、国土保全という観点、あるいは観光産業の振興という観点で地方は再生させるものの、積極的に住民を都市部に移住させ、しかも世界に通用する国際的な都市をつくっていく、ということを国土政策の柱としていくべきである。

 国際的にも核となりうる大都市を中心に「道州制」的発想で、海外との資本・人材・知識のハイブリッド化を推進するとの考えのようです。

 このあたり、かなり強引な立論でもあり意見が分かれるところでしょうが、明確な意見を提示するという姿勢は評価すべきですね。



この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?