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随感録 (浜口 雄幸)

命懸け

 浜口雄幸(1870年5月1日-1931年8月26日)、「ライオン宰相」と呼ばれ、大正から昭和初期の激動期に大蔵官僚・蔵相・首相と数々の重職を勤めた政治家です。

 一国の指導者の器が本当に小さくなってしまった今日、銃弾に撃たれながらも「男子の本懐」と語った覚悟に、改めて、重く尊い気概を感じます。

 本書は、その浜口雄幸氏の自伝であり遺稿集です。
 巻頭の「自序」にはこういう言葉があります。

(p3より引用) 題目を選ぶ時には、主として、修学時代の学生の精神修養上の一端ともなろうかと思わるるものを選んだ積りである。従って、極めて幼稚にして、意義に乏しいものが多く、直接国家に貢献する所は極めて尠少であろうと思う。尤も、中には、成学の士、特に世上の政治家の一読を煩わしたいと思うものがないでもない。此等の人士にとって、処世上万一の参考ともなれば非常なる仕合である。

 ここにある「学生向け」のメッセージとして代表的なものを、「青年時の回顧」と題した項からまずご紹介します。

(p29より引用) 世の中には、大志を抱きながら殆ど何等の努力を為さずして、自己の性癖のままに振舞うものが尠からず見受けられる。殊に近時の学生に至っては、その弊が最も甚しいのではないかと思う。
 要するに、余は、修養こそは人物を創造する唯一の途であると信ずるのである。

 我が身を省みても、学生に止まらず広く人たるものに向けた言葉です。真摯に受け止めるべき浜口氏の信念だと思います。

 ところで、巻頭において浜口氏は、政治に関する話題は他の歴史家に譲ると記しています。が、やはり、本書のそこここに政治・政界の回想が登場します。
 たとえば、第三次桂内閣総辞職以降の二大政党制の黎明期、浜口氏が在野にあったころの言葉です。

(p35より引用) 妥協又は情意投合政治の別名を有する官僚政治は、茲に終焉を告げて、二大政党対立に依る責任ある政党政治の発達がこれから始まらなければならぬ。

 当時も官僚主導 vs 政治主導の確執があったようです。ただ、浜口氏の考えは、健全な二大政党制の機能を政治主導の要件と見ているように思います。
 そういう理想を追求する姿勢も含め、浜口氏は、自らの確固たる政治哲学に従った真っ直ぐな政治家でした。

(p54より引用) 余が一つも趣味道楽を持たぬ所から人は言う、政治は浜口に唯一の趣味道楽であると。余謂えらく、政治が趣味道楽であってたまるものか、凡そ政治程真剣なものはない、命懸けでやるべきものである。

 さらに、こう続けます。

(p54より引用) 苟も政治は趣味道楽であると言う思想が一片たりとも政治家や国民の頭脳に存在する以上は、それが戯談でない限り一国の政治の腐敗するのは寧ろ当然である。・・・世間或はこんな謬見を懐いて唯趣味道楽の為に政治を玩んで居るものがないとも限らぬと思うから、特に一言を費す次第である。

 浜口氏の火を噴くような想いが伝わってきます。
 「政治は命懸け」、この言葉は昨今の政治家の口からも発せられます。が、浜口氏の断固たる構えと比較すると、その覚悟の真剣さには天と地ほどの差があります。

 将に今、浜口氏が叫ぶ言葉の重さ・尊さを思い返すべきだと思います。

本は読むべし、本に読まるるなかれ

 本書には、政治に関する随感のほか、浜口雄幸氏の人となりを垣間見ることのできる興味深いエピソードや言葉が豊富に紹介されています。

 たとえば、浜口氏による自己分析。自身について、「余と趣味道楽」の項でこう語っています。

(p51より引用) 余は生来極めて平凡な人間である。唯幸にして余は余自身の誠に平凡な人間であることをよく承知して居った。平凡な人間が平凡なことをして居ったのでは此の世に於て平凡以下の事しか為し得ぬこと極めて明瞭である。修養と努力とは、自覚したる平凡人の全生活であらねばならぬ。故に余は日常生活の実際に於て心の閑暇を持つことが少かった。

 決して「平凡」だとは思いませんが、自らが謙虚にそう思い、それを起点にして精進・修養された姿はとても刺激になります。

 もうひとつ、「読書」についての浜口氏の考え方。
 これもまた、いかにも浜口氏という風情の至極率直また明晰な論旨です。

(p84より引用) 余は実際一向に書を読まぬ、友人の誰よりも読書の分量が少ないのであろうと思うのである。・・・余の流儀は、多読濫読を排して、精選したる書物を成るべく少く読むが宜しいと云う流儀であったからである。

 浜口氏は、読書の価値を「判断力の養成」に置いています。

(p85より引用) 判断力の養成には自分の頭脳を論理的に組織しなければならぬ。頭脳の論理化には少数の書籍を精読消化するに限る・・・宜しく第一流の権威者・・・の、しかも力作と称せらるるものを厳選して精読し、十分に消化するを可とする。

 二流三流の著作の多読濫読は「本に読まれている」だけで何の益もないというのです。
 さらに、浜口氏はこう続けます。

(p88より引用) 今一つ言うべきことがある。書を読め、而して思索せよ。書を読んで思索せずんば散漫に陥り易く、思索して書を読まずんば空想に陥り易い。

 私は決して多読速読主義ではありませんが、しばしば「読むこと」が目的化していると感じることがあります。著者と相対する姿勢を忘れてしまうことがあります。大いに反省です。

信念

 第一次世界大戦後、益々意気上がる軍部の軍拡要求に対しロンドン海軍軍縮条約を締結、日本経済がデフレの真っ只中、金本位制への転換を推進・・・、特に不況下に執った緊縮財政政策の評価は必ずしもよいものではありませんでしたが、自らの政治信条に基づき、重要な決定を正面突破で断行した浜口氏の決断力には敬服すべきものがあります。

 その決断力を支えていたのが、浜口氏の「信念」です。

(p102より引用) 余が今日迄の地位に在って、常に重要なる国務を処理するに当って、一番必要なる資格と痛感せるものは、・・・判断の力と、・・・意志の力、即ち此の二者を引っくるめて言えば、確固たる信念である。而かも此の信念は唯の我武者流の内容空虚なる信念ではいかぬ。内容の充実したる信念でなくてはならぬ。此の信念がありてこそ始めて、退いては人言に惑わず、進んでは所信を遂行することが出来るのである。

 本書には、数多くの箴言・金言が散りばめられています。その中から、いかにも修養・努力の人である浜口氏らしい言葉をいくつか書き留めておきます。

 まずは、桂太郎氏を憶う章から、桂氏の談話を受けて。

(p126より引用) 偉人は凡人の修養の結晶物であり、大業は其の偉人の努力の結晶物である。

 もうひとつ、昭和5年11月14日、東京駅での遭難の際。

(p150より引用) 11月14日の朝、東京駅の「プラットフォーム」で「ピシン」とやられた時、「殺ったな」「殺られるには少し早いな」と云う感じが電光の如く閃いた。

 「殺られるには少し早いな」、この思いの根底にあったものを、浜口氏はこう語っています。

(p150より引用) 之は決して未練ではない。・・・余の責任がまだ解除されて居ないから「まだ早いな」と云う感じが起ったのである。

 自らの責務を果たし切れていないとの思い、偽らざる気持ちだったのでしょう。浜口氏はこうも述懐しています。

(p151より引用) いずれ凡夫の余のことであるから「生に対する執着」が暗々裡に働いて居ったのかも知れぬが、少くともそんな自覚は秋毫もなかったことを断言し得るのである。

 まさに浜口氏は謹厳実直な人でした。

 最後に、本書を読んで、浜口氏について調べていたときの発見。
 遥か昔所属していた部署のトップの方は、浜口氏のお孫さんに当たられる方でした。その方は、「ライオン」との印象は全くなく、祖父浜口氏と同じく大蔵官僚のご出身でしたが、いかにもgentleman、とても温厚な方でした。



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