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たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する (レナード・ムロディナウ)

ランダムネスの必然

 確率理論・統計理論の歴史と初歩的なコンセプトを解説した興味深い本です。

 「偶然」起こったことを、人は結構、「必然」と考えたりその前の行動との「因果関係」でとらえたりしています。「偶然」を、理論以上に「滅多に起こらないこと」と考えているのです。

(p13より引用) 世の中におけるランダムネスの役割を理解する際の最大の問題は、ランダムネスの基本原理が日常的な論理から生れているにもかかわらず、そうした原理から引き出される結論の多くが直観に反していることだ。

 プロ野球の季節になったので、野球を例にしてみましょう。
 ここに、何打席もヒットが出なくて悩んでいる選手がいるとします。コーチがアドバイスをしたら次の打席でヒットを打ちました。これはアドバイスの効果といえるのでしょうか?

 著者は、ランダムネスの基本原理のひとつ、「平均回帰」というコンセプトを紹介しています。

(p14より引用) 平均回帰とは、どんな一連のランダムな事象においても、ある特別な事象のあとには純粋の偶然により、十中八九、ありきたりの事象が起こる、というもの。

 「能力か? 偶然か?」
 もちろん、努力により能力が高まり、できないことができるようになることは山ほどあります。しかし、本書の著者によると、どうやら私たちは、ランダムネスの作用を過小評価しているようです。

(p19より引用) ことの大小を問わず、仕事での成功、投資での成功、決断での成功など、われわれの身に起こることの多くが、技量、準備、勤勉の結果であると同じぐらい、ランダムな要素の結果でもある。・・・能力は問題ではない、と言っているのではない。能力は成功の確率を増す要素の一つである。しかし行動と結果の結びつきは、われわれが願うほど直接的ではない。

 本書の前半は、主として「確率論」がテーマになっています。
 確率論から導き出される結果は、しばしば、多くの人が考える蓋然性の程度と大きく異なることがあります。

 たとえば、それは「可用性バイアス」といわれる心理状況が原因となります。

(p46より引用) われわれは過去を再構築する際、もっとも生き生きした記憶、それゆえもっとも回想しやすい記憶に、保証のない重要性を授けてしまうのだ。

 また、「ベイズの理論」の無知から生じることもあります。

(p175より引用) ベイズの理論は、Bが起きる場合にAが起きる確率は、Aが起きる場合にBが起きる確率とは異なることを示している。このことをきちんと説明しないことが、医者の世界にはびこる過ちだ。

 この例として、著者は、マンモグラムで陽性になった女性が乳がんを有する確率を取り上げています。
 ベイズの法則を正しく適用させると乳がんによってマンモグラムが陽性になる確率は約9%。こういうケースでも、医師の間では、確率理論の無理解により70~90%と評価されているというのです。
 多くの人が検査を受ける場合、実際の「罹患率」が小さく、「疑陽性率(乳がんに罹っていないにもかかわらず検査陽性になる人の割合)」が比較的大きいと、こういう直感的な過ちをしやすくなるのです。

統計の効用

 本書の後半は、主として「統計」をテーマにして解説が進んでいきます。「正規分布」や「標準偏差」といったお馴染みのコンセプトが登場します。

 まず、もっとも基本的なランダムネスの現出パターンとしての「正規分布」の効用についてです。

(p230より引用) ランダムネスのパターンは非常に信頼できるものであり、もし社会的データにおいてそれが破られていたら、それは悪行の証拠になり得る-これがケトレーにより偶然見いだされた有用な事実である。・・・たとえば近年、そのような統計分析が普及し、法経済学(あるいは犯罪経済学)と呼ばれる新しい学問分野が生れている。

 正規分布は、ある意味とてもシンプルなパターンですから、直観的に理解しやすいものです。理解しやすいと、人は、そこに「何らかの意味」があると考えがちになります。ここに気をつけるべき陥穽があります。「本当は意味がないにもかかわらず、そこに意味があると考えてしまう」という罠です。

(p279より引用) われわれが錯覚に捕らわれているとき・・・われわれはたいてい、その考えが間違いであることを証明する方法を探るのではなく、それが正しいことを証明しようとする。心理学者はこれを「確証バイアス」と呼ぶ。確証バイアスは、ランダムネスに対する誤解から逃れようとするわれわれの能力の大きな障碍になっている。

 先入観は、どんどん強化されていきます。曖昧な証拠でも、それを自分の都合のいい方に引き込んでしまうのです。

(p281より引用) ランダムなパターンでも、もしそれがわれわれの先入観と関係していれば、説得力をもった証拠として解釈される可能性があるのだ。

 こういう心理的なバイアスはなかなか厄介です。第一印象に引きづられて、後々まで判断をミスリードしてしまうことも現実的には少なからず生じているでしょう。

 著者はこういう偏見を克服するために、以下のような方法を紹介しています。

(p282より引用) 出発点は、偶然の事象もパターンを生み出す、ということをまず理解することだ。また、自分の認識や理論を問い質すようになれば、それは一つの大きな前進だ。そして最後に、われわれは自分の考えが正しいとする理由を探すのに費やすのと同じ時間を、自分が間違っているという証拠を探すことに費やすようになるべきだ。

 ただ、そもそも「バイアス」がかかってるのですから、出発点に立つことすら大変ですね。

 さて、最終章で著者はこう語っています。

(p314より引用) われわれが世の中のランダムネスの作用に気づかないのは、この世を評価するとき、われわれは見えると期待しているものを見ようとするからだ。われわれは基本的に成功の程度で才能の程度を定め、その関係を強調することで、われわれが抱いている因果的な見解を強化している。

 本書では、この成功が、(努力もひとつの要素であることは認めつつも)多くの場合「ランダムネス」の現出に過ぎないことを明らかにしているのです。

(p320より引用) 能力は偉業を約束してはいないし、偉業は能力に比例するわけでもない。だから重要なことはその方程式の中の別の言葉-偶然の役割-を忘れないようにすることだ。

 この著者のメッセージをpessimisticに捉えるべきではありません。optimisticにpositiveに受け取りましょう。
 「偶然」は、チャレンジする回数を増やせば、いつかは味方してくれるものです。



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