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昭和の教科書とこんなに違う 驚きの日本史講座 (河合 敦)

(注:本稿は、2016年に初投稿したものの再録です)

 「富本銭」って何?、数年前(注:当時)の娘たちの受験期に初めて目に入ったのですが・・・、私が中高生のころ、日本最古の貨幣といえば疑いもなく「和同開珎」でした。

 本書では、近年の日本史研究によって明らかにされた過去の教科書の記述を覆す数々の史実が紹介されています。
 近年の研究成果といっても、それは、X線写真放射性炭素年代測定といった科学的手法によるものもあれば、新たな発掘・発見といった従来型作業によるものもあります。いずれにしても、明確な「物証」が従来の歴史認識・解釈を正していったのです。

(p86より引用) 国家の史書というものは、それを編纂したときの権力者に都合のよいように書かれるもの。敗者や弱者の声など反映されぬ勝者の改竄記録といってよいかもしれない。しかし、それしか史料がない以上、昔の歴史研究者たちは、これらを頼りに歴史を組み立てていくしか方法はなかったのである。

 これは、特に「古代」の史実についてはそうでした。
 そうした閉塞状況を大きく変えたのが「木簡」の登場だったのですが、木簡が日本で最初に発見されたのは1961年(平城京跡)だったのだそうです。結構最近なんですね。

(p86より引用) この木簡という文字史料の解析が進むにつれ、どんどん朝廷の史書にはない新事実が浮かび上がり、改新の詔についても「修飾」があることが判明したのだ。・・・ 木簡は長くても数行の文章で、荷札や手紙、看板などが多いが、そうしたものから私たちは古代人の具体的な生活を知ることができるようになってきている。

 こういった生活感のある発見の方が、実は結構興味深い内容のものがあったりしますね。たとえば、7世紀後半、古墳時代末期にはすでに「九九」が使われていたのだそうです。

 これら物証によるもの以外に、解釈の変化によって教科書の記述のニュアンスが変わってきている例もあるようです。
 たとえば、徳川5代将軍綱吉
 “天下の悪法”とされている「生類憐みの令」を制定したことでその治世の評価は低いものでしたが、最近の研究では再考されつつあるとのこと。

(p171より引用) 日本史の教科書でも「庶民は迷惑をこうむったが、野犬が横行する殺伐とした状態は消えた」(『詳説日本史B』山川出版)とプラス面も明記しているのだ。・・・
 綱吉は、捨て子の禁止や囚人の待遇改善、行き倒れ人の保護などを命じ、儒教の仁愛思想を社会に普及しようと努めており、生類憐みの令もそうした政策の一環だと認識され、学者の間では近代社会福祉法の先駆と評価されるようになってきているのである。

 そもそも「教科書」の記述の多くは、その執筆当時の研究者間の「通説」が採り上げられたのものに過ぎませんから、当然、研究が進んでいくと、新たな「真実」が明らかになっていくことは当たり前のことでもあります。

 さらに「歴史(正史)」の場合、史実の存在そのものや史実の評価は、その当時の為政者が“望ましいと考える歴史認識”に左右されることも大いにあるわけですから、そこには確信犯的誤謬は付き物と考えておいた方がいいのでしょう。

 さて、本書を読み通してですが、私が勝手に期待していた内容とはかなり隔たりがあったというのが正直な感想ですね。
 たとえば、聖徳太子や足利尊氏を描いたとされる絵は実際は別人物だという話はよく聞きますが、それがどういう契機・経緯で判明したのか、それでは描かれた人物は本当は誰なのか、何故その絵が間違った解釈をされたのか・・・。そういった研究プロセスや成果を知りたかったのですが、そのあたりはほとんど説明されていません。

 本書と同じような切り口での史実の検証本は他にもいくつも出版されているので、また別の本を読んでみることにしましょう。



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